あいつらに明日はない

隠井 迅

第1話 旧い形態の携帯

 この日の仕事を片付けた私は、新宿の細い路地に位置する雑居ビルに戻ってきた。

 時刻は二十六時、草木も眠る丑三つ時だ。

 エレベーターに乗り込んだ私は、ポケットから、長年愛用しているスマートフォンを取り出した。


 私の愛機は、五年前に発売された、非常に旧い機種であった。短い間隔で、次々に新しいスマフォが発売されてゆくこの状況下にあっては、<化石>とも呼び得る機種である。事実、この五年の間に、スマフォに内蔵されているバッテリーが消耗して、常にモバイル・バッテリーと接続していなければ使えない状態にまでなってしまったことさえあった。だが、バッテリー交換という<手術>を経て、旧い形態ではあるものの、今なお私は<コイツ>を使い続けている。

 今やコイツは、常に私と共にある、大切な相棒なのだ。

 だから、完全に使えなくなるその日が来るまで、コイツと付き合い続けようと私は考えているのだ。


 相棒を手にした私は、一番上の階に位置している事務所までの短い移動の間、SNSのタイムラインをチェックすることにした。

 ちょっとでも隙間時間があったら、ついスマフォを弄ってしまう。やれやれな話だが、不惑を越えた私もまた、十分な<スマホ依存症>に罹っているのだ。

 特に急ぐわけでもないので、<閉>を押さず、エレベーターのドアが自ずと閉まるに任せていたのだが、スマフォの画面に目を落としていた私の耳に、エレベーターに向かってくる足音が届いてきた。

 画面から視線を少し上げると、それは、二十代そこそこのカップルであった。

 エレベーターの扉は、ほとんど閉じかけていたのだが、ちょっとした親切心から、私は、<開>のボタンを長押しし、彼らをこの昇降機に乗せてやることにした。

「間に合ったっ。ラッキー。あんがと、オジサン」

 女の子の方は、軽口でお礼を言ってきたのだが、男の方は無言のまま、スマフォを弄り続けていた。

「何階ですか?」

 エレベーターのボタンの近くにいた私が尋ねた。

「ナナカイィィィ~~~」

 長髪の男が応えた。見知らぬ他人、しかも年長者が丁寧語で問うているのに、語尾を伸ばすなよ。

 私は不快になったが、このカップルとはエレベーターの中でのわずかな時間だけの付き合いだ。いちいち目くじらを立てるような話でもあるまい。

 私は眉一つ動かさず、七階のボタンを押した。 

 七階には、カラオケやダーツを備えたインターネット喫茶が入っていたはずだ。おそらく、終電を逃して、そこで始発までの間、時間でもつぶすのであろう。知らんけど。

 お礼の会釈すらしなかったくせに、その長髪の男は、突然、私を指差すと、大声をあげて笑い出したのだ。

「おい、見ろよ、あのオヤジのスマホ、めっさ古いぜ」

「まっじ? ほんとだ、今時、あんなカセキをつかっている人いるんだ。ダッサ」

 大型化してゆくスマフォ事情の中にあって、私の愛機は小型な機種であった。小さな私の手にフィットし、非常に使い易いというのも、私がコイツを相棒にしている理由の一つなのだが、とまれ、その小ささゆえに、旧い機種であることは一目瞭然なのだ。

 しかし、旧い形態のスマフォを使っているからといって、それは私の個人的な理由であって、それだけで、他者を嘲り、小馬鹿にするような彼らの態度に、私は激しい憤りを覚え、仲間が愚弄されているような気分になった。


 私は、小柄な相棒をポケットの中に大切にしまい、その代わりに、別の携帯端末を取り出し、無言のまま表情を変えず、その二つ折の端末を親指で開いて、ボタンを素早く押した。

「みろよ、あのオヤジ、今度はガラケー、ダしたぜ。笑える。あぁぁぁ~~~、ハラいった」

「ちょっとやめてあげなよ、でも、う、うけるぅぅぅ~~~」

 男の笑いが、女にも伝染したようになって、狭いエレベーターの内部で、爆笑が反響した。

 このバカップルの笑いのツボは、徹頭徹尾、他人を見下すことであるようだ。

「なあ、オヤジ、そんな古いの使っていて、恥ずかしくねえの? なあ、なあったらなあ? オレには無理だわ」

 少し酔っぱらっていたのであろうが、若い男はさらに私に絡んできた。

「ねえ、ちょっと、このエレベーター、停まんないよ」

 女が肘で男の脇をつついていた。

 ゆっくりと上昇していたエレベーターは、カップルが目当てとしていた七階を通過していったのである。

「はあぁぁぁ~~~? まじでぇ~、なんだ、このボロいエレベーターは。ドアもひらかねぇ~のかよ。古いものって、まじ、使えんわ」

 そう言った男の感情は、瞬間湯沸かし器のように、笑いから怒りへと変わり、それに伴って、彼の関心は、私のガラケー式の携帯からエレベーターに移ったらしく、その扉を爪先で蹴り続けていたのだった。


 扉の開閉に不具合が生じた、と思われていたエレベータだったのだが、私の事務所がある十三階には問題なく到着した。

「失礼、私はここで降りますので」

 チンという音とともに、扉は静かに開き、私は昇降機から降りた。

「はあぁぁぁ~~~? なんで、あのオッサンの時だけ停まるんだよ」

 エレベーターは、そのカップルを乗せたまま、この最上階から再び下がっていった。

 完全に扉が閉まった後、振り返った私は、エレベーターの方に向かって、ガラケー形の携帯リモコンを向け、先ほど、七階を通過させた際に使ったのとは異なるコード番号を打ち込み、今度は、エレベーターの床を開いたのだった。

「直情的に行動し、誰彼かまわずに絡むから、こういう目に合うんだよ、覚えとけ、愚か者よ。もっとも、あいつらに明日はないけれどな」

 そして、私は、愛用の小型スマホを再び取り出すと、手下に電話をかけ、この私の持ちビルの地下の清掃を命じたのであった。


<了>

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あいつらに明日はない 隠井 迅 @kraijean

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