暴かれた土葬

草群 鶏

ある春の日

 かれが住むのは古いマンションの一室、そのベランダは鬱蒼としてじつに居心地がよかった。

「鬱蒼としたベランダ」とはこれ如何に。しかし事実なのだ。ほったらかしの鉢植えはほどよく陽射しをさえぎり、時折ざあっと通る風が青葉の香りを運んでくる。

 たけしは蜻蛉に似た翅をそよがせながら、ハンモックでくつろいでいた。

 ハンモックはお徳用玉ねぎが入っていたネットを物干しにくくりつけた手製品で、身の丈30センチほどのたけしにはぴったりである。時折あらわれる近所の飼い猫や、性懲りもなくちょっかいを出しに来るヒヨドリの相手をしつつ、うららかな春を全身に浴びて楽しむ。

 そのうちに瞼が重くなり、あたりの様子が遠のきはじめた。考えてみれば絶好の昼寝日和、今日に限っては特に出かける用もなかったので、そのまま身をゆだねることにした。


 ちくり

 小さな違和感。呼び起こされるようにして、たけしの意識が浮上する。

 ちく ちくちくちく ちくちくちくちくちく

 もうすこしまどろんでいたかったが、「それ」は増える一方で、たけしの二度寝を許さない。身じろぎすると一時は止むのだが長くは続かず、そのうちに全身がむずむずしはじめたので、たまらず飛び起きた。

 目を開けても、しばらくは何が起きているのかさっぱりわからなかった。寝ぼけまなこに映るのは薄茶色のもやもや、それが身体にまとわりついて蠢いている。頭を振ってもう一度、努めて焦点を合わせた。

 そして、ぴたりと目が合う。

「うわああああああああ」

 三角の頭にみどりの眼。視界いっぱいの。

 そう、たけしの身体にびっしりとまとわりついていたのは、生まれたばかりのカマキリのこどもだったのである。


「笑い事じゃない!!」

「ごめんごめん」

 あたりをつんざく叫び声になにごとかと飛び出してきた家主は、前衛的な生体ファッションにつつまれたたけしを見るなり腹を抱えて笑った。

「小さいのにちゃんとカマキリの形をして、かわいいじゃないか」

「お前、俺のサイズを考えろ。ヒトに大人サイズのカマキリが群がってるのと、サイズ比ほぼ同じだぞ。いっぺん想像してみるといい」

「……ちょっとしたホラーだね」

「だろう」

 すべてのカマキリを全力で振り落として室内に避難してきたたけしは、胡座に腕組みでぷりぷり怒っている。子カマキリたちはいまだに窓の外でうろうろしており、群がられた感触を思い出して身震いがした。虫が特別苦手なわけではないが、いまならゾンビ映画の主人公の気持ちがわかる。

「だいたい、世話もしないのになんでこんなに鉢植えが並んでるんだ」

 荒れ果てたベランダのどこかに産み付けられた卵が孵化したのが、たけしが寝入っているまさにそのときだったのだ。きちんと手入れされているならば、こうはならなかっただろう。

「あー……」

「どうした」

「それ、元カノが置いていったんだよね」

「なんと」

 彼女が出入りしていたのはもうずいぶん前のこと。別れてからもしばらく面倒をみていたが、もともと興味も思い入れも薄かったのでいくらももたなかった。一体何が植わっていた鉢だったのか、真相は藪の中である。

「正直、処分もしにくいんだよなあ」

「まあな。しかし、いい機会かもしれないぞ」

「そうだな」

 そんなわけで、次の休日にベランダを一掃することになった。

 ところが。


 処分方法を調べて、頑丈なゴミ袋も用意した。植物と土と鉢植え、それぞれ行き先が違うので、真面目に分別することにした。

 長いあいだ放置した鉢にはすっかり根が回ってしまっていて、引っこ抜いた姿は湯を入れる前のカップラーメンのようだった。土をぎっちり抱え込んでいるので、新聞紙の上で崩していく。

「これけっこう大仕事だぞ」

「まあまあ」

 面倒な気持ちをやり過ごしながら作業に励む。しばらくして、たけしが「なんだこれ」と声を上げた。

「なに」

「これ」

 土の中から華奢な金の鎖。ハートのモチーフに小さな石がついた、ペンダントだった。

「それ、俺があげたネックレス」

「うそだろ」

 二人は無言で顔を見合わせる。

 埋められていたのはペンダントだけではなかった。リング、ピアス、ネイルチップ。見れば彼女のものとわかる品が、異様な鮮やかさをもって出土する。

「……お前の彼女は何がしたかったんだ」

「わかんない」

「恨まれるようなことでもしたのか」

「それはないとおもうけど……」

 まったく意図がわからない、そのことが二人をうすら寒い気分にさせた。

 彼女の持ち物、すなわち彼女の一部は、土の中に埋もれたままずっとそばにいたのだ。発見してしまうと、どこからか視線すら感じる。

「どうする」

「捨てるのも怖いけど、置いとくのも怖い」

「よし」

 たけしはおもむろに飛び立って、台所から小さめのビニール袋を持ってきた。

「俺にまかせろ」

 マンションのゴミステーションは分別さえすればいつでも捨てていいことになっている。翅のあるたけしの行動は素早かった。

「捨ててくる」

 そのまま、最短距離で行って帰ってきた。

「もう大丈夫だ」

 言い聞かせるように胸を張ったたけしの言葉に、どっと深い溜息が出る。

「今日がいい天気で、お前がいてくれたことに心から感謝するよ」

「まったくだな」

 芽吹きのみどりが陽射しにきらめく春の日。明るいうちに済ませてしまおうと、残された骸を黙々と片付けていった。

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