それでも私は『正しくない』――技術と倫理をめぐる日常の話

多賀 夢(元・みきてぃ)

それでも私は『正しくない』――技術と倫理をめぐる日常の話

 私は、監視されるのが大嫌いだ。管理されるのも大嫌いだ。

 だけどある日、彼にスマホの位置情報の共有を強制された。


 私の彼は双極性障害だ。その頃の彼は『躁』という状態で、威圧的で、自分が正しいと疑わず、暴力的な言葉で私を責めるだけの状態だった。つまりは超めんどくせえ怒れるオッサンである。

 私は共有が簡単に外せる事を知っていたので、文句を呑み込んで従った。

 彼は勝手に職場に迎えにきては、急いで残業を片付けた私に対し「俺の位置が分かっているのに、それに合わせて退社しないのはどういうことだ!」と怒鳴りつけていた。女だらけの派遣先なのに浮気を疑われ、しつこく責められたこともあった。

 相応にやりかえしてはいたけれど、私の精神は激しく壊され、その派遣先はクビになった。



 ――というのが、去年の秋のお話。

 今はというと、彼を監視しているのは私である。

 彼の定時時間になると、彼のスマホの位置を確認する。


 位置が動いていなければ、残業。

 動いていれば、これから車に乗って帰宅。


 それに合わせて、在宅でやっている仕事をもう少し頑張るか、それとも止めて米を研ぐか決定する。

 彼は現在『鬱』の状態。体も辛いようで、残業を断って帰ることが多い。私は大抵すぐにPCの電源を切って、台所に立つことになる。


 自宅と職場は車で約20分の距離。その間にも、ちょくちょく位置情報を確認する。米をしかけたら彼に電話して、今日の仕事がどうだったか尋ねる(うちの車はフリーハンド通話機能搭載です)。

 彼は今の職場に合わないらしく、毎日疲れ切って帰ってくる。だけど自分のストレスや感情には非常に鈍感で、無表情のまま溜め込み病状を悪化させてしまうのだ。だから仕事直後の声を聴くことで、働いた後のコンディションを確認し、職場で言われた言葉なども聞き出し、彼のガス抜きを兼ねて職場の情報収集もしているのだ。

 意識が飛んで事故を起こすのを防ぐ意味もある。実際、今の職場に移って派手な自損事故を起こしている。


 それからうちのアパートにマーカーが移動してくるのだけれど、彼がすぐさま玄関に向かう事はない。仕事と運転で集中力を使い果たし、車中でそのまま寝てしまう。

 私は彼をそのまま置いておき、彼が復活する時間を見計らって車に向かう。

「お疲れ様。大丈夫?」

 彼はもう何も言わない。虚ろな目で首をわずかに横に振り、それでも必死に運転席に座り直そうとする。夕飯の買い物をしなきゃと焦っている彼の背を、ぽんぽんと叩いて慰める。

 そしてやっと不安な夕方が終わり、直接見守れる夜が来る。



 最初に言ったように、私は監視だの管理だのされるのが嫌いだ。

 私は自分が嫌な事を、他人にするのも嫌だ。相手が好もうが許そうが、自分に反映して考える質の私にはやっぱり耐え難いのである。

 今の彼は、私がこうやってスマホ越しに監視している事をなんとも思っていないだろう。彼を疲れが襲って運転ができなくなったり、実際に自損事故を起こしたり、そういう事があっての監視行為でもある。頼りにしているかも知れない。

 しかし、監視や管理を行うときは確実に上下関係が発生している。人はみな平等という憲法の精神からしても、私の行為は『正しくない』。

 ――世の中に間違いはない。だけど『正しくない』は、存在する。


 私は、技術に倫理は問えないと思っている。過去には『技術が悪い』とした判例もあるが、それでも問われるべきは絶対に使う人間側の倫理だ。そう確信している。


 だから便利に利用しながらも、いつも一人で自問自答し苦悶している。

 明らかに精神状態が異常な彼であろうと自由にすべきか、逆に罪を被る覚悟で監視を続けるか。

 迷いながらも、結局は夕方になるとPCからマップを起動させる。そして動く彼のマーカーに安堵するのである。


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それでも私は『正しくない』――技術と倫理をめぐる日常の話 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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