皆様の、皆様による、ミナサワ博物館

一矢射的

それはハートを奪う魔法



 博物館の中でかくれんぼしてみないか?

 そんな誘いを断り切れなかったのがそもそもの間違いだったのでしょう。


 トイレの掃除用具入れの中で目を覚ました僕は、ワケもわからぬままロッカーの外に出て辺りの静けさと暗さにゾッとしました。


「もう夜中じゃん」


 戸惑っている内に寝ぼけた頭がえはじめ、段々と思い出してきました。

 悪友たちと近隣の「米沢みなさわ自然博物館」へ遊びに来たまでは良かったが、リーダー格のタダシ君が展示物に退屈してしまい、ちょっとした悪ふざけを提案したのです。


 博物館の中でかくれんぼをして最後まで見つからなかった奴がチヒロからキスしてもらえるってのはどうだ。盛り上がるぜ?


 チヒロちゃんは僕たちグループの紅一点。まだ小学四年生ながら大人びた女性でクラスのマドンナ的存在だったのです。そんな彼女と遊びに来れただけでも幸せなのに、彼女からキスしてもらえるなんて! 

 僕たちは迂闊うかつにも、その提案に賛成してしまったのでした。

 チヒロちゃんは当然むくれた顔をしていましたが、遂にはこう言ったのです。


「いいわ、その代わり鬼はアタシよ。誰を残すか私が決めるから」


 こうしてマドンナのキスをかけた「かくれんぼ」が始まったのです。

 チヒロちゃんと仲良くなりたい気持ちは、グループ内で立場の低い僕にだって勿論もちろんありました。一生懸命に知恵をしぼって従業員用のトイレ、それも掃除用具入れに隠れたらみつかりっこないと考えたのでした。


 ところが、昨日は夜中までゲームをやっていたものですから僕は眠くなってしまい……ついウトウトしていたら一人ぼっちで深夜の博物館に取り残されていたのです。


 他の皆はどうしたのでしょう?

 僕のことなど忘れてしまったのでしょうか?

 あるいは最後まで見つからなかったのが僕だったので、しゃくに触って置いてけぼりにされたのかもしれません。チヒロちゃんがアイツにキスするなんて嫌だとごねたのかも。


 とってもみじめな気分でした。

 このままトイレの中で闇に溶けてしまいたい。


 しかし、パパやママは家で心配しているでしょう。

 天窓から差し込む月光を見るに、お月様は随分と夜空の高い位置にあるようでした。


 パパは博物館が大好きで、ここには家族全員でよく来たものでした。

 館長さんともパパは顔見知りなのです。この事がバレたらきっとお説教でしょう。


 見つからないように逃げ出さないと。

 僕は物音を立てないように気を付けながらトイレを抜け出したのです。


 誰も居ない博物館はひどく不気味でした。

 展示物のマネキン人形、明かりに照らされる碑石ひせき、そして足音を反響させるリノリウムの床。ちょうど今「世界の歴史展」をやっている最中なので、エジプトやアメリカの文化がわかる展示コーナーまであるのです。


 おっかなびっくりどうにか建物の入り口まで辿り着きましたが、ガラス張りの扉は鍵がかかっています。おかしな事に内側にも鍵穴が付いており、鍵がなければ開けられないのです。まるで建物の中に誰かを閉じ込めようとしているみたいではありませんか。


 どうしたらいいのだろう。

 きっと夜間警備の人が居るだろうし、素直に謝ろうかな。

 開かない扉を眺めながらそんな事を考えていると、ガタゴトンと背後で何かの音がしました。

 振り返ると、そこはホールで自動販売機の前に誰かが立っています。きっと今の音はジュースの缶が出てくる音だったのでしょう。


 夜回りの人だ、事情を説明して扉を開けてもらおう。

 そう考え、話しかけようとしたその時。僕は気付いてしまったのです。

 自販機の照明に浮かび上がったその顔が包帯でグルグル巻きであることに。顔だけではありません。全身に汚れた包帯が巻かれているではありませんか。

 そうです。こちらを目にした途端、両腕を前に突き出し向かってくるソイツは間違いなくミイラ男だったのです。


 絶叫を上げて僕は逃げ出しました。

 出鱈目でたらめに走って行きついた先は「中世ヨーロッパ展示室」です。


 ここでは鎧に身を包んだ騎士たちがガラスケースを磨いていました。騎士が乗る馬たちですら、腰に結わえられたモップを引きずりながら床の掃除をしていました。その様子はさながら農耕馬でした。


 驚いて絶句している僕の後ろを三メートルはあろうかという大蜘蛛が走り抜けていきます。我が目を疑い唖然としていたら、大蜘蛛は糸を出し天井の暗がりへスーッと上っていくではありませんか。きっとあそこに巣があるのでしょう。


 コイツ等はいったい何なんだ? 

 もしかして僕は、絶対に見てはいけないものを見てしまったのでは?


 そう思っていた時、背後から肩を叩かれ僕は震え上がってしまったのです。

 聞こえてきたのは楽し気な女性の声でした。


「みぃーつけた。君でオシマイ」


 こちらへ笑いかけるのは、仮面舞踏会のマスクをつけた道化師でした。











 女性のピエロに連行されたのは中庭に面する休憩所でした。

 ソファやテーブルが並び、そこには幾人かの子どもたちが寝かせられていました。


「館長、見つかりましたよ。やっぱり隠れていました」


 僕の手を引く道化師が大声で言いました。その手は万力のように強く、氷みたいに冷たい手でした。とても逆らう事など出来ませんでした。

 一方で道化に声をかけられたのは、事務服のパンツスーツを着込んだ長い髪の女性でした。振り返るって僕をにらみつけると、彼女は静かだが厳しい調子で言いました。


「これで全員か。監視カメラの映像と人数が合わないから妙だと思ったぞ」


 そう、近くのソファで寝かせられているのは僕と一緒にかくれんぼをした仲間たちです。みんな眠っているのか何の反応もありません。

 チヒロちゃんも、タダシ君もそこにいました。


 館長は眉間みけんにしわを寄せながら僕をしかりつけました。


「ふざけた真似をしてくれたね。館内を走り回った挙句にかくれんぼとは。ミイラの棺桶かんおけに入ろうとした奴まで居たんだぞ。お前達は展示物がどれだけ貴重品か判っているのか? お金でなんか弁償できない歴史的遺物いぶつなんだぞ?」

「特に、ウチの博物館は貧乏だから修繕費しゅうぜんひが払えませんね」

「おだまり! ピエロ」


 茶々を入れる道化師を叱責しっせきし、館長は改めて僕に問いかけました。


「どうなんだ? 何をしたのか判っているのか?」

「ご、ごめんなさい。もうしませんから」

「どうも反省が足りんようだな。いっそのことお前も展示物になってみるか。そうすれば彼らの気持ちがわかるだろう」

「そうね、僕と同じ絵に入ろう。そして夜は一緒に掃除をしようよ。ウチは給料が安すぎて職員は館長しか居ないんだ」

「ちょ、ペラペラ喋るな貴様!」


 僕の絵に入る? 

 そういえば展示室には「王宮の道化師」という油絵がありました。

 騎士や馬のマネキンも見た覚えがあります。

 ミイラはエジプト展示室から出てきたのでしょう。

 蜘蛛も昆虫採集の標本が壁に飾られていました。


「あの、貴方は、博物館の展示物に掃除させているんですか?」


 僕が怖々たずねねると、館長は苦虫を嚙み潰したような顔になりました。


「ああ、そうだ。人手不足なんでな。彼等自身が、自分の場所を管理するんだ。なんせ思い入れが違うからな、しっかりやってくれる」

「皆様の、皆様による、ミナサワ博物館なんだよ、ここは!」


 止まらない道化の悪ふざけに、館長も半分は諦め顔でした。

 道化のジョークはアメリカ合衆国大統領の有名な演説を真似たものです。

 しかし、どこか妙でした。僕は首を傾げました。


「何か抜けてませんか。『皆様の為の』が抜けていますね。本当は自分の為なのでは?」

「……痛い所をつくな」

「ありゃりゃ、一本とられちゃいましたねー。館長!」


 館長は頭をきながらうなれてしまいました。

 どうやら思っていたほど怖い人ではなさそうです。


「あーそうだ。魔女の末裔まつえいなんてそんなもんさ。かくいう私だって歴史への敬意が足りていないのさ。それによく見れば君は、お得意様の息子さんじゃないの」

「たっぷり怖い目にあって反省したでしょう。今日の所は許してあげては?」

「うーん。まぁ、友達を見捨てて逃げ出さない所は評価してやろうか」


 何か誤解があるようです。実際は掃除用具入れで寝ていただけなのですが。

 わざわざ訂正ていせいするほどの事ではないでしょう。

 僕が黙っているとやがて館長は判決はんけつを下しました。


「よし、全員で館内の掃除を手伝っていけ。それが済んだら許してやろう」











 そんなわけで、僕たちは夜の博物館で世にも珍しい体験をする事になったのです。

 ミイラ男や道化師と仕事をする機会なんて、もう二度と回って来ないでしょう。

 僕は道化と一緒に中庭の青銅ブロンズ像を掃除することになりました。


 こまめに雑巾ぞうきんがけをしないと酸性雨や鳥の糞ですぐに変色してしまうのだそうです。


 掃除の最中、僕は気になっていたことを道化に訊いてみました。


「もしかして、おどけたフリをしながら助けてくれたの?」

「さて、何のことやら? 館長の唯一の理解者であった男性職員が、こないだ異動になってね。あの人は今ちょっと情緒不安定なんだ。たとえ子どもでも、館内の事情を知っている人が居るのはうれしい事なんだけど」

「……また遊びにくるよ」






 そして数日後、僕はグループ内でちょっとしたヒーローになっていたのです。館長が皆を自宅に送り届ける時、助かったのは僕のお陰だと説明してくれたようなのです。

 憧れのチヒロちゃんからも一目置かれて悪い気はしませんでした。

 彼女は僕に言ったのです。


「どうせ大人には信じてもらえないだろうけど。私は信じるし、忘れないよ」


 そういえばキスの件はどうなったのでしょう?

 図々しくも確かめると、チヒロちゃんは笑って僕をたしなめるのでした。


「キスの相手は私が見つけるの。かくれんぼは、まだ終わっていないのよ?」


 参ってしまいます。

 僕たちのかくれんぼは、一晩限りのものではなかったのです。


 決着がついたのは高校卒業時、彼女はある男性の肩を叩いて言ったのです。

 みいつけた……と。やっとですか。


 あの館長と同じように、本当は女の人ってみんな魔法が使えるのではないでしょうか?


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