あけすけ人型スマートフォン『全開ちゃん』
λμ
元町依子、スマホを買い替えに行く。
やばいと思ったときには遅かった。
「……えっぐ」
棚に並ぶ色形も様々なスマートフォン群に、依子は誰に言うでもなく呟く。種類の多さにも引くが、値段がエグい。四、五万は当たり前。最新型なら二桁万もある。コロナでバイトも苦しい昨今、
「慎重に選ばねば……」
むむむ、と眉を歪める依子。慎重に決めるべきだと気付く脳みそはあるが、パンフレットを持ち帰って見比べるという発想はない。
その肩を、ポン、と叩くモノがあった。
「もし、お嬢さん」
少しハスキーな女の声だった。
店員さんかな、と依子は振り向く。額の皺が深まった。
イカれた格好の美人さんが、片手を腰に立っていた。
さっぱりとした短髪、色白で、化粧っ気は薄いがはっきりとした顔立ち。ここまでは完璧。だが、服装はどうだ。
深い胸の谷間を見せつけるチューブトップ。へそ丸出し。腰巻きじみたタイトなミニに膝丈レザーブーツ。まるでレースクイーン。または、青と白のコンパニオン。
――あ、コンパニオン。
いまどき珍しいなと思いつつ、依子はせっかくだからと笑顔を向ける。
女は可愛さより爽やかさの強い笑みを浮かべて言った。
「よろしければ、こちらもご覧ください」
はいはい、どちらでしょう、と笑顔で頷く依子。両手を広げる女。小首を傾げる依子。くるりと回る女。両目を瞬く依子。手を頭上高くに伸ばしてグラビアポーズを決める女。
「――はい!?」
思わず、依子は頓狂な声をあげた。
女は自信満々に言う。
「私、あけすけ
ビシッと今度はヴォーグなポーズ。
やべーのが来たな、と依子は内心でファイティングポーズ。
全開ちゃんは一切動じず続ける。
「私いま! 大変、お求めやすくなっております!」
「……正気ですか?」
なんとか依子が声を絞ると、
「機械に狂気がおありだと?」
全開ちゃんの哲学的返答があった。知るかよ、と依子は思った。
だが、この手の輩はあからさまに否定するとヤバイと聞く。まずは話を合わせるべく依子は唇を湿らせた。
「えっと……スマートフォン、さん、でいらっしゃる……?」
「機械にさん付けとか」
ウケる、と続きそうな片笑み。なんかムカつく。依子はひきつる頬を隠すように顔を背けながら訊ねる。
「どのへんがスマートなんですか」
しまった。ちょっと嫌味な言い方になった。慌てて顔を戻すと、
全開ちゃんがただでさえ長い足をことさらに長く見せつけるように片足に重心を寄せ、力強さを感じさせる健康的な腕を、見事な弓形を描くくびれに置いて、言った。
「この辺です!」
「――――だぁぁぁぁぁありゃぁっ!」
依子は足元に向かって叫んだ。そうだけども。そうだろうけども。コロナでちょっぴりたるんだ私の腹とは違うだろうけどもだ。
「電話だって?」
「はい! あけすけ人型スマートフォンの全開ちゃんです!」
「……頭痛がしてきた」
「熱はありません」
「――は?」
「このご時世ですからカメラ型体温計も標準装備です。お客様の体温は三十五度八分です。平熱。ゆえに頭痛の原因は、他!」
他、だけ大声で言った。全開ちゃんは両手をあげ、精巧なフィギュアか大理石像かという美しき両腋を見せつける。
「さあ、お手にとってご覧ください」
「お、お手にって……」
イカれた格好のイカれた女が触れと言う。そうとしか思えない。触った瞬間、法的処置がどうたらとか言いすんじゃあるまいか。
依子が不安の眼差しを向けると、全開ちゃんは誘うような目つきをして言った。
「怖がらずに」
掠れの入った声が、不思議と耳に馴染んだ。高まる緊張。依子は辺りを見回す。人影なし。落ち着いた声が言う。
「誰も見てないよ」
依子は小さく喉を鳴らし、恐る恐る手を伸ばす。目指すは脇腹。どこに触れてみるか悩んだが、足尻腰胸腕のうち一番、無難に思えた。指先が触れた。ちょうど人肌の温かさ。柔らかく、すべすべとした感触。
「いやん」
と、無感情な声が降ってきた。
依子はなにかを侮辱されたような気分になりながら全開ちゃんの顔を見上げる。どこか誇らしげというか、頼もしさを感じる笑顔だった。
「お客様、欲情されましたね!?」
アホほどデカイ声。依子は一瞬で真っ赤になり、大声で叫び返す。
「欲情!? しないわ! してたまるか!」
「ご安心を! この私あけすけ人型スマートフォン『全開ちゃん』は! 心拍! 発汗! 体表面熱量! 視線の微動から完璧に! お客様の欲情を把握しています!」
「だ、だからしてないっつの!」
「恥ずかしがることはありません!」
ガッ、と力強く依子の両肩を掴み、全開ちゃんは急に落ち着いたハスキーボイスに戻して言った。
「外見的同性、しかも無機物に発情するとか、すげー人間的ですよ」
「だから発情してねーって――!」
依子は思わずマスクを下ろして叫んでいた。はっ、と口元を手で隠す。サムズアップ全開ちゃん。
「防水加工グレードⅢですから、いくら汚してくれても大丈夫ですよ」
「あっそ……って、表現が下品なんだよバーカ!」
耐えきれず、依子は吼えた。
「なんなんだよ! 女型に、その格好! おっさん臭いんだよ! 加齢臭プンプンだよ! 防水加工って表現がゲスいんだよ!」
「お客様、私の開発者はお――」
「おっさんだろ!? 言われなくても分かるんだよ!」
「いえ、おばさんです」
「――――あぁ!?」
理解に時間をかけて吼えた依子に、全開ちゃんは真顔で言う。
「おばさんのシモネタは生々しくて笑いにくいものです」
「急に真理を突くなぁ!!」
ほとんど涙まじりの叫びが床に弾む。荒立った息。肩を抱く全開ちゃんの手。
「だいゔぁしちー」
「英語は下手か!」
心が休まる暇もない。
「だいたい、その喋りはなんだ! タメ語が混じってるじゃねーか!」
「ご希望なら変えられますが」
「あぁ!?」
「猛虎お嬢様弁がプリインストールされています」
「さっさとアンイストールしちまえ!」
喉が痛む。息が苦しい。胸元を押さえた手に、全開ちゃんが手を重ねる。慌てて顔を上げると美人がいい顔で待っていた。
「他にもいくつかアプリが入っています。ご覧ください」
「は、はぁ……!?」
ご覧くださいって、何を。
困惑する依子に、全開ちゃんが顔を急接近させる。
「私の目の奥を、どうぞ」
「……へ?」
迫ってくる美人。どぎまぎしながら見てみれば、吸い込まれそうになるくらい美しい瞳の奥に、どっか記憶に懐かしいアイコンの群れがあった。
「んんんんんんん……?」
あ、これホーム画面だ。気づいた瞬間、依子は固まる。ほとんど鼻先がぶつかる距離。吐息がかかっているはず。やばい。歯ぁ磨いてきたっけか。
知ってか知らずか、全開ちゃんは囁いた。
「息、ちょっとクセェ」
「殺すぞテメー!」
慌てて身を離す依子。
全開ちゃんは当然とばかりに言った。
「本番で人に言われるよりいいのでは?」
「あぁ!? あぁ……? あぁ……」
そうかも? と依子は首を傾げた。
「どうぞ、お出かけ前に、全開ちゃんで口臭チェックを!」
朝起きて、歯ぁ磨いて、リステリンでゆすいで――
「全開ちゃん嗅いでみてーじゃねぇよ! なんだそれ! 恥ずいだろ!」
「やっぱり機械相手に発情してるじゃないですか!」
「うるせぇ!? てかお前、電話だろ!? 電話してみせろ電話ぁ!」
「はい! どこにかけます?」
全開ちゃんはもちろん胸を張る。電話なのだから当然だ。
依子は唖然としながらも、誰にかけるか考える。番号というものをまともに叩いたことがないので実家くらいしか出てこない。
「……XXX-XXXX……」
「かしこまりー。私、通話品質には自信があるんですよー」
軽く言って、全開ちゃんはどこからともなく携帯電話を出した。いわゆるガラパゴス携帯というタイプ――
「って、おい! 携帯じゃねーか!」
「どちらの耳をお使いになります?」
「あ!?」
「ですから、耳です」
言って、全開ちゃんは少し腰を曲げ、右耳、左耳の順に髪をかきあげ形をみせた。
「こちら、送話口になっておりまーす」
「はぁ!?」
「片方の耳は電話で塞がるので、どちらがよいかなと」
「え!? あ!? あー……じゃ、じゃあ、右で……」
耳たぶについてる赤いピアスが気になったので。こくりと喉を鳴らす依子。全開ちゃんは躰を起こし、ペポピとプッシュ、受話器を右耳に押し当てた。
「って逆ぅ! 私が使いたいのが右ぃ!」
「右ですが」
「向かってな! 向かって右な! そういうときだけこっち中心に考えんな!」
「あ、かかりました」
言うや否や全開ちゃんは、グイッ、と依子を抱き寄せた。突然の事に固まるしかない。すぐに気付く。耳が送話口なら受話口は。
全開ちゃんは依子をしっかりと抱きしめ、耳元で囁く。
「もしもし。どちらさまですか?」
耳から入って脳みそを掻き回してくる全開ちゃんの声。ぞぞぞ、と依子は思わず伸び上がる。すると全開ちゃんはさらに強く抱きすくめ、耳元で繰り返す。
「もしもーし。聞こえてますかー?」
依子は一音ごとに吹きかけられる吐息で耳を真っ赤にしながら、なんとかいう。
「ね、ねーちゃんだけど」
「ん? ああ、より姉?」
弟らしかった。全開ちゃんの声のせいで弟の顔など浮かばないが。
「どしたん? 声、震えてるけど」
おめーの声のせいでなぁ! 心中で叫びつつ、依子は言った。
「……ねーちゃん、スマホ、買い換えるわ」
なんだこれ。ずりーよ。この心細い頃合いに人肌の温もりといい声て。
依子は抵抗を諦め、全開ちゃんの背中に腕を回した。
「私、税込み一万九千八百円になっておりまーす」
異様な安さが、依子の諦念を揺さぶった。
あけすけ人型スマートフォン『全開ちゃん』 λμ @ramdomyu
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