残像は光の中に

鱗青

残像は光の中に

「サーぁカッス♪サーぁカッスぅ〜!」

やかましいぞトト!大人しくしてろ!」

 歌いながら跳ねてたら、僕はおじさんから殴られた。

「…で事件の概要を整理すると、綱渡りの曲芸師が公演中に落下した…と」

 鉛筆を舐めながらメモしているおじさんに団長さんのゴリラ人は気色けしきばむ。

「探偵さん、ありゃ事故だ。ウチの団員を疑うんでねえ」

 僕は改めて現場のサーカステントの中を見回す。

 テントの骨組みは外周に並んだポールから梁が渡されてできている。客席は雛壇式には円の内周をぐるりと囲み、外との出入り口は四つ。団員や動物達のための通路と思しきものが客席の下に二つ。

 現在、がらんとした中心のステージには真ん中を横断する形で太いロープが張られ、両端は綱渡り兼空中ブランコ用に組み上げられた高い足場に繋がっている。

 そして片方の足場に近い地面に血溜まりと、犬人のものらしいチョークで縁取られた人型。

 サーカスの団員は探偵のシベリアンハスキー人のおじさんザンパノとその助手である僕、ゴールデンレトリバー系犬人のサルバトーレトトと一緒にステージに勢揃いしている。サーカスにはつきもの象や熊はいないのかな?とキョロキョロしてしまう。

「このサーカスで働いてんのはこれで全員か?」

 胸に錨の刺青を入れた、裸の上半身に太い鎖を巻きつけた肥りじしの大熊人、「怪力ドミニオ」が頷く。

「チンケな経営だからよ、営業・経理・衣装に音響、小道具…その他諸々もろもろここにいる6人でやってるってェことよ。シェシェシェッ」

 痩せて小柄、やたら口と目の大きな狐人の「ジャグラー・ケルビーノ」がとナイフを手慰みにしながら言う。笑いかたが非常にこすっからい感じ。

「し、7人だったよ。私達は、ずっ、ずっと7人だったんだから」

 小鳥のような声でおずおずとしながら答えるのは「エンジェル・セラフィーニ」。小太鼓を抱え顔を白く塗り、付け鼻を付けた猫人のピエロだ。すらりと伸びた手脚が気に入ったのか、おじさんは舌なめずりしながら様子を窺っている。

 猫人の隣には双子のパンダ人の小人が居て、パントマイムで「そうだ」「そうなの」と教えてくれる。ヒラヒラした妖精風の衣装なので男女どちらなのか分からない。

 じゃあここに居ない七人目が被害者の…

「綱渡り中に足を滑らせておっ死んだ団員はこいつで間違いないな?」

 おじさんが写真を見せると全員が固まる。

「本名ヤノシュ=カシュ、ハンガリー出身。芸名が…なんじゃこりゃ」

「シェシェッ。『美男子ルチオ』。笑えッだろ?」

「黙れケルビーノ。それで探偵、何故お前が来た」

 筋肉…じゃなかったドミニオの質問に僕はハーイ!と挙手。

「この人、運ばれてる途中の救急車で死じゃったの。だけどね、その時に痛いよ!」

 折角僕が授業の時みたく答えてるのに、またおじさんが殴ってきた。

「でしゃばんなトト!…で、息を引取ひきとる間際この言葉を遺しやがったのさ」

 『やられた…あいつにめられた』

 メモを読み上げるおじさんの横で痛みにうずくまる僕のそばに、セラフィーニさんが来て頭を撫ぜてくれた。

「だ、大丈夫?い、痛かった?ひどいことをする人だね」

「おじさんはいつもこうなんだ。もー平気だよ!ありがと!」

 ニッコリするピエロの派手なメイクの中、左目の下の涙の印が歪む。僕はあれ、この人…と、ある事に気が付いた。

「シェシェシェ!要するにアンタうたぐってるわけね?俺らの誰かが奴をっちまったんじゃねぇのって」

「ま、端的に言ってそういう事だな」

「帰れ。俺達はサーカスシルク。元は他人でも今は一つの家族だ。裏切り者はいない。これ以上余計なことに首を突っ込んで掻き回そうとするなら、こうだ!」

 ドミニオは、ステージに置きっぱなしにしてあった巨大な岩を持ち上げ、遠くまで投げ捨てる。ドオオオォンと地響きがし、僕は(他の人達も)地面から浮かび上がる。

「まぁ待てよ。こちとら形式的な捜査ってやつで来てるんだ、穏便に行こうぜ…救急隊員が聞いたのは確かなんだ。何か心当たりは無いのか?」

 内心(なんて頑固なオヤジだ)と思ってるらしいおじさんの、不器用な愛想笑い。

「あるっちゃあるよな、掃いて捨てるほど。俺とドミニオは好きだった奴をあいつに寝取られたし、団長は金を貸してたし…セラフィーニはショーの相棒をずっとやってたのに、いつも吃音どもりを馬鹿にされてたもんな。このサーカスじゃなかったら、とっくの昔ににされててもおかしかねぇ。みてくれだけの最低な野郎さ、あいつは」

「才能があ、あったよ。それにと、とても気が弱かった。あ、悪人じゃ、な、な、な」

「黙れ」

「セラフィーニ、ケルビーノ、ドミニオもやめろ!…確かに悪い奴じゃなかった。だが、死んでしまったら終わりだ。生き返らん」団長はバンバンと厚い掌を鳴らして「さぁ荷造りと片付けの再開だ!ルチオの後釜を見つけにゃならんし、忙しくなるぞ!」

「尋問は終わってねえ。ラスベガスを拠点にする『シルク・ド・ルルド』からルチオ個人に引抜きの話が来てたらしいな。…ショーの時に傍にいたのはあんたら3人。それぞれ動機がある。一体、その時に何をしてた?」

「憶えてねぇなぁ。ナイフこいついじってたのは確かだけどな、シェッ」

「俺は出発点の足場の根元に居た。『怪力』だからな。万一の時には支える役だ」

「わた、私は音響を全部担当しているので、BGMを流して、こ、太鼓これを打っていました」

成程なるほど。ショーの最中、軽業師は目隠しをしていた。それがまたこのサーカスの売りの一つだった…そうだな?」

 誰もが頷く。

 動機があったのはナイフ投げの男と怪力の男とピエロだが、手口がわからない。うめいていたおじさんが指を鳴らした。

「分かった!ケルビーノ、てめぇが犯人だな!」

「は、はぁ⁉︎おめぇなに言ってんだ⁉︎」

「ぐふふふ、そのナイフ!それで照明を反射させて軽業師の視覚を惑わせたんだろ!」

 僕は挙手。

「でもその人ルチオさん、目隠ししてたって言ったじゃん。そしたら光なんか見えないよ」

 アレ?と止まるおじさん。口許が引き攣っている。じとーっと集中する視線。

 そんな中、不意に双子のパンダ人がパントマイムで喋り合う。

「そういえば、ルチオの最後の動きがぎこちなかったよ」「確かなの?」「うん。いつも最後はロープの端でジャンプして、トンボを切って足場に着地を決めてたよね?あの日はなんかちょっと間があったよ。それから落っこちた」

 僕は尻尾にピーンときた。

「おじさん。僕犯人分かっちゃった」

「な、なにぃ!?」

 真実は分かった…と思うけど、これ言っちゃっていいのかな?正義感と苦しさで胸がチクチクするよ。

 でも、言わなきゃ。僕は…探偵助手なんだ!

「犯人は…貴方だ!そうでしょ‼︎」

 僕の指が差した先にはセラフィーニ。

 全員、驚愕。

 それから。

 一斉に反論が沸き起こる中、セラフィーニが「待って‼︎」と絶叫した。

 静寂の中、僕の真ん前にセラフィーニが来る。

「ど、どうして私だと?」

「だって、目隠ししてたのにいつも着地に成功してたなんて変だもん!きっと太鼓のリズムで合図を送ってたんだよ。もうすぐ足場だよ、って!」

 すうっと息を吸い込んで片手を挙げるセラフィーニ。叩かれる!と目をつぶった僕は、おじさんがサッと前に飛び出してかばってくれたのを気付かない。

「…ありがとう」

「…え?」

 セラフィーニは帽子とカツラと付け鼻を取った。袖で顔を拭くと、その下の素顔は僕が生きてきた八年の中で見た事もない美しさ。まさに天使エンジェルの芸名に相応しい、純白の毛皮の輝かんばかりの美形の猫人だった。

 おじさんなんかはその美貌にすっかり心を奪われたらしく、尻尾が感動のあまり斜め45度で凝固している。

「私はずっと苦しかった。私は…私は」

 ルチオはいい加減な男だった。団長やドミニオ、ケルビーノのような古株からはすっかり見下げ果てられていた。しかし男前な容姿と溢れんばかりのスター性から、彼目当てにサーカスを訪れる客も多かった。

 小ぢんまりとした、しかしレベルの高いサーカス。団長のもとに集まった、家族以上の仲間。自分が大切に思う、ただ一つのものだった。

 しかし異国の大サーカスの目に留まるや否や、ルチオはあっさりと自分を支えてくれた仲間を見捨てると言った。

「あのとき、殺そうとなんて思わなかった。大事な家族が一人でも欠けるのが嫌だった…これが最後のショーなんだって思ったら、指が動かなくなって」

 本来、足場に近づくごとにリズムを微妙に変えて距離を伝え、ジャンプをする前にダブルタップで合図をしていた。軽やかに華麗に宙を舞い、足場に降り立つ。それが二人が示し合わせて作った段取りだった。

「あれからずっと彼が見えていた。光の中に。苦しそうに。嘘を、罪を隠している私を責めるように」

 セラフィーニは両眼から滂沱ぼうだの涙を落としつつ僕の手を取る。

「ありがとう、小さな探偵さん…これで私は救われた」


 帰りの車の中でおじさんは大袈裟に嘆いていた。

「あーあ、あんなに可愛い子ちゃんなんだったらもっとしっかりねっとりがっちりもっちり取り調べしとくんだったなぁ」

 僕は呆れて助手席に胡座をかく。

「もー、おじさんは綺麗な人だといつもそうなんだから!でも、今回はそれしなくて良かったじゃん」

「やっぱガキはしようがねえなぁ。いいかトト、男たるもの美女と落ちてる財布はすぐに手をつけなきゃ」

「だってセラフィーニさん男だったもん」

「…」

「…」

「…嘘だろ」

「ホント。近くで見ないと分からないけど、話してる時に襟首から喉仏がね」

 マジかぁ!と今度はがっくりきてハンドルに額を埋める。中古の日産が蛇行して、僕はギャァと悲鳴を上げた。

「…けどま、お前も、ちっとは見所があるかもな」

「へ?なんで?」

「あんな風に犯人に感謝されるなんてこたぁ、探偵冥利に尽きるってもんだ!」

 咥え煙草で片唇をニッと吊り上げるおじさんの悪役風な笑顔。僕も調子を合わせて真似してみた。でもフロントガラスに映ったのは皮肉も渋さも微塵も感じられない、やはり八歳らしい子供の満面の無邪気な笑顔だった。

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