豪傑院さゆりと暗殺茶道殺人事件

尾八原ジュージ

豪傑院さゆりと暗殺茶道殺人事件

「きゃー!!」


 絹を引き裂くような悲鳴が響き渡った。名家として名高い梅小路うめのこうじ家の一角、離れの茶室は今、阿鼻叫喚の地獄絵図を呈していた。畳を血に染めて倒れているのは、梅小路家の長女、薔薇子ばらこである。

「お、お姉様!」

 次女・牡丹子ぼたんこの悲鳴に、邸内の人物が次々に集まってくる。茶室の躙り口から頭を突っ込み、中を検めた当主・梅一郎うめいちろうが大声を上げた。

「これは……暗殺茶道!?」

「ごめんあそばせ牡丹子様。暗殺茶道とは何ですの?」

 青くなっている牡丹子の袖を引っ張ったのは、彼女の友人である豪傑院ごうけついん家の令嬢、豪傑院さゆりだった。

「室町時代より当家と争っていた、暗殺拳の一派ですわ」牡丹子は憎々し気に答えた。「先代当主により暗殺茶道は滅ぼされ、平和がもたらされたはずでしたのに……」

「暗殺茶道とは!」と、突然大声を出したのは梅一郎である。「茶道を暗殺に用いたものである。標的を茶室に呼び出し、抹茶をお出しすると見せかけて自らがその抹茶を口に含む。そして歯の間から高圧をかけて押し出し、標的を斬殺するのだ! その威力は最新式のウォーターカッターにも匹敵するといわれている」

「ご当主自らのご解説、どうもありがとうございます」

 さて、豪傑院さゆりは「ちょっと失礼」と言うなり、にじり口から茶室の中へと体を滑り込ませた。三畳ほどの茶室は質素な造りで、床の間に飾られた水墨画といい、黒を基調とした茶道具といい、侘びさびの精神を思わせるものである。その中で、金糸銀糸を織り込んだ薔薇模様の振袖をまとった薔薇子の存在は、異様なほど華やかであった。おまけに彼女の死体は首と手足を胴体から切り離され、その上に抹茶が大量にぶちまけられているのだ。梅一郎が恐るべき暗殺拳を連想したのも無理はない、とさゆりは考えた。

 しかし数々の豪傑を輩出してきたことで知られる豪傑院家の令嬢である彼女は、この惨状を見ても眉ひとつ動かさず、まずは死体の検死を始めた。

「現在時刻は夜の八時……死後硬直や死斑の状態から、おそらく死亡推定時刻は本日午後二時から三時といったところですわね」

「さ、さすが豪傑院家のお嬢様……」

「踏んできた場数が違いますわ」

 茶室の外から感嘆の声が漏れる。この時点でさゆりはすでに、この犯人が暗殺茶道なるものの使い手ではないと看破していた。

「皆様、ごらんあそばせ」

 外に向かって声をかけると、躙り口から牡丹子や梅一郎らの顔が窮屈そうに覗いた。

「あの……ここは他に入り口がありませんの?」

「茶道口を作るのを忘れましたので……」

「まぁ、不便ですわね。あとで松代まつよにチェーンソーを持たせましょう」

 さゆりの御付の小間使いである松代が「承知いたしました」と落ち着き払った声で応えた。

「それはともかく、薔薇子さんの首をご覧あそばせ」

 さゆりは薔薇子の生首を抱え、切断面のあたりを指さした。「わかりにくいのですけど、ここに首を絞めた痕がありますわ。お話を伺った暗殺茶道ならば、首を絞めて殺すなどということはしないはず。おそらく犯人は暗殺茶道の仕業に見せかけるため、薔薇子様のお体をバラバラにしたのですわ。傷口に生活反応がなく、茶室全体がほとんど血で汚れていないのもその証拠」

「で、では一体誰が薔薇子を……」

菊子きくこだわ! 菊子がお姉様を殺したのよ!」

 牡丹子が悲鳴のような声を上げて指さしたのは、彼女と同年配のメイド、菊子である。実はこの娘、梅一郎の実の娘で妾腹の子であった。正妻が病死したのち、メイドとしてこの屋敷に破格の対応で雇われることになったのは、ろくに彼女ら母娘をかまわなかった梅一郎の贖罪でもあった。

 その菊子は今、名指しされて震えながらも、青白い顔で精いっぱいに抗弁する。

「怖れながら牡丹子お嬢様、私にはアリバイがありますわ。今日私はお休みをいただいて、車で三十分ほどのところにある母の家に行っていたのです。確かさゆり様が、死亡推定時刻は二時から三時とおっしゃっていましたわね? その時間は私、近所でちょくちょく買い出しをしておりました。ですから母はもちろん、お店の方や母のヘルパーさんが証言してくださいますわ。こちらに戻ってきたのは夜の七時頃ですけど、六時半まではずっと母の家の方におりました」

 一息に言い切ると、菊子はふっと溜息をついた。さゆりはそんな彼女の様子をじっと見つめていた。

(何だか用意してきたような言い訳ですこと)

 と、さゆりは考えた。(でも、アリバイがあるのは本当のように見えますわね。車で片道三十分かけてこの茶室に戻り、呼び寄せた薔薇子様を殺してバラバラにし、また車で三十分かけて戻る。少なくとも二時間ほどはかかりそうですわ。自分のアリバイにそのような空白はないとおっしゃりたいのね)

 海千山千の悪者どもと渡り合った経験のある豪傑院家の令嬢は、他人が嘘をついているかどうかが何となくわかるのだ。彼女の勘は、今もっとも怪しいのはこの菊子だと告げていた。しかしアリバイを崩し、証拠を提示しなければ、彼女を犯人として指摘することはできない。

「ふーむ、どうしたものかしら……」

 さゆりは血みどろの死体を前に思案した。初めて死体を見たときから、彼女は何か噛み合わないものを感じていた。なんというかこう、良家の子女にそぐわないものがここにはある……彼女のお嬢様としての本能がそれを告げていた。

「しかしこんなところで、薔薇子は何をしていたのだろうか……」

 梅一郎氏が首を捻った。「今日はお茶席の予定などなかったはずだが」

「薔薇子お嬢様は、この茶室が離れになっているのをいいことに、度々独尊寺どくそんじ家の唯太郎ゆいたろう様と密会しておられました」

 菊子が呆れたような声で言った。「旦那様はご存じなかったのですか?」

「あー、やってたやってた。確かにやりまくってましたことよ」牡丹子がうなずく。

「なんと! あの放蕩息子とか!? ならんならん」

「ならんも何も、薔薇子様はもうお亡くなりになっておりますが」

「で、では犯人はあの唯太郎に違いない! おのれ青二才め、痴情のもつれだかなんだかで薔薇子を殺したのだろう。許すまじ独尊寺」

「しっかりなさいませ!」さゆりは興奮している梅一郎の首筋に、素人では見逃してしまいそうな手刀を当てた。梅一郎は「きゅう」と声を上げて崩れ落ちた。

「さて……どうしましょう」

 さゆりは口元に手を当てて呟いた。改めて茶室を見渡す。質素で不便な造りの三畳間。対して、畳に散らばった華やかな薔薇子のバラバラ死体……。

「そうだわ、松代」

「なんでございましょう、お嬢様」

 さゆりは茶室を出ると、外で待っていた松代に何事か耳打ちをした。松代は「かしこまりました」と返事をするやいなや、突然菊子につかみかかった。襟をとり、大内刈りからのサブミッション、相手が地面をタップするのも構わず押さえ込んで体を探る。

「ありました、お嬢様」

「ああっ! それは!」

 菊子の顔が青くなる。それは一枚の手書きのカードで、「本日午後二時、薔薇園で 唯太郎」と書かれていた。

「まぁ、なぜ菊子がそんなものを? 薔薇園って確か……」

「ふふふ、こんな重要な証拠、おいそれと捨てることはできませんものね。筆跡鑑定をすれば、菊子様の用意した偽物とわかるはずですわ」さゆりは松代からカードを受け取り、大切そうに帯の間に挟んだ。

「か、返して!」

「それはできませんわ。これであなたのアリバイもなくなりましたわね、菊子様。松代、菊子様のお母様のおうちを調べてきてちょうだい。死体を解体した跡があるはずよ」

「かしこまりました、お嬢様」

 松代が立ち上がる。菊子は両拳を握ったまま、「ちくしょう!」と叫んだ。「薔薇子も牡丹子もいなくなれば、この家はいずれ私のものだったのに!」

「日陰でご苦労なさったのでしょうね……でも、外道に身を堕としてはいけませんわ」

 さゆりが菊子の肩を優しく抱くと、観念したように菊子は泣き始めた。

 なお、さゆりの握力は八十キロくらいである。


「さゆり様、なぜ菊子のトリックがすぐにおわかりになりましたの?」

 遠ざかっていくパトカーを見送りながら、牡丹子が尋ねた。

「薔薇子様の御召し物が、あの茶室にまるで合っていませんでしたもの」とさゆりは答えた。

「あの落ち着いた茶室に絢爛豪華な振袖、良家の子女たる薔薇子様らしからぬコーディネートですわ。おそらく彼女は薔薇園へ行くために、あの振袖をお召しになったのでしょう。そして菊子様の生家は、その薔薇園の近くなのではないかしら?」

「おっしゃるとおりですわ。では実際の殺害現場は、菊子の家の近くだったということね?」

「ええ。菊子様は薔薇園に呼び出した薔薇子様を絞殺。ご生家のお風呂場かどこかで死体を解体し、車に積んで七時頃にこちらに戻られた。そのときに茶室に死体を運び入れたのです。よくあるトリックですわね」

「死体がバラバラだったのは、暗殺茶道に見せかけるためだけでなく、運びやすくする意味もありましたのね」

「そうですわ。それにバラバラにしないと、あの躙り口からでは死体を入れることが難しゅうございますから」

「菊子が、本当にあんな怖ろしいことをしたなんて……」

 牡丹子は突然、さめざめと泣き始めた。

「いいえ、あんな怖ろしいことをさせてしまったなんて、彼女に辛くあたってきた私たちにも非がございますわ。お父様もお姉様も私も、悪い人間でしたのね……」

「牡丹子様、お姉様を亡くされたのに、なんとお優しいこと」

 さゆりは牡丹子の手をとった。

「罪を憎んで人を憎まず。いずれ菊子様が罪を償っていらしたときには……おわかりですわね?」

「ええ」牡丹子は涙をぬぐった。「正々堂々とタイマンで勝負いたしますわ」

「ふふ、さすが私のお友達ね」

 さゆりは爽やかに微笑んだ。「そうと決まれば、さっそくトレーニングをしましょう! 豪傑院流スクワットをお教えしますわ!」


 梅小路家の庭園に、スクワットをするふたりの掛け声がいつまでも轟いていた……。



<終劇>

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