探偵は異世界が嫌い
人生
ぜんぶ女神のせい
外が曇天のせいもあるのだろうが、まるで宇宙かのごとき暗黒が広がっていた。
王城の一室から見下ろす城下町は恐ろしいほどに静まり返り、一戸も明かりを灯していない。
遠く、鬱蒼とした森の奥地に松明と思しき光が見える。うっすらと上がる煙は闇に解け、周囲の暗黒をよりいっそう引き立てていた。
「あれは、騎士団の野営の光です」
と、私がそちらに目を凝らしていたからか、離れたところに立つ巫女見習いが説明する。
「なんでも、魔物が現れたらしく。その討伐に向かったそうです……また、『魔王の迷宮』から魔物が出たそうで」
さすが異世界とでも言うべきか。
私が女神とやらに――正確には女神の命を受けた神官や巫女たちによってこの世界に召喚され、早数日。受けた依頼に、解決の兆しは未だ見えない。
魔物に殺された、勇者の末裔――王子殺しの犯人捜し。
自分でも矛盾していることは分かっているのだが、そう説明する他ないのだ。
事実として、王子は魔物に殺されている。
しかし、依頼主はそれを認めない。
いわく、
『王子はまだ死ぬ運命にないのです』
『神が定める寿命というやつか。しかし、事実として彼は死亡したのだろう』
『しかし、それはあり得ないのです。王子はまだ死ぬ運命になかった――即ち、無事に成人の儀を終えることが女神により約束されていたのです』
神が言うのなら、そうなのだろう。天寿を全うし、老衰により他界する予定だったのかは知らないが――それこそ神のみぞ知るというものだが――少なくともその日、迷宮の中で死ぬはずはなかった。
にもかかわらず、女神の意図しない――運命にない死が訪れた。
ゆえに、女神は疑うのだ。王子は何者かに殺されたのだと。
聞くところによれば、王子は勇者の末裔に相応しい
確かに、その中で王子だけが殺されるというのも不自然な話に思えてくる。
パーティーにいた他の者の寿命に変化はないというのに――王子だけが。
『女神というからには全知なのだろう。なら、誰が殺したのかも分かるのでは?』
『現場となった「女神の迷宮」には、私の力が及ばないのです。そこは我が姉、魔王を封じるアイジスの影響下にあるため』
『つまり、ある種の密室という訳だな。神の目を逃れることの出来る、唯一の死角』
『ええ。そして、私は地上の全てを知ることは出来ても、そこに生きる人々の心の裡までは見通すことが出来ません。罪があれば皆、神殿にて私に告白するでしょう。しかしそうして王子殺しを打ち明ける者は未だおらず、また、それをにおわせる素振りを示す者もおりません』
『心の中まではさすがにプライベートが守られているという訳か。それにしても、懺悔なくしては人の罪を知れないとは……なるほど、迷宮とやらはこの世界の人々にとって、唯一己を曝け出せる場である訳だ』
神の目があるため、この世界は実に平和であるらしい。特に女神の庇護下にあるこの国の住人ときたら、悪く言えば完全に平和ボケしている。時折起こる魔物の襲撃で被害を受けたり、その討伐のために剣をとることはあれ、比較的平和で温厚な空気が漂っている。
ゆえに、王子の死は相当ショッキングな出来事であっただろう。
当初は、いわゆる事故――単に、王子の
(女神の啓示を受け、この私が現れたことによって――)
人々は、王子の死が人為的なものである可能性に不安と恐怖を覚えている。
これが現代日本で起こる一般的な殺人事件なら、まず疑うべき点は二つ。
第一に、王子を殺して利を得る人物だ。たとえば第二王子や、国王の側室など、王位継承権を得る人間の犯行を考えるのが筋だろう。
ただ、現場は迷宮――直接立ち入るとは思えないので、実行犯は別にいると考えるべきだ。
つまり、現場にいた人物である。
王子に同行したのは四人。かつて魔王を討伐したという勇者一行の末裔である――パーティーの楯となる
これが厄介な問題である。
魔法――そう、この世界には魔法という、トリックもクソもない、掟破りが存在するのだ。
となれば、密室など意味をなさない。迷宮の外から誰かが魔法で魔物を操ることも可能になってくる。
同行者によれば王子は魔物に殺されたというが、これもおかしな話だ。
傷を癒すことの出来る僧侶がいるではないか。
女神に祈りその力を借りて癒しの魔法を扱うことが出来るという、僧侶が。
(他三名によれば、僧侶は必死に回復魔法に努めていたというが……)
他三名もまた僧侶とグルであり、四人がかりで王子を追い詰めたという線が浮上してくる。
認めたくはないが、私の推理はここまでが限界だ。
それも、魔法というものを考慮せずに、である。
魔法という未知の技術が存在する以上、この世界のありとあらゆる魔法について熟知でもしていない限り、魔法の使える全ての人間が容疑者になるからだ。
……私には、これ以上の犯人特定は不可能である。
一応、女神の加護として私にはこの世界のありとあらゆる「知識」が与えられているが、それは頭の中に図書館が建ったようなもので、さすがにその中の一冊一冊にまで目を通すことは難しい。
他者に与えられた知識など、所詮は「記憶」でしかないのだ。言葉の意味や魔法の仕組みは理解出来ても、喋る以外にそれを行使することは出来ないし、生憎と頭にあるからといって全ての知識をフル活用できるものでもない。むしろ、その知識があるゆえに、いくらでも遠隔地から王子殺しが可能だという推理が立ってしまい収拾がつかないのだ。
とても口惜しいが、私は女神にそれを告げる他なかった。
『殺された王子本人に訊ねることは出来ないのか』
『それは、死した王子の霊魂に、自らを殺した者の名を訊ねるということですか』
『そうだ。被害者が語るなら、それに越したことはない……』
ふだんなら名探偵の矜持が許さないが、今回ばかりは例外だし、そもそも例外が通る世界である。それが出来るならむしろそうすべきだろう。
『生憎と……人々の生と死を司るのは我が姉・ヘイオスの役目。私は彼らの寿命を知ることは出来ても……、』
『管轄外という訳か。女神もお役所仕事なんだな』
その上この女神は下界を観察するくらいしか権能がなく、世界の命運はいまや定命の人々に委ねられているそうだ。今回、異界から私のようなものを召喚したのは特例中の特例で、それもこの女神を信奉する神官や巫女たちが力を総結集し、使い果たしたがゆえのもので、決してこの女神の権能によるものではない。私の世話係として神殿から遣わされたのが年端のいかない巫女見習い一人というのも、そういう理由からである。
女神との会話も「私の夢」というかたちで行われ、その姿も件の見習いの姿を借りたもので、このやりとりも私が目覚めた後、「文章」や「音楽」のようなイメージで私の記憶に残るばかり。女神は己の存在を地上に残すことが出来ないのである。
女神とは名ばかり。彼女はあまりにも無力だ。
「ふう……」
息をつく。目を覚ますと、私の頭の中には「そういうやりとり」があったことだけが漠然と残っていて、女神の姿も朧気だ。
ただ、こちらを覗き込む少女の姿がそれに重なった。
「お休みになるのなら……、それとも、女神様から啓示があったのですかっ?」
「啓示か――」
神を信じる人々と、人々を信じる神。お互いの善意と信頼とで成り立った、温室のような
しかしその調和は、王子の死で――あるいは、私の到来により乱れ始めている。
国王は自らの周囲に犯人がいるのではと猜疑心に囚われ、尊敬されていた勇者一行の末裔には疑惑の目が――そして人々は魔王復活の予兆ではと、終末を恐れる二十一世紀初頭のような混沌の巷にいる。
この状況で、いちばん利益を得るのは誰か。
「女神よ、私の結論を言おう」
女神が人々の信心によって成り立つなら――魔王は、どうか。
きっと不安や恐怖、猜疑心といった負の感情を糧にするのではないか。
そういうものが溢れる環境をこそ好むのではないか――
事件現場は、魔王の封印された迷宮――人々はそこを『魔王の迷宮』と呼ぶ。
一方、女神はそこを『女神の迷宮』――と。
さも自らの……他の女神の力が及んでいるかのようだが、人々にとって魔物が巣食うその場所は、魔王の領域なのだ。
「王子を殺したのは、魔王だ」
勇者の末裔がやってくる時を狙って、魔王が本領を発揮したのなら。
回復魔法が効果を為さなくても、不思議ではない。
迷宮という密室に関して、女神は関与できないのだから。
これは、魔王による計画殺人だ。
そしてこれは、始まりに過ぎない。
「そんな……名探偵さま、何を仰るんです……! 魔王が復活したというなら、女神様が啓示を下さるはず……」
たとえ迷宮内とはいえ、魔王が復活したのなら女神も察知するだろう。たとえば、人々の寿命の変化だ。
しかし、もしも魔王がそれを見越し――人々を殺さず、支配下に置こうとしているなら。
そもそも勇者の死を知ることが出来なかったのだ。女神の知る寿命もどこまであてになるか。所詮は、女神が定めた寿命――魔王なら、あるいはそれを覆せるのではないか。
「魔王が復活しようとしている――私が現れたこと、それが啓示だ」
女神すら推理できなかった、魔王復活の啓示。
現に、魔物は迷宮から頻繁に出で、女神を信奉する者たちはダウンしている――この好機を、逃す手はない。
何より、勇者が死んだのだ。
「巫女見習いよ、王に伝えろ。事件は解決した」
さて、これで私はお役御免だ。
犯人への対処は、然るべき者たちの仕事である。
探偵は異世界が嫌い 人生 @hitoiki
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