天体のミステリー

蜜柑桜

ブラックホール

 私が人生に出会ったものの中で何が一番謎かといえば、自分の夫、空人である。


 ——ピンポン


 天体写真とNASAの資料を参考に、星空解説動画を作っていた私のノートパソコンがメール受信を知らせる。それと同時に、画面の右端にメッセージのヘッダーが一瞬、滑り込んで消えた。


『——すごい面白い記事見つけたから、これ解説に取り入れなよ』


 天文台に勤務する空人からだ。自宅で仕事をしている私と違って、彼は毎日、天文台の研究所に詰めている。


 何か国立天文台やNASAから新たなニュースが入ったのだろうか。使えるかもしれない。


 世界中がウイルスの危機に晒され、人が集まるプラネタリウムも閉館になってしまったいま、プラネタリウム解説員である私たちも当然の如く在宅勤務になった。幸い、私の勤めるプラネタリウム「スペース・ドーム」は行政機関付属であるためプラネタリウムの入場料から得られる収入が減ったとしてもさほどの打撃は受けず、職員は客向け業務以外の研究業務に注力する方向性でこの一年を乗り切ってきた。

 ただ、やはり天体を愛する一般の人々や教育プログラムは続行しなければならない。その一策として、在宅で配信映像を作るというのが日々の業務になったわけで、いま作っている動画のテーマは「天体と宇宙のミステリー」。子供向けの教育動画だ。


 メールをクリックすると、なんだか妙な形の黒い物体が写った写真が画面に出てきた。その下にはリンクと、「オウムアムア」の一言だけ。

 リンクを押した先には、「太陽系由来? 謎の星」と題されたオウムアムアの説明文のページがでた。どうやら数年前に観測された惑星のニュースらしい。画面上の楕円形は星と想像する物体からかけ離れているが、太陽系から出たというこの天体は、形だけでなく性質も異質らしく、数時間単位で明るさが十倍も変化するという。

 なるほど。これを解説に取り入れてはどうか、ということなのか。しかし形が気持ち悪い。綺麗な楕円形ではなくて葉巻状だし、色も暗いし。抗議のショート・メッセージを送る。


「もうちょっと子供が見て綺麗だなとか興味を引くものないの」


 即、返信が返ってきた。


『すごくない? この形そのものからして宇宙のミステリーが詰まってるじゃないか。しかもまだまだ未知数の多い天体だよ!』

「これじゃミステリーとかいう前に子供たちが気味悪がるからもっといいやつにして」

『何言ってるのさ。エイリアンが送ってきたかも、なんて言われているんだから子供にもぴったりのミステリーじゃないか』


 私には奴の感性がわからない。エイリアンだったらSFでしょ。ミステリーって言ったって、こちらは子供向けアニメみたいな、最後はちゃんと私たち解説員が解説して謎解きをするプログラムを作っているっていうのに。


 空人のメールを無視して、今まで作っていた潮の満ち引きと地球の天体運動との関係についての動画を作り続ける。満潮と干潮の話なら有名だし、それを「なぜだろう?」というイントロにして、小さい子がとっつきやすそうな形で、謎解きっぽく仕立てたのだ。我ながら上手くやった。

 宇宙から撮影した美しい地球の写真と、月の移動を撮り続けた連続写真を画面に貼り付け、さあ自分の解説文を録音しようと息を吸った。


 ——ピンポン


 またしても空人。今度はなに。


『赤色巨星から作られる超低温星雲の謎! ってので、これどう?』


 送られてきたのはブーメラン星雲のデータだった。ブーメラン星雲とは、地球から約五千光年先にある星雲で、赤色巨星が星の生涯を終えた後に作り出す星状星雲だ。星雲が極低温を保てる『謎』の答えは、星雲が宇宙マイクロ波背景放射の電波を吸収しているから……などなどの理由がある。しかし全くわかってはいないなこの男。そんな小難しい話を子供が聞いて面白いミステリーなんかに仕立てられるかっていうの。

 それからやはり写真に問題がある。「ボツ」と一言書いて、送信ボタンを送る。


 ——ピンポン


『「火星に宇宙人はいるのか?」タイトルはこれで決まりで』


 今度こそ子供向けになりそうな話題を送ってきたじゃない! 火星ならもちろん子供も知っているし、宇宙人といえばアニメや童話でも出てくるテーマだから食いつきやすそう。うん、ちょっとはわかってきたのかしら。

 内容は私にも予想がつく。火星生命体の研究は火星探査機で多く行われているし、惑星表面で撮られた写真や火を使ったのかも、と予測された観測データなどだろう。

 次の動画のネタに使えるかも、と期待してクリックする。しかし——


「ちょっとさっきからもっとマシな写真送ってきなさいよ!」


 画面いっぱいに現れたのは、まるでムンクの叫びの顔の如しゾンビが何人も砂浜から浮き出てきたような、実に気持ちの悪い写真だ。正体は火星の平原についた形に過ぎず、「パレイドイア」という自然現象のひとつであって怖いことも何もないのだが。


 大体、さっきから空人が送ってくるものは、内容が難しいとか子供向けじゃないとかそういう問題の前に画像が悪すぎる。オウムアムアは名前からして気持ち悪い上に想像図は巨大な爬虫類系みたいなどす黒い代物だし、ブーメラン星雲の明かりの広がりは不気味に揺らめく鬼火のような禍々しい紫だし、極め付けのパレイドイアは一目見ただけで大人の私でも「うっ」と言いたくなる。天体ミステリーというよりむしろ天体ホラーだ。謎解き動画じゃなくて怪奇現象でしょこれ。

 対象の年代は十歳そこらだといのに、これじゃ家で見た子供たちが大声で泣き出すわ。


 ——ピンポン


『この写真ならどうだ! どうして宇宙空間にこんなに面白い色彩が生まれるのか、ほんとミステリーだよねー』


 へびつかい座の方面に位置する惑星状星雲NGC 6396。その色といえば緑と紫の粒子が混じり合って、それこそへびつかいが魔術でも使うようなガス放出が起こった星雲だが……そのあだ名、幽霊星雲……


 ミステリーどころか、天体ホラー。ラインナップが全部、宇宙ホラー。


 この男の中では天体の不思議になると全部、天体のミステリーになっちゃうんだけど。


 私にとってみれば、空人の頭の中それ自体がブラックホール並みの謎で、ミステリーで、いつまで経ってもわからない。


——完——


参考:

「宇宙で最も低温な天体の謎にアルマ望遠鏡が迫る」

 https://alma-telescope.jp/news/boomerang_nebura-201706


「NATIONAL GEOGRAPHIC 第6回 宇宙人はいるのか? 火星で見つかった怪現象」

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112200451/


「NATIONAL GEOGRAPHIC 太陽系に飛来した天体オウムアムア、極端な楕円形」

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112200451/


「sorae 「小さな幽霊」に例えられた緑色の星雲」

https://sorae.info/030201/2018_12_20_ngc6369.html

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