手紙

 手紙


 全ての物事には最初が存在するけど、自分たちはそれを何も知らないと思う。

 当たり前のことだが、この事実を世界のみんなは忘れかけている。もちろん忘れてない人もいるし、忘れている人もいる、たった今忘れようとしている人もいるだろう。世の中に潜んでいる身の回りの「あたりまえ」にだって最初はある。それが存在するのは決して必然じゃない、世界の誰かが運命を捻じ曲げて創りだしたものこそが今の自分たちであり、世界だ。だから我々人類は今ここにある全てに感謝の意を表すべきだ。未来を創りだす、これからの人類のために、、、

 「人類の光」という本に外国人が自慢げにこんな事を書いていた。僕はなんのために生まれてきたのでしょうか。感謝するためでしょうか。誰に、何を?身に降りかかる不幸にも感謝しなければならいのでしょうか。そんな世界なら僕は居たくない。自分がここに存在しなければならない理由が私にはわからない。私がこう思ったきっかけをここに記します。誰かに答えを教えてほしいから。

これを読まれている頃には私はこの世にはいませんが、いつまでも答えを待っています。

 私の日常は目覚まし時計の嫌な音から始まり、会社に行く準備をして、嫌がらせのように眩しく光った太陽を浴びながら会社に行く。会社の上司や、はたまた同僚にまで暴力や嫌がらせなどのいじめに遭っていた。人は誰でも自分よりも下の存在を作り、いたぶったり、傷つけたりしないと自分を維持できないんだ。人よりの弱い私はすぐに標的になった。しかし、私にはそれでも仕事をやめない理由があった。一生大切にしたいと思う人との生活のために。私には香奈という結婚を約束した人がいた。もう同棲しており、苦痛の会社から帰ってきた後も、香奈の笑顔見ればすぐに立ち直ることができた。幸せを具現化したような存在だった。さらに、私を支えてくれた人がもう一人いた。親友の谷川だ。高校からの付き合いで、たまに二人の予定が会うたびに私の家でお互い朝まで飲み倒して、相談に乗ってくれた。所有している幸せの数は人より少ないかもしれないが、それでも私には充分すぎるものだった。そんなある日、朝仕事に行ってすぐに、自分の地元の街で放火事件が起こったというニュースを見た。心配になり母に電話するが、応答がない。私は居てもたってもいられなくなり上司に話をつけようとしたが、なかなか話に応じてくれなかった。結局、定時より少し早い時間にやっと解放された。直ちに実家へ向かった。死に物狂いで走ったりしたが、新幹線に乗ってしまうと、座っていることしかできない自分が情けなかった。それでも何とか到着したが、手遅れだった。どこが誰の家なのか分からない程の全焼だった。すぐ近くの人に死傷者などの詳細な情報を聞いた。両親は死んでいた。遺体を見つけるのにずいぶん時間を要したらしい。何が何だか分からなくなってしまうとは、正にこの事かと、場違いに感心していた。放火魔はまだ捕まっていない。そんな私を嘲笑あざわらうように夕日は空に光っている。そうか、幸せっていうのは不平等で、不幸は無限に降りかかる。なんのために生まれてきたのか、どう生きればいいのか。それ以外にも考える事は山ほどある。両親の葬式や、家の手続き、街の復興。救いを求めるかのように家に帰った。家に帰れば香奈がいる、幸せの具現者だ。彼女に会えば救われるはずだ。そういえば香奈に何も報告していなかった、無我夢中だったからか。家にはテレビをおいてないので放火事件についてすら知る術がない。到底一人では耐えられない、私の人生には不幸が多すぎる。

家の前に着くなり、急ぎ足でドアに近付き、勢いよく

「ガチャッ」とドアを開けた。

家に入ると、全く遠慮のない街中の工事現場くらい騒がしい声が聞こえてくる。高い声が一定のリズムで。どうやら耳まで狂ってしまったらしい。寝室に入ると、私の幸せの具現者と谷川が動物のようにお互い求め合っていた。3人は一瞬膠着した。およそ1秒ほどだったと思う。しかし私には1分くらいに感じられた。目の前が見えなくなった、二人が半裸のまま私に対して何かを必死に訴えている、だが全く聞こえない。聞こうとしているのに聞こえない。何故だろう、わからない、なぜ聞こえないのか。気づけば私は地面を這いながら自分の声で何もかも聞こえなくなるくらい爆笑していた。笑いすぎて息が続かなくなり、次第に咳が出るようになり、笑う時間より咳が出る時間が長くなってきたあたりで喀血していた。それでも笑っていた。聞きたいんだ、聞きたくて仕方がない、彼らの言い訳を。目の前であの景色を見せた君たちが、どんな言葉を選んで伝えてくれるのか、しかし聞こえない、自分の笑い声があまりにも大きすぎて。

 そこからの記憶がない。気づけば病院にいた。私の人生にもこんな瞬間があるのかと、また場違いに感心した。悲しくなんてなかった。記憶障害が起きていると医者に言われても何も思わなかった、私の記憶はショックで消えてなどない。全て覚えている、思い出すたびに笑いが止まらない、悲しくなんかない、絶望してるわけでもない。ただ思い出す、外国人が自慢げに記した、「人類の光」という本に書かれてあった言葉を。僕は忘れなどしなかったのに、あたりまえの最初も、感謝も。

香奈と谷川関係はいつから始まったんだろう。

律儀に感謝していたあたりまえは、全く幸せなんかじゃなかった、ただの汚いドブのような人間関係だったわけだ。私には幸福は訪れないのか、何に祈ればいい、誰か教えてくれ。

病院にいる間はそんなことばかり考えていた。

 退院の日がやってきた、自分の体が重い、まるで自分の体が屍で、それを心臓が重力に逆らって無理やり持ち上げているような感覚だ。歩きながら自分の記憶を振り返っては、喉から血が出るまで思い出し笑いをしてしまう。救われたい、救われたくて、思い出すのはあの本に書かれてあることだけだった。幸せがない人間に対して書かれている項目がない。しかし私は気づいてしまった、一つだけ成し遂げてないことがある。人生で一度も、運命を捻じ曲げてまで未来を切り開こうとしたことがない。私の落ち度だ、認めよう、これなら幸せを手に入れられなくても仕方がない、だから私はあたりまえをぶち壊したいと思う。この生きるという選択肢に縛られたあたりまえを、生きて苦しまなければならない運命を、塗り替える。


今、真下に少し荒れた海がある崖の上に身を置いている。

思えば、あの本を一神教でも信仰しているように夢中だった。取り憑かれていたのかもしれない、行動を縛られていたのかもしれない。だが、仕方がない、人間は誰でも何かの奴隷だ。素敵なことじゃないか、問題は何に縛られるか、そこから解き放たれたいか。人間には数多の選択肢がある。なぜ生まれてきたのか、なぜ生きているのか。思い出すとまた笑ってしまう、血を吐きながら笑うなんて、そんな自分に対しても笑いがこみ上げてくる。人生が何たるかをわかっている偉い人はこう言う、笑って生きている奴が一番強いんだ、幸せなんだ、と。だけど私は幸せになれない、笑うと血を吐いてしまうから。

だから最後は大いなる海を選んだ



 僕だけの話


 長い間水の中を潜っていたかのように、読み更けた。読み終えた瞬間に、息継ぎをするように大きく息を吸い込んだ。窓の方を見ると、外はグラデーションの終着点である、真黒に包まれていた。今にも自分に襲いかかってきそうな景色だ。

「父さんは全てを話してくれなかったのか」

僕の悪い癖だ、何も考えずに喋ってしまう。

初めて自分の存在を疑った、どうして生まれてきたのか、どうして生きているのか、と。自分が不倫関係であった男女から生まれてきた人間であったことを知って、息を呑んだ。一瞬で自分の幸せが大暴落する音が耳を支配する。とても不愉快。だが、すぐに平常心に戻った、冷静になれた。なぜそんなことが出来たのかは分からないが受け入れがたい真実を、大蛙のように丸呑みした。落ち着いた僕でも、彼の問いには答えられそうにない。そして僕は、「ふふ、ふはは。」と、気持ちの悪い静かな笑い声を書斎の本にしみ込ませて、日常とはかけ離れたこの手紙を元の位置に、(見たことが知られないように)元の状態で引き出しに挟ませた。コーヒカップを手に取り、ドアを閉めて階段を降りる。残り三段という具合まで降りた時に玄関のドアが開く音がする。おそらく父だろう。

玄関まで歩み寄り、目を合わせ、いつも通りの表情と声色で、

「おかえり」と言った。

「ただいま」と父もいつも通りの優しい声で応答した。


父の書斎の電気を消し忘れていた事を、この時はまだ気づいていない。

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