新品のスマホがアリゲーターガーに食われてしまったのですが
武州人也
うおお筋肉!
今年で四十八になるボディビルダー兼俳優の中山・シルベストウェイン・シュワルツテイサム(以下中山)は、四年間もの間使用してきたスマートフォンに別れを告げ、キャリアを乗り換えて新しいスマホを出迎えた。
新しく契約したのは、マスメディアなどでもたびたび取り上げられた格安プランだ。通信量最大二十ギガバイトで月額三千円を切るという圧倒的なコストパフォーマンスの良さに惹かれた形で決めたのである。実は格安プラン発表の少し前にスマホの買い替えを検討していたのだが、待っていてよかったというものだ。
新しいスマホは前に使ってたものよりも横幅があるが、それでも中山の大きな手に握られれば小さく見える。その上彼の指は太いため、画面のタップには相変わらず難渋した。
買い替えから一週間後、中山は新しいスマホを持って釣りに出掛けた。釣りに出掛けたといっても海や渓流などに遠出したわけでなく、自宅から歩いて行ける多摩川が釣り場だ。肩で風を切って歩く筋骨隆々の男というのはやはり目立つもので、道中の通行人で中山の方を振り向かない者は一人としてない。人に見られるのが大好きな中山は、そうした視線を浴びる度にご機嫌になり、時折筋肉をぴくぴくさせながら堂々と肩で風を切って歩くのであった。
そうして多摩川の河川敷にたどり着いた中山は、早速愛用を釣竿を取り出し、ルアーを付けて釣りを始めた。暖かな春の陽気に当てられて、魚たちもきっと活性を増しているであろう。
釣り糸を垂らす、筋骨隆々の男中山。いい加減立ちっぱなしでいるのに疲れた彼は、折りたたみ椅子に深々と腰を落とした。
その時のことであった。ジーンズのポケットに差し込まれた新品のスマホが押し出され、ポケットから飛び出てしまった。そのまま地面に落下したスマホは、不幸にも斜面を滑り、ぽちゃん、と川に落ちてしまった。
「あっ――」
驚いた中山は、慌ててスマホを掴もうと屈んだ。その時、水面にぬらり、と、大きな黒い影が現れた。
やがて、その影の主が顔を出した。ざばぁと水をかき分けて現れたのは、大きなアリゲーターガーであった。北アメリカ大陸原産の外来魚で、観賞魚として流通していたものが野外に放たれ、日本各地の淡水環境に定着している。
この多摩川は「タマゾン川」などと呼ばれるほどに外来生物が多い。オオクチバスやブルーギル、ミシシッピアカミミガメなどの有名な種はもちろん、グッピーやネオンテトラ、コリドラス、果てはピラニアや外来大型ナマズさえ姿を現す。アリゲーターガーもそんなタマゾン……もとい多摩川に棲む外来魚の一種だ。
そのアリゲーターガーが、大きく口を開けた。アリゲーターガーを含むガーパイクの仲間は肺呼吸をすることで知られているため、恐らく空気を取り込むために口を開いたのだろう。
困ったのは、ここからであった。なんと、スマホはアリゲーターガーの口の中に吸い込まれてしまったのだ。
「待てぇ! スマホ返せゴラァ!」
スマホを食われた中山の行動は早かった。釣竿を置いた彼は怒声を発しながらざんぶと水に飛び込み、下流側を向いて逃げ出そうとするアリゲーターガーを太い腕で後ろから抱きかかえた。アリゲーターガーは遊泳能力が低く、また自然界ではほぼ天敵がいないため、素早く逃げ去ることができなかったのである。
このアリゲーターガーの重さは相当なものであった。大きさも正確な数値は分からないが、身長一九五センチメートルの中山よりも大きいのではないかと思われる。半端ない大きさのアリゲーターガーであった。
「うおおーっ!!!!!!! 負けるかぁーっ!!!!!!!」
それでも、中山の筋肉は悲鳴をあげなかった。怒れる中山はのたうち回るアリゲーターガーを筋肉の隆起した太い両腕でしっかりと抱え、岸を上がって菜の花の生い茂る地面に放り投げた。
「スマホ返せよな、外来魚ォ……」
中山はスマホを取り戻すためにその場で腹をかっ捌いてやろうと思ったが、ナイフを家に忘れてきてしまったことに気づいた。考えあぐねた結果、中山はこの魚を家に持ち帰ることに決めた。
持ち帰るといっても、自宅から釣り場までは徒歩で来ていた。車に乗せられない以上、この巨大魚を担いでいくより他はない。
こんな魚、まな板にはまず乗せられない。妻に電話をかけてビニールシートを居間に敷いておくよう頼もうとしたが、生憎スマホはこの巨大外来魚の胃袋の中だということを思い出した。
中山はまとめた釣り具を左肩に、アリゲーターガーを右肩に担いで帰路に就いた。道行く人々は皆、巨大な魚を担ぐ筋骨隆々の男に驚愕の眼差しを送っている。何人かはスマホを取り出し、その様子を撮影していた。
このアリゲーターガーの体格を考えれば、恐らく体重は三桁を越えている。だがその程度の重さでこの男の筋肉が屈することはなかった。酒もタバコもやらず、早寝早起きと筋トレを習慣づけているこの男の肉体は、四十八にして全く衰えを見せていない。
インターホン越しに、中山は居間にブルーシートを敷いておくよう妻の
「え!? 何なのこれ!?」
「俺のスマホを食った不届きものさ。今からかっ捌いてやらなきゃならねぇ」
驚きのあまり目を白黒させる妻を尻目に、中山は早速調理に取り掛かった。
「こりゃナイフじゃキツそうだな」
アリゲーターガーの鱗を見てそう判断した中山は、工具箱を引っ張り出し、そこからノコギリを取り出した。アリゲーターガーは古代魚と呼ばれる原始的な魚類で、それらの仲間にはガノイン鱗という非常に硬い鱗が備わっている。大型のガーともなればナイフ程度では刃が通ってくれないのだ。
そこで彼はノコギリを持ち出した。ノコギリを引いて巨大魚を捌き、腹を開いて臓物を取り出した。中山はでろりと腹から飛び出た臓物を切り開き、その中に右手を突っ込んだ。
「……あった!」
中山は胃袋の中からぬらぬらと粘液にまみれた四角い板を引きずり出した。これこそが呑み込まれた新品のスマホであった。勝ち誇った表情をした中山は、まるで敵を討伐した勇者が剣を掲げるがごとくに、スマホを握った血まみれの右手を高らかに挙げた。
「へぇ……スマホを食われるだなんてそんなことあるんだねぇ……」
「いやーびっくりしたぜ……新品を持ってかれたんじゃたまらねぇからな……」
中山はスマホを取り出した後、せっかくなのでメジャーを使ってアリゲーターガーの全長を計測してみた。すると何と、この巨大魚の全長は二メートル三十二センチもあった。原産地アメリカのミシシッピ川で記録された二メートル五十二センチの個体には劣るものの、日本国内ではこれより大きな個体は見つかっていないのではなかろうか。
その晩、中山家の食卓には、トマトソースで味付けされたアリゲーターガーの肉が並んだ。本人も妻も子どもも、アリゲーターガーの肉をこう評した。
「悪くもないけどよくもない」
巨大外来魚の肉は、食べられないというほどではないにせよ、絶賛するほど美味しいものではなかった。
その後、この一連のエピソードはマスメディアによって「筋肉俳優中山シルベストウェイン、巨大怪魚を捕まえる!」とニュースにされ、お茶の間を騒がせたのだが、それはまた別のお話……
新品のスマホがアリゲーターガーに食われてしまったのですが 武州人也 @hagachi-hm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます