第27話 アルテナイ

「なんで突然言うのかなぁっ!!」

 与えられた自室で、バタバタと仕度を始めた私は、横暴な女神もどきに悪態をつく。

 因みに、女神もどきことアプロディタ様はこっぴどくヤニーナ様とクレメンチーナさんに叱られたらしく、夕飯の席では、凄くしょんぼりとしていた。(デザートを抜かれて絶望していた。)


「姐御はいつでも突然仕事振るんだ、クソガキ、オメェは姐御のペットなんだ、これからは、何時でも動ける様に準備しておくんだな。」

 そんな大慌てで旅立ちの準備をする私を、ベットに腰掛けてボトルに入った酒を煽るのは、ジークリンデさんだ。

「知ってたならもっと早く教えて下さいよ!!…ちょっと待って下さい、ペットってなんですか!?」

 彼女の言葉には、不穏なものが混じっていた。

「なにって、オメェは姐御の愛玩動物ペットなんだろ?だったら棄てられねぇ様に、御主人様にケツ振って生きていくんだな。」

 私の質問に答えた様で答えていない返事が、ゲップと共に返ってきた。


 ジークリンデさんの言葉をあまり深く考えず、忙しなく準備を進める私の耳に、扉をノックする音が聞こえた。

「リリー様、ご準備の方は進んでおりますか?」

 ヤニーナさんの淡々とした声が扉越しに聞こえる。

「は、はい!!…えっと、入って大丈夫ですよ?」

 恐怖の教育係であるヤニーナさんの声だけで、私は萎縮してしまう。

 彼女のマナー講座が始まって依頼、ヤニーナさんに対する認識は変わっている。

 初めは優しいしっかり者のお姉さんで、アプロディタ様という暴れ馬の手綱を取れる唯一の人だと思っていた。

 しかし、現実は違う、冷淡に鞭を振るう恐怖の教育係。

 アプロディタ様の言葉通り、逆らう気さえ起きない恐怖による指導は、たったひと月未満で、私を反射的に萎縮させるのである。


「失礼致します。」

 音を立てずに入室したヤニーナさん。

「え、えっと…」

 無表情な彼女から、なんの意図も読み取れず、言葉に詰まる。

「明後日には出立ですので、入念な準備をお願い致します。」

 淡々と述べるヤニーナさんは、私にパンパンに詰まった革袋を差し出す。

「それと、お嬢様から、支度金を預かっております。」

 恐る恐る受け取った私の手に、想像以上のずっしりとした重みが伝わる。

「路銀として使えということです。」

 そう淡々というヤニーナさんだが、私はあまりの重みに、目を白黒させていた。

「エルドグリースの家紋を使って王都迄向かうことになります。家名に恥じぬ振る舞いをお願い致します。」

 一礼してそう言うヤニーナさんは退室した。

 

 恐る恐る革袋を開く私。

 パンパンに詰まったその中身は、全て金貨であった。

「随分と羽振りが良くなったじゃねぇか…倍に出来るところを教えてやろうか?」

 ニヤニヤと革袋を見ながら笑うジークリンデさん。

「お断りします!!というより、こんな大金…無駄にしたら、それこそ死刑ですよ!!」

 アプロディタ様が私に預けた支度金は、豪奢な生活を一年送れる程度の額であり、我がペチェノ家の食事事情なら、百年近く食事にありつける金額だ。

 そんな大金をポンと渡せるアプロディタ様の力を再度思い知ると共に…

「本当に箱入り娘なんだなぁ…」

 金銭感覚のぶっ壊れた女神もどきこと、アプロディタ様と、平民以下の貴族もどきたる私の生活水準との違いを思い知り、溜息を漏らした。



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「あのがここに来て以来、随分と騒ぎが続くわね。」

 女神の如き容貌と力を有する、数少ない心許せる友人が襲来して以来、毎朝起こる市民の喧騒をバルコニーから見る私は、ベットに横たわる、愛しい夫にそう伝える。

「頼む…部屋に入って全てを閉ざし、君の声以外聞こえない様にしてくれないか…」

 涙を堪えた様な声で言う夫の意思に従い、室内に入り、出窓を閉める。

「民衆は何故、何の罪も無い君を責め立てるんだ…」 

 室内に入った私を見て、夫はベットに寝そべったまま、天井を見つめ、泣きながらそう呟いた。

「私が帝国の娘だからでしょ。そんな分かりきったことを嘆くなら、離婚でもする?」

 泣きじゃくる夫の横に寝そべり、そう問う。

 私にその気は無い。この人に生涯を捧げると誓ったから。

 でも、彼が望むなら、それを受け入れるつもりだ。


「マリアンヌ…君と離婚するくらいなら、ここで死ぬ。君を失うくらいなら、全てを捨て、奴隷以下の身分となっても君を愛する。」

「私も同じよ。貴方を失うなら、首を跳ねられても構わないわ。」

 子犬の様に泣きじゃくる彼を抱きしめ、そう確信に似た本心を伝える。


 例え、この首が跳ねられようと…歴史に稀代の悪女と記されようと…

 

 貴方を守る。


 そう決意を固めてはいるが、希望は捨てない。


 助けて…


 この状況を変えることが出来るのは実家か、全てを覆す女神の如きあのだけだ。

 

「届くのかしら…私の願いは…」


 例えこの身が地獄の業火に焼き尽くされ様と、この人だけは…愛する者だけは守る。

 そう覚悟しながら、泣きじゃくる夫に気付かれぬ様に、静かに涙を流した。




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「甘味か、酒を我は欲しているのだが…」

 恐る恐る言う我の要望を、ヤニーナとクレメンチーナは冷たく見下ろす。

「何故、我の前にコレがあるのだ?」

 我の前に置かれた生の玉葱を指し、そう問うた。

「それを完食する迄、甘味もお酒も抜きです。」

 鞭を片手にそう淡々と言うクレメンチーナ。

「待て、生玉葱コレを丸々我に食せというのか?」

 我の最も嫌う食物を丸々一個、しかも生で食せと言われ、流石に異議を唱える。

「た、確かに、伝達を怠った我の落ち度だが、だからといって、この忌まわしき食物を食す理由にはならんだろう!?」

 大っ嫌いな玉葱を指し、そう叫ぶ。



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「なら、これから一生、甘味とお酒を断ち、私から離れて生きていくということですね。」

 そう淡々と言う私の言葉に、瞳いっぱいに涙を貯め、絶望した表情で私の顔を見るお嬢様。

 それを無表情にツンと見放す仕草をする。

「食べる!!食べるからぁ~!!捨てないでっ!!」

 グスグスと泣きじゃくりながら、大っ嫌いな玉葱に齧り付いたお嬢様。

 奥様が…お嬢様の母であるアルテナイ様が亡くなってから、お嬢様の精神面の成長はその時から完全に止まっている。

 それは、お嬢様にとっては最愛の人であるのに、その最愛の人である母から最後に向けられたのが憎悪であったからなのだと、私は思っている。


 私がエルドグリース家に雇われ、アプロディタお嬢様専属の使用人となったばかりの頃、アルテナイ様は、超一流貴族であるエルドグリース家の御婦人としては異質な、天真爛漫さと、庶民的な価値観で生きている御方であった。

 アルテナイ様は、庶子の子である私よりも遥かに低い身分から、旦那様…エルドグリース家の当主であるサムイル様の寵愛を受け、旦那様の全てとなる長女を産んだ御方。

 本来なら、エルドグリース家中において絶大な力を持つことが可能であったにも関わらず、アプロディタ様の誕生以降、忘れられた様にエルドグリース邸の敷地内の片隅に造られた別邸で静かに庭園を愛で、魔石を弄る生活を送られていた。

 その要因は二つある。

 一つは、アルテナイ様自身に野心が無かったということだ。

 …正確に言うなら、旦那様の愛妾となった時点で、彼女の願望は達成されていたということだ。

 そして、もう一つの要因は、寵愛の末に産んだ子が、アルテナイ様の世界を変えてしまったということだ。

 

 アルテナイ様の産んだアプロディタ様を見た瞬間、それまで色欲と権威欲、支配欲求…欲の権化であったサムイル様が別人となってしまった。

 寵愛を注いだアルテナイ様に目もくれず、アプロディタ様だけを愛された。

 エルドグリース家が揺いだ瞬間であった。


 サムイル様には、多数の御子息がおられる。

 それと同時に、多数の御婦人がおられる。

 我が欲のままに性欲を発散されたサムイル様には、子も婦人も無数に存在するが、そのどちらに対しても旦那様が興味を示されることは無かった。

 御婦人方に関しては、子を孕めば興味を無くし、ご子息様たちに関しては、産まれる前から関心を示されなかったと聞いている。

 そんな人の心が無い筈のサムイル様が、初めて関心を示したどころか、常軌を逸する重寵愛を初の娘、アプロディタお嬢様だけに注ぎ、エルドグリース家中は混沌を極めた。


 誰が寵愛を受けようと、最も優秀な子が家督を継ぐ。

 人の心が無いと思われていた現当主、サムイル様は、御婦人方にそう思われていた。

 しかし、アルテナイ様がアプロディタ様を産まれ、それまでとは異なる寵愛をアプロディタお嬢様だけが一身に受ける様になったことで、危機感に駆られた御婦人方、ご子息方にも動きがあった。

 全ての勢力図が書き換わる。

 貴族社会における地位や権威を全て無視し、庶子の子が、大陸で最も裕福な大貴族の当主となるということを、御婦人方は許容出来なかった。


 アルテナイ様とアプロディタ様に対する陰湿な嫌がらせや攻撃は、そこから始まった。

 そんな攻撃が度を越し始めた頃に、私はアプロディタ様専属の使用人となった。



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 使用人としてエルドグリース家に仕える様になった時、アルテナイ様は優しい主人であった。

「クレメンチーナ…私と同い年ね。」

 私に対し、超一流貴族の御婦人都は思えぬ天真爛漫な笑顔を向けるアルテナイ様は、甘えて抱きつく我が子、アプロディタお嬢様を抱き締めながら言った。


 私のお仕えするアプロディタ様は、手のつけられないじゃじゃ馬で、桁外れの魔力と、常軌を逸した天才的な魔法を行使し、悪戯三昧の日々を送っていたが、

「こらっ!!ローディー!!何度言ったら分かるの!!」

 そう言って叱りつけるアルテナイ様の姿に、我が子を思う愛を感じる。

 我が子を他者に預けた私には、それが後ろめたくも、羨ましく感じていた。


 日々悪戯を繰り返しては母に叱られるアプロディタお嬢様。

 懲りずに何度も繰り返す彼女の異常な行動。

 その原因に私は思わず問うたことがある。


「お嬢様の行動は寂しさからです。」

 誰の手にも負えないお嬢様の暴走。

 それを止めることが出来るのは、母であるアルテナイ様だけ。

 そうなる様に仕向けた主人たる幼い少女の、未熟ながらも確かな戦略を評価しながら、それを理解しながらも、ほんの僅かな時間だけ彼女を叱り、抱き締めるだけの母を諌めた。

「愛したくても、愛せないのよ。ローディーは愛しい我が子…愛おしくて、愛おしくて仕方ない、たった一人の我が子。」

 そんな私を見ずに、産まれたばかりの娘を描いた絵が飾られた額縁を見つめるアルテナイ様。

「好きでも無い相手に毎日抱かれ、宿し、死ぬ様な痛みに耐えて産んだあの子…愛おしいのに…憎くて仕方ないのよ。」

 流れ落ちる彼女の涙と共に溢れ出す感情。私は何も言えなかった。

「愛する人の為に身を差し出した。そこで私は終わったの…」

 とめどなく流れる涙を拭うことなく、アルテナイ様は疲れ切った表情で言う。

「終わった私が縋り付くものさえ奪ったあの子を…私が愛することは出来ないわ…」

 

 それからというもの、お嬢様が如何に悪戯し、暴れ回ろうと、アルテナイ様が出て来ることは無かった。

 己の行動の無意味さに気付いたアプロディタお嬢様は、毎日アルテナイ様の籠もるお部屋の前に膝付き、何度も謝り、泣き叫んでいた。

 そんな少女の姿は、彼女と同い年の娘を捨てた私にとって、あまりにも痛々しかった。

「お母様っ!!お母様ぁっ!!」

 泣き叫ぶ少女をただ無言で抱き締めていた。


 その数日後、アルテナイ様は自ら命を絶たれた。

 我が子の首を絞めながら。

「アンタなんか産まなきゃよかった!!」

 そんな憎悪の言葉を残して。








 




 

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