ひまわり 🌻
上月くるを
ひまわり 🌻
往年の名画ばかり上映しているミニシアターのお客は、若い男女、中年の夫婦、そして、歳のわりにどことなく初々しい感じのする老年のカップルの3組でした。
ブザーが鳴ると、いきなりイタリア映画が始まりました。
画面いっぱいに、ひまわりの花群が風にそよいでいます。
胸の豊かな女優が、オートバイを運転する男の腰につかまって叫んでいます。
24個の卵をつかった巨大なオムレツが観客の笑いを誘うのもむかしのまま。
やがて、男は戦争に狩り出され、兵士になってソ連へ行きます。過酷な雪中行軍中に倒れた男は、近所に住む娘に助けられました。以上が第二次世界大戦中の話。
🎦
戦後、恋人の生存を教えられ、イタリアからはるばる訪ねて行った女が見たのは、青空に洗濯物がひるがえり、楽し気な子どもの笑い声が聞こえる平和な家庭。
古めかしい旅行鞄を提げたまま呆然と道に立ち尽くす女優の目から、どっと涙があふれ、同時に観客もいっせいに泣き出す瞬間です。適度な間隔で座っている3組の客も、全員が小刻みに肩をふるわせながら、けんめいに号泣をこらえています。
とりわけ激しく嗚咽しているのは、老年カップルのおばあさんでした。
おかっぱに切り揃えた白髪を傾け、ハンカチを目に押し当てています。
となりのおじいさんは……というと、やはり老いた頬をぐしょぐしょにしていますが、奇妙なことに、しきりにおじいさんを気にするおばあさんのほうを、ちらりとも見ようとしないのです。まるで、知らんぷりを決めこんいるみたいに……。
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映画はクライマックスに近づきました。
恋人への思いを断ちきり、遅ればせに結婚した夫との間に生まれた赤ちゃんを、ソ連から訪ねて来た男にガラス窓越しに見せて、永遠の別れを告げる名場面です。
お互いに愛し合っているのにどうしようもない現実に、おばあさんはひとしきり激しく泣きじゃくっています。そんなおばあさんをさすがのおじいさんも一度だけ
エピローグの画面いっぱいにソ連の大地に咲くひまわりの花がそよいでいます。
🌻
照明がつくと、来たときと同様に、若い男女、夫婦連れの順に席を立ちました。
最後まで座っていたおじいさんがゆっくり腰を伸ばしながら立ちあがりました。
けれど、となりのおばあさんは動かず、おじいさんの様子を目で追っています。
チカチカと灯りが点滅したかと思うと、おばあさんのすがたは消えていました。
客が立ち去ると、アルバイトの青年が掃除用具を持って入って来ました。2組の観客の座席の掃除を済ませると、おじいさんとおばあさんの席にやって来ました。
――ん? なんだ、これ。
椅子と椅子のあいだに、小さな四角い紙片が落ちています。
――昭和46年3月16日午後2時開演「ひまわり」
むかしの映画のチケットのようですが、なぜこんなものがここに?……。
ひょこっと肩を竦めた青年は、紙片を無造作に塵取りに放りこみました。
天井のどこか高いところで、「あっ!」さびしげな女性の声がしたようですが、高校の軽音楽部で練習中のジャズをハミングしている青年の耳には聞こえません。
☆彡
50年前の今日、ひとりの女性が恋人の青年と映画を観る約束をしていました。
けれど、途中で遭遇した事故で、記憶を失くしてしまったのです。倒れた女性が握りしめていたのは、そのころ大評判だった映画「ひまわり」の前売り券でした。
記憶を取りもどせないまま見合い結婚をした女性は、それなりに幸せな家庭生活を営んでいましたが、つい先ごろ、子どもや孫たちに看取られて他界したのです。
ずっと独身を通してくれた恋人と念願のデートを果たした女性は、枯木のように痩せた長身が春霞のかなたへ遠ざかって行く、その背をやさしく見送っています。
ひまわり 🌻 上月くるを @kurutan
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