退職届が消える謎
黒いたち
退職届が消える謎
私はリーフ。
翼の生えた馬、
担当していた天馬が、冬を
愛馬を失った騎士は、一昼夜、天馬からはなれず、そのうえ
風のうわさでは、
あのとき目にした彼の悲しみはすさまじく、私にもっとできることがあったのではないかと、
眠れない日がつづき、しごとにも
だけど、
なんて私は弱い。
皆、乗り越えているのに、どうして私には、できない。
こんなことぐらいで、と思ったときに、
こんなこと、などと言っては、もうしわけない。
彼にも、亡くなった天馬にも。
退職したら、しばらくはのんびりしよう。
そうして
「
ユアン
私の退職届が、
「探しているが、時間がかかりそうだ」
「……もういちど、書いてきます」
探すより、あたらしく書いたほうが早い。
「そうか。では、次は責任を持って、
退職届には、
その日は定時でまっすぐ帰り、二枚目の退職届を完成させた。
三日後。
ユアン室長に呼ばれた私は
「またですか!?」
「団長の机に間違いなく置いたが、見ていないと言われた」
「ええ……」
退職届という重要な書類が、なぜ二回もなくなるのか。
「すまんな」
「いえ……
理解の
人の目に見えない妖精が、悪戯をしたという、おとぎ話の一種だ。
妖精のせいにしなくては、やってられない。
はは、と力なく笑った私を見て、室長は片眉を上げた。
「次はおまえが直接団長に渡してこい」
「私がですか?」
「妖精に負けず、がんばってくれ」
「なんですか、それ」
たしかに、自分で持っていくのが一番確実なので、
次の日。
三回目にもなると、退職届を書くのにも慣れてきた。
団長室、
天馬騎士団長イグナーツ・エルメスタは、
女性のようにも見えるが、細身の
魔法の才能にも
強く美しい団長には、国内外にファンが多い。
天馬を
「
いつぞや、新聞で
団長へのインタビューの中に「好きな女性のタイプは?」という質問があった。
完全に、新聞の売り上げをねらった質問である。
イグナーツ団長の答えは、こうだった。
――天馬に
新聞の刊行後、王都中の本屋から天馬関係の本が消えるという、社会現象が巻き起こった。
天馬が好きな団長だから、と
イグナーツ団長が微笑みながら、天馬の首を優しくなでていた。
まるで、一枚の
ここに
人の気配に、団長がこちらを向く。
「……リーフ?」
団長は、いち
「おつかれさまです」
退職したら、団長に会うことも無くなるのか。
「あ、まぶしい、まぶしいです、団長」
キラッキラのご
すると、いきなり団長が私の手首をつかんだ。
「ひえっ」
「
「
「給与が足りないなら、
「
「だろうね」
団長が、パッと手首の
だいじょうぶ?
私の手首、
「理由を聞いても?」
その言葉に、
天馬の死に耐えきれないから
「い、
これでごまかされてくれないことぐらい、わかっているが、言いたくないという気持ちなら、すこしは伝わるだろうか。
悪いことなどしていないが、なぜか後ろめたい気持ちになり、団長から目を
無言の時が流れる。
吸い込んだ空気には、真新しい干し草と
「……かなしいな」
彼は、はかなげに微笑んでいた。
なにこの美しい光景。
あ、やばい。目が浄化される。
「だ、だn、だんちょ」
正しくは、だんちょう、の5文字すら
正しくは、ってなんだ。ちょっとおちつこう自分。
「俺はね、リーフ。きみとは、いい関係を築けていると、おもっていたよ」
「
あ、この顔、好き。
つられて、へらりと笑ってしまう。
そのとき、手から退職届が落ちた。
「あ」
ひろおうとかがんだ私の動きが止まる。
退職届から足が生えたかとおもうと、あっというまに
「うぇぇえええ!?」
あまりのことに、追うか追わないかの判断すらできなかった。
私の大声に、おどろいた天馬たちが
初歩的な
「
「こ、これが……?」
ごくり、と
もしかして、いままでの退職届も、こうやって
「もう一通、準備しておいてよかったです」
そのとき、手の中でもぞりと動きがあり、とっさに退職届を握りしめた。
「逃がしませんよ」
「
「足が生えても、退職届は退職届です。首輪が
「なるほど。リーフ、きみの
そしていきなり、団長が私の首に噛みついた。
「ぃ――!!」
悲鳴が上がるのを、必死でこらえる。
また大声を出すわけにはいかない。
「天馬のために声を押さえたんだね。リーフはいいこだ」
痛くて熱くて、視界に水の
ぼやけたまま見上げると、団長の唇が、私の血で濡れていた。
それを
しかし直後、足元で動くものに目を奪われた。
「退職届
いつのまにか落としていた最後の退職届が、どこかに走り去っていくところだった。
「あれに名前つけたの? 俺の名前は呼ばないのに」
「あ、ちか、ちかいです、団長」
「噛んじゃってごめんね。
至近距離で浴びるキラッキラのオーラが強烈すぎて、団長のお言葉が頭に入って来ない。
「ゆるしてくれる?」
「は、はいっ」
「そんなあっさり? どこまでゆるしてくれるか試してもいい?」
「え? え?」
おいつめられるように背中が壁についたところで、第三者の声がした。
「そこまでだ、イグナーツ」
「
団長の肩越しに、ユアン室長の姿が見えた。
「さすがに部下が
団長がふりかえり、肩で室長にぶつかった。
そのまま
ふたり、仲良しだな!?
「優秀な
「天馬好きの女なんか、腐るほどいるぞ」
「俺はな、天馬について、
「なら、
「いや? 天馬に向ける
「その顔で落とせなかったんだろ? あきらめろ」
「リーフは渡さない」
「なぜそうなる」
「おまえも一通、握りつぶしただろ」
「気が変わる方に、
ボソボソと聞こえる会話は、私の耳まで届かない。
ユアン室長が団長を振り切って、私の前に来た。
「リーフ。おまえの消えた退職届だが」
ガッと
「ユアン。首に蚊が止まっているぞ。殺してやろうか」
「イグナーツ。わかったから早まるな」
団長が槍を下ろす。
ユアン室長は額の汗をぬぐい、どこか遠くを見ながら口を開いた。
「退職届が消えたのは、妖精の悪戯だ」
「知っています。退職届から足が生えて、どこかに逃げていきましたから」
「んん゙!?」
変な声を出した室長に変わり、イグナーツ団長が続けた。
「リーフ知ってる? 妖精は、天馬が好きなんだ」
「そうなんですか」
「だから、いつも天馬のために一生懸命がんばってくれているリーフが好きで好きで好きで好きでたまらないから、退職してほしくなかったんだ」
「それって……妖精が、私の仕事を、認めてくれたって、ことですか」
「そうだ」
「そうだね」
室長と団長が、同時に答える。
私の胸が、熱くなった。
「……うれしいです」
厩務員失格な私を、認めてくれる存在がいた。
たとえ、目に見えない妖精だとしても。
それが、こんなにも勇気になる。
「室長、私、もう少し頑張ってみます」
「そうか」
「妖精が
「バカ! そんなこと言って、知らねぇぞ!」
急にあわてだしたユアン室長の肩に、イグナーツ団長が手を置いて、もたれかかる。
ふたり、仲良しだな!?
「リーフ。
ふわりと笑う団長につられて、へらりと笑う。
天馬を驚かせない声の大きさで、私は元気に返事をした。
退職届が消える謎 黒いたち @kuro_itati
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