アウターワールド・ログイン

入川 夏聞

本文

「教え子のナタリーが、もう三週間以上も行方不明なのです。どうか、捜査してほしい」


 ロンドン郊外のカフェで待ち合わせた大学教授のトマスより受けた依頼は、端的に言えばそのようなことだった。


「まあ、調べてみますよ。こんなナリでも、もう二十年もこれでメシを喰ってましてね」


 くたびれたトレンチのポケットに手を突っ込んで立ち上がった刑事ヴェインは、鷹揚にトマスへ別れを告げた。

 テーブルの周りで聞き耳を立てるだけだった役立たずのウェイターには空っぽのライターをチップがわりに渡して、そのカフェを出た。

 近くの大通りまで出ると、人通りは一時期よりも多少の回復を見せていた。昨晩の追悼式イベントでのゴタゴタが無ければ、こんな寝不足で頭がガンガンすることもなく、このうららかな春の陽気を満喫することも出来たろうに。


「ん。シェリーか」トレンチポケットの片隅から、ヴェインは携帯を手にとった。


『もしもし、兄さん?』通話ボタンを押した瞬間に、前のめりな声が飛び込んでくる。

「ああ、そうだ。なんだ、珍しいな」

『いま、忙しい?』早く答えろと言わんばかりの矛盾した声音で、シェリーはまくし立てた。

「いや、別に。いつだって忙しいさ、刑事はな」

『あっそ。良かった。ねえ、私、勤め先クビになったって、先週言ったじゃない?』

「ああ、そうだったか」

『何よ、その態度。あんなに心配してくれてたじゃないの。あの言葉は何だったの!?』


 しまった、何か地雷を踏んだらしい。寝起きの脳にこれは辛い、とヴェインは面食らった。


「すまん、SNSメッセージに書いたその文言は今、きっとエジプト辺りを旅行中なんだよ。どちらにしろ、コロナの時期にエステティシャンじゃあ仕方がないじゃないか。人にベタベタと触って金を稼ぐのは、もう終いにしたらどうだ。俺も、出来るなら入れ墨だらけのイカれ野郎のイチモツまでいちいち探らないといけないような家業とは、本当にオサラバしたいんだがなあ。あーあ」

『もう、いい加減にして! なに、その冒涜的な態度!? 本当に信じられない!』

「あ、いや、すまん」寝不足の目に、午後の日差しは容赦がなかった。

『ねえ、兄さん、マジメに聞いて。兄さんの知り合いで、私を雇ってくれそうなところ、ないかな?』

「ああ? えー、なんだお前、イチモツを触りたいのか?」

『もう、いいッ! 死ねッ!!』


 電話は唐突に切れてしまった。まあ、当たり前ではあったが。


 そういえば、行方不明となったナタリーも、確かバイトでダンサーをしていたと言っていた。かなり本格的にのめり込んでいたようで、有名な劇団にも出入りするほどの腕前だったという。

 だが、このコロナの影響でそういったエンタメ系の職業は軒並み解雇されていると聞くから、バイトの人間など真っ先に切られてしまっただろう。


「ふむ。その辺りに、何か失踪につながる動機のようなものがあるのかも知れないな」


 顎の辺りに手をやると、ザリザリと無精ヒゲがたくましく伸びていた。


   ◆


 向かいのK通り公園で昼寝を済ませてからオフィスに戻ると、同じ課のキムとケイトが何やらパソコンの前で盛り上がっている。


「よお。楽しそうだな。なんだ、また韓国人か?」

「違いますよ、ヴェインさん。いま最高にバズってるダンスインストラクター、ナターリャですよ! 見てください、このセクシーなヒップラインッ!」

「もお、そうじゃないでしょ!? ナターリャのスゴイのは、ほら、すごく丁寧に一つひとつの動きを教えてくれるとこなの! こう、こう、こうでしょ? ほら、音楽のバックボーンまで含めて、本当に仕事を愛してるのね。動画でも写真でもコメントでも、ものすごい量の更新頻度。それを毎日よ! 毎日ッ! しかもすべてがこのクオリティー、ヒュ~!」


 クネクネと二人で画面に合わせて腰を振っている。


「やれやれ。若い奴らのパワーは、計り知れん」


 ヴェインは肩をすくめて自席にどっかと腰を落ち着け、オールドファッションのドーナツをひとかじりした。キムもケイトも、ゴテゴテとしたドーナツが好きなので、このお土産のオールドファッションも結局は自分しか食べない。


「ほんっと、ナターリャはスゴいッ!! もうSNS世界の住人ね! 私もそうなりたーい」


 ケイトの明るい声が響いてきた。


「SNS世界の住人、ね。それじゃあ、現実の世界に住んでいる俺なんかは、文字通りオールドファッションなわけか」


 現実世界オールドファッションもそれなりに、旨いものなんだがな。

 ヴェインは心の中でそうつぶやいて、残ったドーナツをいっぺんに平らげた。


   ◆


 ナタリー捜査開始から一ヶ月近くが経過したころ、依頼主のトマスからまた連絡があったので、例のカフェで待ち合わせた。


「彼女が見つかりましたよ。これを見てください」と言って、彼は携帯の動画を示す。

「ああ、たしか『ナターリャ』でしたか? この動画」

「そうです! 刑事さんは意外とお若いですねえ!」


 トマスは余計な一言を挟んだが、話を聞くと、この動画の投稿主がナタリー本人なのだと言う。それを、トマスの研究室に出入りするエミリア・スミスという女学生が教えてくれた、ということだった。

 その学生に会いたいというと、トマスはすぐに手配を進めてくれた。

 午後の授業に戻っていったトマスを見送って、ヴェインは一人、カフェでエミリアを待った。

 外の人々は皆マスクをつけて往来を行き交い、息苦しさがここまで伝わってくるようだ。

 それこそ現実よりもSNS世界の方が、よほど開放的で現実味があるという人間も、或いは居るのかも知れない。そう思いながら、ヴェインはまた消し炭を煮出したようなコーヒーで舌をしびれさせた。


   ◆


 そのエミリアが言うには、「ナタリーは、もう向こうの世界に行ってしまったの」と言うことだった。

 ワケがわからないのでよく話を聞くと、ある日、行方不明となったばかりの彼女から「こちらに来ないか」という話が持ちかけられたのだと言う。


「それは、私のツイートアプリに突然来たんです。きっと『コロナ解雇』というハッシュタグでつながったフォロワー同士の流れから回ってきたと思うのですが……」


 やがて彼女の元に送られてきたのは、『アウターワールド・ログイン』というリンクが貼られた、シンプルなダイレクトメッセージで、送り主はナターリャ、つまりはナタリーだった、ということだった。


「そのリンクには一言だけ、『こちらの世界で、一緒に全てを開放しよう』と書かれていて。結局、そのリンクは押せませんでした」

「分かりました、エミリアさん。これはあくまで捜査のためですが、その携帯、お借りしても?」

「ええ。ナタリーを、探してください」


 彼女は何か後ろめたいことでもしたかのように、浮かない表情で携帯を渡してくれた。


   ◆


「ダメっすね、全然、解析不能っすよ」


 キムはそういって、例のDMの解析結果を寄越してきた。


「一旦、中国の防火長城グレートファイアウォールを経由しているとこまでは余裕なんすよ。最近はあそこの国って犯罪者抑えるのに積極的で、わりかし協力的なんで。ただね、どう解析してもおかしいのが、このDMって、特定個人から発せられているワケではないようなんです」

「どういうことだ」

「ヴェインさん、SNSの仕組みって、そもそもご存知っすか?」

「いや、そう改めて聞かれるとな」

「まあ、ようは自動的に『自分の考えが絶対的に支持されたコミュニティ』に巻き込まれるようになってるんす」

「はあ、遠大なこったな」ヴェインは煙草に火を付けた。

「逆にいうと、これはそんな分散化されたコミュニティから送られてきた特別なリンクなんすよ。だから、個人を特定できない」

「そんなの、片っ端から当たればいいだろう」


 キムは首を振って答えた。


「無理っすよ、それこそ何百万人もノードがいます。それだけ『コロナ解雇』のコミュニティは強固なんすね。これはもう、一種の国、みたいなもんすよ」

「ふーん。で、例のリンクはどうだった?」

「それもダメっす。期間限定の特殊なリンクみたいで、押したらどこに繋がるかは全っ然わからんす」

「そうか」ヴェインは天井を見上げ、大量の煙を吐き出した。

「ただ、そのDMを受け取ったノードの半数近くが、そのアカウントでの活動を停止しているみたいなんす。妙じゃあないすか?」

「そうか? 単に気持ち悪いことに気づいて、それで現実に戻るんだろう」

「いやあ、そんなドライな人間はココに巻き込まれないと思いますけどねえ……」


 首をかしげるキムに礼を言って、ヴェインは頭をかきながらオフィスを引き上げた。


   ◆


 この前の詫びも兼ねてワインを手土産に、ヴェインは久方ぶりに妹のアパルトメントを尋ねたが、なぜか誰の気配もなかった。

 合鍵はあるので勝手に入ったが、照明はついたままで、妙な予感がした。


 奥の部屋に行っても、誰もいない。

 ただ、パソコンがぼうっと持ち主のキー入力を待つように動いていた。


 そっと近づいて、ヴェインはぞっとした。


 パソコンデスクの椅子に、濡れたままのバスローブやらガウンやらがとぐろを巻いている。妹は、こういう椅子が濡れる行為を非常に嫌う人間だった。プロのエステティシャンは小物を粗末にはしない、ということだった。


 これではまるで、妹はこの場ですっと消えてしまったようではないか。

 何者かに、さらわれたのか。それにしたって、鍵はかかったままで、窓も閉まっている。

 これから向かうと電話して、かれこれ五分も経っていない。妙だ、何かある。

 くわえた煙草の火が、真っ赤に辺りを照らす。口の隙間から、生暖かい煙が漏れ出てくる。

 煌々とした画面を見ると、ヴェインはまた肝を冷やした。


――こちらの世界で、一緒に全てを開放しよう


 そのメッセージの近くで、例の怪しいリンクが紫色に変色している。

 そして、その近くにはカウントダウン。まだ、残り時間はあるようだ。

 ヴェインは、震える手をそっとマウスに近づけた。


 3、2、1……カチり。煙草の火がポトり、椅子の上のガウンと重なった。





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