事故物件
人生
一生懸命がんばる年下男子は好きですか?
他の物件と比べて不自然なほど格安なそのアパートの家賃を見た時、俺は当初、そこがいわゆる「事故物件」なのではないかと思った。
大家いわく、アパートの一階の各部屋を改装する予定があるらしく、その工事音がうるさくなるので一時的に値段を安くするのだという。
……実際のところは分からないが、ヘタに検索して何か引っかかっても困るので、それ以上の追及はやめておいた。
そこで人が死んでいようが、幽霊が出ようが、呪われようが――壁があって屋根がある。風雨をしのげるまともな住居であればなんでも良かった。おまけに格安となれば文句は言うまい。
両親が死に親戚の家に引き取られ、気まずい日々を過ごしてきた。厄介者扱いされるくらいならと高校卒業を機に家を出て――寮付きの仕事を見つけたはいいが、就職先が倒産。俺は路頭に迷うことになった。
呪われているというなら、とっくの昔にそうなのだ。今さら幽霊など恐くはない。
だから――
夜勤のコンビニバイトが終わり、未明に帰宅。部屋のドアにぶら下がっていたビニール袋を確認して少し肩の力が抜ける。隣の
ともあれそのビニールの中身のお惣菜を頂くと、急激な眠気に襲われて、俺は床に就くことにした。
そして毎夜のように、それに見舞われる。
「……っ」
身体が動かない――金縛りだ。
布団の上で俺は仰向けに眠っている。なんらかの刺激があってうっすらと目を覚ましたのだ。半分眠っていて、半分起きている。そのような状態だから身体が思うように動かせず、いわゆる「金縛り」になっているように感じるのだろう。
たぶん、疲れているのだ。
もはや何度目とも知れない、金縛り。
暗闇のなか――身体にかかる重圧、ぎしぎしと軋む部屋の床。獣のような息遣いと、何かの気配――俺は再び眠りに落ちた。
翌朝――というか、もう昼前――に再び目を覚ましたのは、アパート一階の工事が始まり、騒々しくなったからだ。
目覚めたはいいが身体がぐったりと怠く、横たわって天井を見上げていると再び眠りに落ちてしまいそうになる。
ごろんと寝転がり、押し入れの方に顔を向けた。仕事に……土木作業の現場に行かなければならない。その前にまずは腹拵えをして――いろいろとすべきことが頭に浮かぶのだが、なかなかそれを行動に起こせない。
生活するためには働かなければならない。しかし現状の俺は、働くために生きているようなものだ。この先の人生に、夢も希望もない。
なんのために生きているのだろう。どうして自分は生まれて来たのか……。
朝っぱら(昼)からそうやって鬱々としていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。次いで、
「――くーん、起きてるー……?」
音鳴さんだ。
具体的にどれだけの歳の差があるのかは知れないが、俺よりも年上のお隣さん。一人暮らしの俺に何かと世話を焼いてくれる……彼女の存在がなければ、俺はとっくにダメになっていただろう。
まあ、あんな美人とほぼ毎日顔をあわせているというのに、デートや食事に誘う男気もなければ、朝から立ち上がる気力もない我が息子である。男としてはとっくにダメになっているのかもしれない。
とはいえ今日も彼女の来訪に元気づけられ、起床する。さあ飯を食って、仕事に行こう。
――そうやって、騙し騙し続けていた生活に、ある日、変化が訪れた。
以前から少し気になってはいたのだが――
「私、妊娠したみたいなの」
と、音鳴さんは告げた。
目の前が真っ暗になった……ような気がした。
夏場の、初めての現場作業で熱中症になった時を思い出す。目がくらみ、そのまま昏倒しそうになった。
……いや、まあ、それまでそういう素振りがなかったとはいえ、音鳴さんみたいな美人を男が放っておくはずもない。部屋の薄い壁越しに、そういう何かが聞こえてきたこともない。しかし、いきなりか。妊娠か。そうか。さようなら俺の恋心。所詮はただの片想い。相手は年上。おめでとう、とか言うべきなんだろう――
「きっと――くんの子よ」
「え……?」
たぶん、何かの聞き間違いだろう。だって俺、童貞だし――
「ふふ、冗談よ」
ですよねー……。子ども出来たと言われても、責任とれない。
仮に誰かを妊娠させてしまったとしたらもう、土下座するか首を吊るかだ。
――何度目とも知れない金縛りを経て、翌朝。
地震かと思うほどの震動で目を覚ます。
下の工事もいいかげん終わらないものだろうかと思いつつ、倦怠感のある体を起こす。
先ほどの震動に伴って、どこかで何かの倒れるような音がした。見渡す限り室内に変化は見られないが……。
押し入れの中で何かが崩れたのだろうか。これといって、かさばる物を入れていた記憶はないが……。
重たい身体を引きずりながら押し入れの戸に手を伸ばす。
戸を開くと、想像していたものとは異なる景色が広がっていた。
押し入れの奥、隣の部屋とを隔てる壁が――なくなっている。
壊れたとか、穴が開いたとか、そういう感じではない。
まるで、これまでそこをフタしていた何かがあったかのように――あちら側に向かって倒れるベニヤ板がある。
隣の部屋と、繋がっている――?
――私、妊娠したみたいなの。
ふと、脳裏をよぎる声。毎夜の悪夢と、倦怠感。
トントン、と。
いつものノックに、俺は応えることが出来なかった。
事故物件 人生 @hitoiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます