人間は鈍い

あかな

人間というモノ

今回のお題が発表された時、例によって

検索をかけてみた。

先ず『ミステリー』からだったのたが……

やっぱり「あ、そうなんだ」があった。


以下はウィキペディアを元に。

『ミステリー。

神の隠された秘密、人智では計り知れないこと。聖書に書かれている神秘の物語のこと』

ここまででも「そうだったのか」だったが、さらに『漢字表現に置き換える場合は「神秘」や、あるいは仏教用語の「不思議(不可思議)」が当てられる』ーーー。

「『不思議』って仏教用語だったのか……」

と、静かな驚きにうたれ。

さらに『聖書の神秘物語を題材とした演劇も「ミステリー」と呼ばれている』

にまた「そうなのか……」としみじみ。

ミステリーという言葉、本来(最初)は宗教用語だった。


ホラーも検索したが、こちらは自分の認識と

大きくズレていなかった。


このお題、どう書こう何を書こうと考えて、

思い付いたのが先日の出来事。


終日ほぼ雨模様で、午後は雷まで鳴っていた。春雷が、屋内にいてもはっきり聞こえる。風も強い。お客も少ない。

ゴミを捨てるためにカッパを来て出ないといけなかった。面倒。

「こんな日は家にこもっていたいな」

という日。

そこまで考えてふと浮かんだのは

「野生の動物達ならそうするんだろうな」

「ねぐらの外に出たりしないだろう」


何故かと言えば「外が恐いから」

風雨が吹き荒れ雷まで鳴っている様な

状況ではどんな危険が襲ってくるかわかりません。籠ることも生き延びる為の手段の一つ。


比べると人間はどうでしょう?

上記したような天気でも外出します。

もちろん店としてはありがたい事ですが。

しかし警戒心(もしくは危機感)が薄すぎる。

「近所だから」

「必要な物があるから」

それは本当に今必要な物や事なのか?


『ミステリー』の意味として

『神の神秘』や『人智では計り知れない』がありましたが。

『自然』もそういうモノだと認識しています。『自然=神、人智では計れない』

この考え方は日本古来の宗教感ですが、自分の場合体験を通しての感想です。

東日本大震災に被災して以来の。

人間にどうにか出来るモノでは無いと。


天災を目の当たりにした人であれば、きっと多かれ少なかれ思い知らされる。

人間がいかに卑小な存在か。

「人間が」というより「一個の命が」と言った方が正確でしょうが。


偉そうな事を語るつもりは無いけれど、

人にはもっと自然や恐怖について考える

事が必要なのではないか。


恐怖をお手軽な気分転換の道具としてしか見ていないのはどうなのか。

ホラー映画等はその典型。

「安全を保証されている」場所で、

「楽しみの為に怖いモノが見たい」


街中にいると、生命の危機などほぼありません。当然、自然に対して恐怖や神秘を感じる事もない。

それらは話の中だけのモノ、その時だけのモノ。身になる事がない。


総じて現在に生きる人間は恐怖(自然)に鈍感すぎる。

雨風が激しく、雷まで鳴っている天気を

気にしない様では…。


恐れを知らないような生き物が、

賢いと言えるのか。

自分の身の危険がわからないのに。


それは長と言うべきモノであるか。



絶対言えない。



個人的な意見ですが。

















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人間は鈍い あかな @koubai_1024

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