第28話 ヤニーナの呪いと奇人
「お母様…」
虚ろな目から涙を流し、そう何度も呟きながら、生玉葱を頬張る最も親しい友人を見つめる。
「居た堪れないわ…さっさと辞めさせなさいよ。」
そんな光景を悲痛な面持ちで見る憎き女に、そう顔を歪めて言う。
「そうですね…これ以上は耐え難いです。ヤニーナ
目にいっぱい涙を貯めて言う侍女長に、私は向ける先の無い怒りを胸の内に留めた。
「愛って、人を歪ませるわね…」
最大の憎悪を込めて、クレメンチーナへとそう歪んだ笑みを浮かべて言う。
「!!…ええ、本当に仰る通りです。」
動揺も涙も一瞬だけ。
冷淡な表情で私と向き合う彼女。しかし、その両の瞳から溢れんばかりの涙を隠せていなかった。
歪みは絡まり、幾重にも螺旋を形成する。
それは絡まりながらも、決して交わることなく、歪んだまま進み続けるのだろうか?
仮に、どれか一つが歪みを脱し、真っ直ぐか、他と交わった時、正しく進むのだろうか?
…それとも、新たな線がそれらを正しく導くのだろうか?
どれだけ考えようと、人の心は真の意味で理解出来ない。
私は引き攣った笑みを浮かべ、最も愛しい人…最も親しい友人であった筈の彼女を抱き締めた。
「お母様…」
迷子となり、親を失った童女が母を見つけ、再会した時に、それまでの不安や恐怖から解き放たれ、安心感に泣く様に彼女は私に縋り付いて泣いていた。
「ローディー…私だけのローディー…こんな形でしか愛せない私を赦して。」
縋り付く彼女があまりにも愛おしい。
彼女だけが私を見てくれる。
泣きながら抱き合う、そんな私たちを後悔と無念さに歪んだ表情で見るクレメンチーナを私はありったけの憎悪で睨んだ。
絶対に許さない。
今、彼女は私の望みを叶えた。
絶対に叶わぬ願いであったそれを叶えたのは、彼女の力だ。
しかし、絶対に許さない。
私を捨て、父を捨てたこの女を、生涯許すことは無い。
そう決意を籠めた憎悪の炎に燃え、睨み付ける私の瞳と、悲痛なクレメンチーナの瞳が重なる。
直ぐ様視線を逸らす彼女は、嘔吐を堪える様に蹲り啜り泣く。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
そう嗚咽混じりに呟く彼女に、私の怒りは更に燃え上がり、
「謝るなっ!!謝るくらいなら、なんで私を…私と父様を捨てたのよ!!絶対に許さない!!アンタが、死んだ方がましだと思う迄苦しめる!!…いいえ、死にたいと乞うても許さないわ!!」
感情のままにそう怒鳴った。
その怒声と同時に、腕の中でビクッと震える愛しい存在。
「お母様…怒らないで…ローディー良い子にするから…」
グスグスと泣きじゃくる、幼児返りした最愛の人が、上目遣いに私を見る。
「泣かないでローディー…貴女を怒ったんじゃないわ。貴女は私の大切の人。決して離さないわ。」
更に強く彼女を抱き締めた。
背中に突き刺さるのは、罪悪感。壁に掛かったアルテナイ婦人の肖像、その瞳。
「お母様…」
あどけない声で私を心配するローディーの声。
彼女を歪ませたのはクレメンチーナだが、命じたのは私だ。
愛で歪み、愛で歪ませた。
アルテナイ婦人の瞳は、そんな罪悪感を責めている様に見えた。
真実を知る私は知っている。彼女は歪みながらも、最後まで娘を愛していた。
それを知る私は、彼女の瞳に耐える様に、愛しい存在を抱き締め、蹲った。
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「おっ、やっぱいい酒があるじゃねぇか。」
そう言うと、勝手に棚を漁り、勝手に酒瓶を開ける。
「勝手に人の部屋を物色するな!!…そもそも、勝手に人の部屋に入るな!!」
了承もなく勝手に上がり込む不躾にも程がある男、ルーカスにそう怒鳴る。
しかし、当の本人はどこ吹く風で酒を煽り、
「高ぇ酒は旨ぇが、口に合わねぇな…」
そんな感想を漏らし、二杯目を注いでいた。
だったら飲むな!!本当に高いんだぞ!!
「それで…なんの用だ、ルーカス?」
不躾極まりない男へ溜息混じりに訊ねる。
「用ねぇ…別に用はねぇんだが、聞きてぇことがあってな。」
ヘラヘラと無精髭の伸びる口元を歪ませながらルーカスは酒を煽る。
「聞きたいことだと?だったら早く言え、私は忙しいんだ。」
そう、主より申し使ったペチェノ嬢の護衛任務の仕度があるのだから。
尤も、同じ任務を申し付けられた筈の男は、呑気に人の部屋で勝手に酒を煽っているのだが…
「オメェ、ジークリンデと何回ヤッたんだ?」
「な、何を言っているんだ!!」
予想外の質問に声が裏返る。
「ヤッたんだろ?」
ニヤニヤとゲスな笑みを浮かべながらルーカスは詰め寄る。
「お、俺は何もしていない!!」
本当に何もしていないのに、何故か後ろめたさを感じながらそう声を荒らげる。
そんな俺の反応を見たルーカスは驚いた様に目を見開いた後、大きく溜息を吐いた。
「嘘だろ…オメェ。あんだけ言い寄られて抱かねぇなんざ、男が腐るぜ?だからいつまで経っても俺に勝てねぇんだよ。」
「それとこれとは関係ないだろう!!」
ルーカスの言葉に反論するが、
「関係あるさ…その時の最も適切な判断、そいつは鉄火場でも同じだ。」
奴は、ヘラヘラと笑いながらも、歴戦の猛者、それに相応しい目でそう言った。
「かと言って、旅路で盛るなよ?」
戸棚から更に一瓶酒を持ち出し、ルーカスは部屋を出た。
「何を考えている…『スビスの悪魔』…」
チンピラから裏稼業の元締、その後山賊となり、最終的に傭兵としてその力を大陸中に轟かせた男は、現在、俺と共に主、アプロディタ様の近衛騎士団、その分隊長となった。そんな男の悪名を呟く。
ティゲル・ルーカス。
魔力の量は俺の半分以下であり、適切な戦闘訓練や指導を受けたことは無い。
しかし、並外れた戦闘センス、野生的本能で数多の強敵を屠った悪党。
現在、俺とルーカスの直属の上司である御人が彼を『生まれつきの強者』と絶賛したが、その通りだと思う。
単独戦力としても、部隊指揮官としても、奴の判断は常に最善で、最高の結果をもたらす。
天性の本能と勘。
それだけで死地を幾度も笑いながら潜り抜けて来た本物の強者。
どうしようもないクズだが、その実力だけは認めざるを得ない。
ルーカスにあの御人…アプロディタ様の騎士として、越えねばならない壁は高い。
そして、一番高い壁が守るべき主なのだが…
アプロディタ様の高過ぎる壁は置いておいて、いつまでもルーカスやあの御人に負けてはいられない。
決意を再度固めた俺は、王都へ向かう準備を整えベットに横たわった。
目の眩む程美しい主と、扇情的なジークリンデの姿が悶々とさせ、結局一睡も出来なかった。
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鶏の声で目が覚める。
シャンバルの兵舎では毎朝この起こされ方をしている。
起床時間から三分以内にシーツと毛布を寸分違わず畳み、整列するのが慣わしだ。
廊下に整列する兵士は皆、眠気を感じさせない目で不動の姿勢を保っている。
名目上は『シャンバル駐屯兵団』だが、実態は、サムイル・モコシュ・エルドグリース様…要するにエルドグリース家の家長が組織したアプロディタお嬢様の護衛兵団だ。
生まれも育ちもヴィドノで、エルドグリース家への忠誠を誓って生きてきた俺にとって、サムイル様の娘であり、女神の再臨と称されるアプロディタ様にお仕えするのは最高の名誉だし、着任の際、謁見したアプロディタ様の御姿はあまりにも美しく、女神の再臨どころか、女神そのものに思えた。
憧れだったエルドグリースの私兵になり、夢のまた夢だと思っていたアプロディタ様のお側に仕える。
そんな天にも昇る気持ちで着隊した『シャンバル駐屯兵団』の団長は変人だった。
毎朝、鶏の声で起きると言ったが、あれは嘘だ。
毎朝、鶏の声を真似して兵舎を走り回る団長によって起床している。
その後行われる朝礼でも、団長は飽きたのか、奇声を上げて降り積もった雪にダイブしたり、突然朝礼台に寝そべったりしている。
朝から晩まで酒を飲み、奇行を繰り返す。
そんなヤバい団長だが、彼の経歴を知らない者は、ルユブル王国どころか、この大陸に存在しないだろう。
元ルユブル王国陸軍元帥、アレキサンドル・スヴャトスラフ。
アプロディタ様がドドル王国との二十年に渡る戦争をたった一人で終止符を打ち、大英雄となる以前、ルユブル王国における英雄はスヴャトスラフ元帥であった。
無敗の奇人。
それがスヴャトスラフ元帥の異名。
奇行に事欠かないし、どう見ても奇人変人の類なのだが、部隊を指揮させれば百戦無敗の名将と化す変なおじさんなのだ。
そんな変なおじさんは、ドドル王国との開戦直後、エルドグリース領への救援を王に直訴したが断られた為、罵詈雑言と鋭い右ストレートを放った。
王さえ恐れぬその奇行に、死刑は確実と思われたが、あまりにも功績が大きく、元帥解任と蟄居を命じられ、長い雌伏を過ごしていたが、変人大好きなアプロディタ様が、彼を自身の近衛団長として雇用し、今に至るという。
「アプロディタ様の美しい姿を一目見たい…」
こんな変なおじさんより、美しい英雄に起こされたい。
そんな願望が呟きとなって無意識に漏れる。それを皮切りに、
「俺も。」
「俺もだよ…俺はアプロディタ様の下僕なのに…」
そう皆が口々に漏らし始めた。
「さて、今朝は川での水錬だ。」
そんな俺たちの不満が聞こえたのか、聞こえていないのか、団長はとんでもない訓練を課す。
「儂の毎朝の日課だ!!冷たい水は頭を目覚めさせるからな!!」
そう言って迷わず凍った川に飛び込む団長。
イカれてる…
「何をしている!!さっさと飛び込め!!」
元気いっぱいに極寒の地の川を泳ぐ団長から激が飛ぶ。
「畜生!!死んだら一生恨むし、呪い殺してやる!!」
皆でそう叫びながら川に飛び込んだ。
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