BURS

久浩香

BURS

 その昔、SARSコロナウイルスⅡという病気が世界中に蔓延した。この病は、接触感染や飛沫感染し、若年層の致死率は1%未満であったが65歳以上で感染すると反比例のカーブを描いて跳ね上がった。つまり、若く自覚の無い保菌者が動き回り、その菌を受け取った老人が持病を抱える者の命を奪っていたのだ。互いの保菌の可能性を警戒し、遠方に住む肉親とも自由に会うのが難しい状況に追いやられた。特に、別居している祖父母の元に子供世帯が会いに行く事は強く自粛を勧められた。それが祖父母の命を守る為であると推奨されたのだ。やがて、ワクチンや治療薬も開発されたようだが、その後、それまでのコロナウイルスを凌駕するBURSが流行した。

 これは、SARSⅡの致死率が65歳以上であったのに対し、40歳から1%を越え始めた。SARSⅡで芽生えた他人との接触を避けるような風潮は、それまで煽りまくっていたメディアが鎮火に転じたところでどうにもならず、政府は、親世代から学齢に達した子供達を遠ざける手段を執った。親達はもちろん我が子と一緒に暮らす事を切望したが、感染した我が子から感染し、自分が命を落としては本末転倒であるとして、政府の方針に従った。


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 私が自分のスマホを持ったのは、6歳の2月の事だった。

 市役所からドローンで送られてきたスマホに電源を入れた母が、私の認識番号を入力すると、市役所からのメールが届いており、それには、私が3月から暮らす事になる学生マンションの場所と部屋番号が書かかれていた。その日から引っ越しの日まで、それまで以上に家族でくっついて過ごし、無人タクシーが待つエントランスに降りるのを嫌がってぐずり、家族で抱き合って別れを惜しんだ。

 両親に直接会ったのは、これが最後である。

 タクシーのQRコードリーダーにスマホをかざしてマンションのエントランスに到着した私は、予めアクセスしていたマンションのサイトに映し出されたエントランスから自分の部屋への道案内を頼りに部屋へ向かった。机の上にはパソコンやタブレットと一緒にBURS検査キッドが置かれていた。

 人に会う事は殆どなかった。食事は、マンションのサイトにアクセスすれば、栄養バランスの考えられた無料の食事が毎食3パターンから選べたし、洗濯物は脱衣所のダストシュートに放り込めば、食事が運ばれるのと同じ昇降機に乗って戻ってきた。掃除だけは自分でしなければいけなかったが、それも自分の部屋だけの事なので、難しい事ではなかった。

 授業は、学校のサイトから届くメールから、URLをタッチすると、見るべき授業の動画サイトへ飛ぶので、そのページでログインし、夕食の1時間前に、その日学んだ事についてのテストがあり、その答案によって、次の日に受ける授業内容が変わるらしかった。屋上にある個室のVRルームは予約制で、室内に戻った後、検査を免れた日光に当たれる場所は、ベダンダとそこしかなかった。体育の授業でVRルームには二日に1度はいかなければならなかったのだが、その間に、パーソナルロボットが室内のクリーニングをし、布団やカーテンといった物を交換しているようだった。子供のBURSでの致死率はほぼ0%であるが、将来に向けての予行練習である。

 夕食後の1時間は、両親とリモートでその日の出来事を喋ったりした。

 入学当初は、両親が傍にいない事が悲しくてせつなくて、泣いたりする日が続き、この時間を待ち焦がれていたが、いつの間にか、そこに両親がいない事は普通の事となり、義務教育を終える頃には、その1時間のリモートが、なんとなく億劫で、その時間に動画を見るとか、ゲームをするとかをしたいと思うようになっていた。

 義務教育期間の生活費の内、無料配布分をオーバーした金額は両親が支払っており、高校へ進学するには6歳の4月から今迄に貯蓄された自分名義のベーシックインカムを使用するものなのだが、私の両親はそれぞれ家の中でできる仕事に就いており、進学にかかる費用は両親が出してくれるとの事だった。

 高校に進学するといっても、学校に通うわけではない。授業の受け方はこれまでと変わらない。変わるのは生活だ。学生マンションを出た私は、洗濯も食事の用意も自分でしなくてはならなくなった。とはいっても、洗濯は洗濯機がしてくれるし、食事については、食材を運んでもらって動画を見ながら自分で料理を作るか、出来合いの物を運んでもらうかのどちらかだった。

 高校二年の冬、母が亡くなった。高熱が出て保健所へ行くとBURSだと診断され、父が検査の為、隔離病棟にいる間に死亡した。葬儀にはリモートで参列した。大学三年の冬に、今度は父が亡くなった。やはりリモートで葬儀に参列し、両親の遺産の内、相続税を差し引かれた金額が、私の電子マネーに移行された。両親の遺骨は、保健所から直接焼き場へ向かい、そのまま処理されたのだろう。

 遺品整理の為、ウイルス検査を受け、実家へと戻った。実家といっても賃貸のマンションだったので、契約を解除するだけだし、室内に遺された物には何の思い出もない。

 大学を卒業した後、私は就職する事にした。あくせく働かずとも、ベーシックインカムと遺品を売った金額を含めての両親の遺産があったので、充分、生活する事ができたが、私は、自分が一人っ子であったので、子供を2人以上欲しいと思っていた。

 兄弟がいて、何が変わるのかは解らないが、自分が両親に対して、淡泊な思いしか抱けなかった罪悪感と、自分の子供が自分に対し自分の様な対応をするかもしれないという恐怖心もあった。あと、子供を学生マンションに送り出した後というのは、もしかしたら私が思っている以上に、寂しいのかもしれないとも思った。

 そういった事から、子供は2人以上欲しいと思ったのだが、そうなると、子供の義務教育期間は、その費用を親が負担する事になるので、何もせずにいては、養育費までは賄えないのではないか、と、思ったのだ。恐らく両親も、私が家を出た後に、私の兄弟をつくろうと思ってはいたのだろうが、出来なかったのだろう。

 スマホアプリ『職安』に登録すると、工場勤務が私の適正に一致すると出た。工場の作業行程はオートメーション化されているが、ユニット毎の管理者が必要なようだ。キャベツを育てているユニットに空きがあり、定年は40歳。給料も良かったので、私はOKボタンを押した。

 金の目途がついたところで、マッチングアプリに登録した。交際相手はすぐに見つかった。私には勿体ない女性だった。リモートデートを重ね、プロポーズをし、借りた新居に生活必需品が設置されてから初めて会った。互いの健康状態の結果をスマホで見せ合い、彼女のスマホに私の認証番号を入力して、彼女にも私のスマホに認証番号を入力して貰って、私達は結婚の手続きを終えた。

 愛を確かめ合った後に、ベッドの中で話をした。

 結婚前に、彼女の両親は、彼女の下の弟が学齢に達すると、離婚したという事を聞いていた。その理由が、彼女の父親は医者で、彼女の母親は父親に対し他人の体に触れる診察から引退してほしいと懇願したらしいが、父親はそれを承諾せず、BURSを恐れた母親は離婚する事を選んだ、という事だった。それを聞いた私は、彼女の母親に同情した。

 彼女は看護士で、私は、今になって不安になった。もしかして、彼女も40歳を過ぎても仕事を続けるつもりなどではないか、と思ったのだ。

 私がそれを尋ねると、彼女は、深刻な顔をして、彼女が父親に聞いたという、とてもショッキングな話をした。


 先ず、BURSの事だが、彼女の父親の代には治療薬もワクチンも開発されていてというのだ。そして今、メディアでBURSに感染して死亡したとされている人達の本当の死因は、インフルエンザや癌や老衰なのだが、BURSに感染して死亡したと捻じ曲げられて報道がなされているらしい。

 彼女の父親の親友の医師が、この事実に憤慨し、真実を動画サイトに投稿したそうなのだが、それをネット上にあげるや否や不適切の警告を受け、瞬く間に閉鎖されたのだそうだ。そして、その医師は、心臓麻痺で死亡し、死後、医師免許をもっていないモグリだとメディアに糾弾された。

 彼女の父親は、その医師がモグリなどではなく、立派な医師であった事を知っていた。彼女の父親は、自分の上司にその事を問い質す為、談判に行ったらしいが、彼女の母親や、その頃に生まれたばかりの彼女、それから父親自身の命を危険に晒すべきでない、と、諭されたらしい。

 その医師の死因は、心臓麻痺などではなかったらしい。それは推測に過ぎないが、GPSで医師の持つスマホを特定し、宇宙ステーションから医師に向けて何かを照射したのだと、直感したのだそうだ。


 こんな話は、直接会わないと話せない、と、彼女は言った。リモートでの会話は、スーパーコンピューターで検閲されている、と。俄かには信じられない話であったが、私はふと、父が死ぬ二ヶ月前に、父が何かの手術を受けるというので、その同意書のサインをした事を思い出した。

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