第29話 愛ってなんだ?

「小娘、一応これを渡しておく。…本当にどうしようもない時だけこれに魔力を流せ。」

 旅立ちの馬車に乗り込む寸前で、アプロディタ様が私の手に固い何かを握らせる。

「魔導石?」

 そこそこ大きなそれは、紛うことなく魔導石だ。

「我の魔力を込めた魔導石だ。効果は…己で当ててみよ。」

 フッ、と男前に笑い、アプロディタ様は軍服のマントを翻し御屋敷へと戻って行く。

「出発だ、さっさと乗れやクソガキ!!」

 そう苛立ちながらアプロディタ様を見送る私の襟の後ろを掴み、乱暴に馬車に放り込むジークリンデさん。

 ジューコフさんに突っぱねられたからって、八つ当たりにしては酷いと思う。

 無様に馬車の席に納まった私の隣に、ジークリンデさんは不機嫌そうにドカッと座る。

「何ニヤケてんだクソガキ!!殺されてぇのかっ!!」

 そう悪態づくジークリンデさんだが、彼女の不機嫌さの根本が分かっている私は、そんな意地を張って不機嫌アピールする彼女が可愛く見えた。

 脅されても微笑ましく彼女を見れる程度には。

「ジューコフさん格好良いですよね~。」

「やっぱ殺す!!」

 からかったのが間違いだった…本気で短刀を向けてきたジークリンデさんに全力で命乞いをしながら、王都へ向かう馬車は進み始めた。


 魔導石を渡されたあの時、アプロディタ様の手に触れた。

 その時感じた違和感に、私はもっと早く気付くべきだったと知るのは、王都への旅路を終え、シャンバルに戻った後になる。



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「最悪だ…」

 見られたくないとこを見られた。

 二日酔いで痛む頭を押さえながら、王都行きの馬車に乗った。


 クソガキの護衛任務が始まる前日、朝から浴びる程酒を飲んでいた俺は、泥酔していた。

 へべれけのまま夕暮れの廊下を歩いていた時に、アイツにばったりと鉢合わせた。


「お、お前はまたその様な破廉恥な格好で出歩いて…主の命で王都に向かうのだぞ!!淑女として正しい振る舞いというものを…」

 お堅いジューコフは肌着姿で千鳥足の俺にそう責め立てる。

 普段なら、ヘラヘラと笑いながら色仕掛の一つでもして誂っているのだが、その時俺は泥酔状態であり、フラフラと奴に近寄った。

「ヘヘ…どうだ?エロいだろ?抱きたくなったか?」

 抱き着き、胸を押し付け、耳元で酒臭い声で囁くつもりだったが…


 抱き着く前に床にへたり込んでいた。

「飲み過ぎだ…」

 そう呟き、そんな俺の肩を担ごうとするジューコフ。

「んぁ?揉みてぇなら揉めよ…」

 完全に酔いが周り、その手の意味が分からずに、ジューコフの手を胸に向ける俺の手。

 その手が勢い良く振り解かれた。


「俺をその辺の男と一緒にするな!!」

 考えもしなかったジューコフの怒声。

「なにキレてんだ?ただ礼に一発ヤラせてやろうってだけじゃねぇか?」

 酔いから出るしゃっくり混じりにそう笑って返す。

「ルーカスから聞いている…お前の生い立ちと経歴を。」

 その言葉で酔いが一瞬で冷める。

「俺はお前の知る男たちとは違う!!」

 そう言って踵を返し去って行くジューコフ。

 その背に向け、泣き叫ぶ様に声を荒らげた。

「あの頃とは違う!!汚れちゃいるが、芯まで汚れちゃいねぇんだよ!!」

 思い出したくもない地獄の日々。それでも生き残り今がある。

 その日々は汚点であるのは違いないが、今の自分に、微かだが誇りがある。


「大馬鹿野郎…何も知らねぇくせに…」

 久方ぶりに涙を流した。

 

 そんな、床に埋もれ、泣く俺の姿を見ている者がいた。

 あのクソガキだ。

 クソガキはジューコフが俺の手を振り解く場面と俺が泣く姿だけを見て、完全に勘違いしている。

 クソガキにとって、俺は身の程知らずのに恋に破れた女ということになっている。 

 その気は無いわけではなかったが、最早その可能性は消え去っており、クソガキのとんでもないものを見てしまったという顔は不快でしかない。


「ごめんなさい…」

 思う存分に頬を引っ張って泣かせた後、謝るクソガキ。

「次はねぇからな…」

 不機嫌さを最大限に表しながらそう言う。

「交代だ、ジークリンデ。」

 そんな場の空気を読まずに警戒役の交代の為に馬車の中に入って来たジューコフに、無意識に蹴りを繰り出していた。

「今じゃねぇだろっ!!馬鹿野郎っ!!」

 なんで平気な顔でそう言えるんだ?

 そんな怒りのままに繰り出した蹴りでジューコフは雪原に落とされた。


「大っ嫌いだ!!」

 馬車の扉からそう怒鳴る俺に冷たいシャンバルの風が包む。




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 ローディと初めて会ったのは9歳の時、貴族の令嬢としてはあまりにも遅い、彼女の社交界デビューパーティーであった。


 エルドグリース家。

 ルユブル王国最大の貴族。

 そんな大貴族のパーティーは私にとって最も大切で、運命を変える瞬間であった。


 アプロディタ。

 女神に名を授かったエルドグリースの御令嬢は、父サムイルに手を取られ、椅子に座る。

 光を放つ金色の髪と整い過ぎた顔立ち。何より、一挙一動の度に放たれる光の粒子。

「神の子…」

 そう漏らした貴族の言葉はあながち間違いではないと思える程異質な少女が現れた。


 彼女を飾る華やかなドレスと煌びやかな装飾品が霞む程、私と同い年の少女は美しく輝いていた。

 

「羨ましい限りだわ…」

 絶えずに代わる代わる訪れる来客と対面するアプロディタを遠目に見ながら、私は陰気臭い顔で誰にも聞こえない程度に呟く。

 私とは対極な存在。

 それがローディ…アプロディタの第一印象だった。

 光り輝き、否応なしに人を魅了する彼女と、暗くジメッと湿った様な陰気臭く、人が離れていく私。

「ヤーニャ?」

 挨拶の順番が近づいてきたのだろう。

 俯いていた私の手を、父様が優しく引いた。 

「ラーダニーヴァのヤニーナ・レフノヴィチ・トロツカヤで御座います。御目通り叶いまして恐悦至極の限りで…こちらは娘の…」

「ヤニーナ・ルキヤノヴナ・トロツカヤと申します。」

 父様の紹介に従い、貴族の教範通りの一礼をする。

 私たちの領地、ラーダニーヴァは痩せた農地に特産品も名産、名物何一つ無い。

 土地持ち貴族の中での力は最下層である。

 それに対し、エルドグリースは肥沃な穀倉地帯であるウックルを擁し、大陸最大の魔石産出地までも治めた大陸一の金持ち大貴族。

 イルクーツェ伯爵ことトロツカヤ伯爵家の分家にあたる我が子爵家は、近年、王党派である本家と折り合いが悪く、エルドグリース派に鞍替えしようとしていた。

「遠路はるばるご苦労であったなトロツカヤ子爵。我がアプロディタ・モコシュ・サムイルナヤ・エルドグリースだ。」

 9歳、同い年の少女の言葉とは思えない、圧倒的で尊大な、堂々した振る舞い。

 貴族の令嬢としての振る舞いとしては零点だが、支配者としての振る舞いとすれば満点であった。

 そんな彼女を咎めることはなく、蕩けた顔で愛おしく愛娘の頭を撫でるエルドグリースの当主サムイル。

 冷酷非情な戦略家であり、敏腕政治家。名声も悪名も高いルユブル王国の影の支配者と評される彼の姿はそこにはなかった。


 来客全員の挨拶が終わると、大人たちはそれぞれサムイルへのご機嫌伺いと味方作りに奔走する。

 一方で子供たちは、親の新たなコネクション作りや関係を深める為に奔走する。

 貴族社会…社交界では大人も子供もない。皆が家の為に仮面を被って振る舞う。

 

 そんな中で、ポツンと取り残された私。

 本来なら、取るに足らない子爵家の私は、様々な家の子に媚びを売らなければならないのだが、そうはせずに、部屋の隅っこで水の入ったグラス越しに輝く少女を見ていた。



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 ヤニーナ…大きくなったわね…

 お嬢様アプロディタ様の侍女としてパーティの裏から会場を覗った時、会場の隅に立つ少女から目を離せなかった。

 棄てた娘と、それを預けた男の姿を見て、二人の無事に安堵する自分の勝手さ、その自分勝手さ、罪悪感に押し潰されそうになる。

 あの時は、それ以外の方法が無かった。

 そんな言い訳はあの娘にも、あの人にも私の勝手な都合だ。

 赦されることは無い。決して拭えぬ罪…

 

 一人蹲って泣く。

 その涙さえ罪の様な気がした。




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 俺、オーレリアン・ブオナパルテは商家の一室を間借りした自宅でペンを奔らせていた。

 街で出会った男、マクシミリアン・ピエールを褒め称える、心にも無い文章を何枚、何十枚と書き、それらを魔法で作った板に写す。

 魔版といわれる印刷術で、通常の木版や銅版印刷に比べ技術が必要なく、容易に複製を行える。

 ネックとしては、そもそも魔法を使えなければならないということと、何百、何千という複製を行うには、途方もない魔力か、時間を擁するということだ。

 その為にあまり普及していないが、俺の魔力を以てすれば、一日に数百枚の複製が可能だ。


 あの男マクシミリアンは、このドドル王国が倒れた後、一時的に頂点に立つ。

 そう確信めいたものがあった。

 その男が頂点にある時、それまでの貴族や王族という存在は、大衆の敵となっている筈だ。

 その時に自身を救う措置と出世の足掛かりとしての準備がこれだった。


 己の力を示す機会さえあれば、それを容易に証明出来るというのに、その機会さえ与えられない弱小貴族である王政下。

 しかし、王政が倒れた場合には、大衆に恨まれ、咎人として扱われる。

 才は十二分だというのに、活路など皆無に等しい己の境遇を恨み、全てを捨て、野盗にでもなり、悪党の頂点に立とうかと思った時も数知れない。

 だが、そんな悲嘆に暮れる余裕が消え去った。

 

「女神を俺のものにする…」

 願望が決意となり、消えぬ野望の炎となって燃え盛っていた。

 ウックルの戦いで舞い降りた女神の姿は、今も瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。

 あれ以降、頭が冴え、最善の策や新しい戦術が湧き上がる。

 もとより自分は誰よりも優れているという自負があったが、今なら、どんな敵にでも勝てる気しかしない。そんな日々があの時以降続いている。

 そんな万能感は、あの時の願望をより一層強くさせる。


 あの女神の何もかもが欲しい。全て自分だけのものにしたい。

 その為なら、世界を全て支配出来る。

 

 瞼を閉じる度に、瞼の裏に映る女神の姿に鼓動が高鳴る。

 



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底辺貴族は英雄になりたくない まるまるくまぐま @marumaru_kumaguma

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