落とし物
かなぶん
落とし物
目の端に映った光。
惹かれてそちらへ目を向ければ、金色の長い髪を高校指定の制服へ伸ばす少女が、ベンチに座り、目を閉じているところ。
並の人間であれば、完全に名前負け、あるいはネタ扱いされそうな名前の少女。
だが、名前で興味を持ってしまった人間が彼女を目にしたなら、しばらくの間、その名を忘れるほどの衝撃を受けることだろう。
輝くような金の髪、陶器のように白く滑らかな肌、淡く色づくふっくらとした唇。
閉ざされた瞳の色は晴れ渡る空を思わせ、凡庸な制服から伸びる四肢は、少女に見合う肉感を伴い、その均整に拍車をかけていた。
そんな麗那と同じ高校の、そして同じクラスでもある
ついつい目を惹くその姿に見蕩れていたなら、
「麗那ー! そんなとこいないで、こっちこっち! もうすぐバス来ちゃう!」
そんな声が彼女を呼び、これに目を開けた麗那が慌てた様子でベンチを立つ。
一瞬、その目と合った気がして、公園の垣根越しだというのにドキリとする。
が、麗那が立ち去った後のベンチに、小さく四角いモノが残されていることに気づいたなら、良夫は焦って来た道を戻り、公園内へ。
(しまった! 先に声かけときゃ良かった……)
良夫が失態に気づいたのは、麗那が座っていたベンチに辿り着いた時。
小さく四角いモノ――スマホを視界に入れた距離から見える周辺に、麗那や彼女を呼んだと思しき相手の姿はどこにもない。
気づいた時に声をかけていたなら、こんな風にスマホが放置されることもなかったはずだ。
全ては一瞬、麗那の瞳に魅了されてしまった自分のせい。
(いや、そもそもこれが隠明寺のスマホかも――――)
たまたま置き忘れだったスマホの近くに麗那が座っていただけ。
そんな思考に逃げかけた矢先、件のスマホが軽快なメロディを奏で出した。
まるで無視するなと言わんばかりのタイミングに、ビクッと揺れる肩。
恐る恐る画面を覗けば、見知った名前に良夫は救いを感じた。
先ほどまでの遠慮はどこへやら、スマホを手に取り、耳に当てる。
途端に、名前と同じく知った声が聞こえてきた。
「あ、麗那? それで、どんな感じよ」
美しい少女の友人だからと言って、同じくらい美しいわけでもない、どちらかと言えば良夫同様、平凡と評して差し支えない彼女の名は、
麗那と同じ読みの名を持つ玲奈は、良夫の幼馴染みでもあった。
「なあ、やっぱこれ、隠明寺のスマホなのか?」
何の前置きもなく尋ねれば、「は?」と訝しむ声の後で、
「え、良夫? え、え、どういうこと? 麗那と付き合ってんの?」
一発で受話相手を当てておきながら、あり得ない話が玲奈から飛び出した。
「いやいやいや、発想飛躍させんなって」
身の程知らずが過ぎるだろう――そんな言葉で会話を続けた良夫へ、玲奈はスマホの所有者が麗那で間違いないことを教えた後で、珍妙なことを言い出した。
(……レナの野郎。いい加減なこと言いやがって)
翌朝、現実から目を背けるように、元凶の幼馴染みへ毒づく良夫。
いや、分かっている。
レナこと玲奈がそもそもの原因であることに変わりはないが、考えもせずに乗った自分も阿呆過ぎたのだと。
いつまでも思考を別に持って行けるはずもなく、目の前の存在に意識を戻す。
そこには――――
「見たでしょ? 見たんでしょ?」
隠明寺麗那の美しい顔が間近にある。
だが、良夫の胸の高鳴りに、甘酸っぱさは欠片もなく、
(こ、怖ぇ……)
良夫が渡した携帯を握りしめ、低い位置から見つめてくる空色の双眸。
身長差を考えれば、圧を感じるべきは向こうだというのに、くっきり白と空で分かれているのが分かるほど見開かれた眼球が恐ろしい。
――同じクラスなんだし、明日会った時に渡せばいいじゃない。
事もなげにそう言った発案者は、さすがにマズいと思ってか、先ほどからスマホの持ち主を宥めようとしていたが、こちらを標的にした眼は一瞬も離れてくれない。
「み、見てない」
良夫は何度目か分からない弁明を試みる。
実際、鞄に入れてそのまま、今日の朝になって麗那を目にするまで、存在自体忘れていたスマホだ。玲奈とのやり取りの後ですら、ロック画面の有無も見ていなかった。
(っつても、信じて貰えねぇよな……)
もしも良夫が同じ立場だとしたら、麗那と同じ疑いの目を拾い主に向けるだろう。
そんなに見られたくないならロックをかけておけば良い、とも言えそうだが、ここでは何の役にも立たない言葉だ。いや、それどころか確実に状況を悪化させた上、見ていない事実を虚言と取られかねない。
万事休す。
もしもここに救いを見出せというなら、二人を注視するクラスメイトの誰もが、麗那に加担して良夫を責めようとしないことか。
学校一の美少女である彼女は、男女問わず人気が高い。
このため、本来であればそうなってもおかしくないはずなのだが、皆一様に固唾を飲んで、良夫と麗那のやり取りを見守っていた。
逆を言えば、それくらい、今の麗那の顔がヤバいということなのだが……。
とはいえ、ここは学校である。
いつまでも生徒二人が、語弊はあるものの、見つめ合っていられる場所ではない。
「……お前ら、ホームルーム始めていいか?」
そんな担任の声が届けば、空色の恐怖は各々の心に刻まれたまま、ぎこちない日常が取り戻されていった。
――――が。
「げっ」
良夫の中で、完全に恐怖の象徴と成り果てた麗那を、とにかく避けに避けて迎えた放課後。ようやく帰れる、そう肩から力が抜けたところで、良夫はまたしてもソレに出くわした。
立ち去る麗那、残されるスマホ。
ただ、あの時と違うのは、
「お? 隠明寺のヤツ、スマホ忘れてんじゃん」
友人の
別のクラスである友樹は今朝の騒動を知らず、ひょいと麗那のスマホを拾っては、そのまま自分の鞄の中へ――……
「ちょ、お、お前!?」
手慣れた様子にスルーしかけた良夫は慌てて止めようとするが、鞄を抱きかかえるようにして距離を取った友樹は、ニヤニヤ笑って言う。
「いや、ほら、今から走って追いかければ間に合うかもしれないだろ? それとも良夫ちゃんが友だち差し置いて手柄にしたいって?」
「それは……」
浮かんだのは、今朝のやり取り。
感情の読めない目ではあったが、状況からみて疑いと思って間違いない眼差しに、続く言葉が喉に詰まった。
また、あんな目を向けられたくはない。
この言いよどみをどう思ったのか、「じゃ、行ってくるぜ!」と楽しそうに友樹は言い、麗那が去った方向へとスキップ混じりに走っていく。
見送る良夫の胸にチクリと何かが刺さった気もするが、それが同じ目に遭うかもしれない友人に忠告しそびれた罪悪感なのかも分からず、深いため息が漏れた。
そして、次の日。
「……良夫ぉ」
「うおっ!!?」
地を這うような声と共に肩を叩かれ、驚きに振り返れば暗い顔をした友樹。
友人となってよりこの方、一度も見たことのない暗さに、驚かされた怒りよりも心配が先立った良夫は、「ど、どうした?」と問う。
すると何かを渡そうとする手の動き。
つられて受け取れば、それは因縁のスマホであり、
「これは……お前が隠明寺に渡すべきだ」
「は? いや、俺は――――」
「けどなっ! けど……絶対、ずぇったいに、中は見るなっ!」
ビシッと良夫を指差し、そう言った友樹は、眦に光るモノを湛えて走り去る。
「友だちからの、忠告だからなっっ!!」
最後にそう付け加えて。
「…………なんだ、あれ?」
そう言うしかない良夫は手の中のスマホへ目をやり、
「…………どうすんだよ、これ」
またあの目と対峙するしかないのかと思えば、気が重くなるばかり。
「しかも俺が渡すべきなのに、俺は見るなって…………まさか、このスマホ」
――俺が見たら呪われるんじゃ?
自分でもなかなか突拍子もない考えだとは思いつつも、鬼気迫る麗那の顔が浮かべば、可能性として捨て切れない。
「……女子って、そういうの好きだって言うしな……」
口に出せば、ゾクッと背筋に走る悪寒。
「仕方ない……。よし、レナに押しつけよう」
そんな後ろ向きの決意を胸に、良夫はスマホを鞄へ仕舞った。
物陰からその姿を見つめる、空色の瞳なぞ、露知らず――――
落とし物 かなぶん @kana_bunbun
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