退職届が消える謎

黒いたち

退職届が消える謎

 私はリーフ。

 天馬騎士団てんばきしだんの、やとわれ厩務員きゅうむいんだ。

 翼の生えた馬、天馬てんばの世話をまかされている。

 

 担当していた天馬が、冬をせずに亡くなった。

 愛馬を失った騎士は、一昼夜、天馬からはなれず、そのうえ自害じがいくわだてたので、拘留こうりゅうされてしまった。

 風のうわさでは、憔悴しょうすいしきって、退職したと聞いた。


 あのとき目にした彼の悲しみはすさまじく、私にもっとできることがあったのではないかと、自責じせきねんにとらわれた。

 眠れない日がつづき、しごとにも支障ししょうがでるようになったために、退職たいしょくを決意した。


 天馬てんばは好きだ。

 だけど、厩務員きゅうむいんとしては失格しっかくだ。

 なんて私は弱い。

 皆、乗り越えているのに、どうして私には、できない。


 こんなことぐらいで、と思ったときに、号泣ごうきゅうしていた騎士を思い出した。


 こんなこと、などと言っては、もうしわけない。

 彼にも、亡くなった天馬にも。


 退職したら、しばらくはのんびりしよう。

 

 そうしてえる心をはげまして、退職届たいしょくとどけを手に、職場へと向かった。






紛失ふんしつですか?」


 ユアン室長しつちょうに、おもわず聞きかえす。

 私の退職届が、行方知ゆくえしれずになったらしい。


「探しているが、時間がかかりそうだ」

「……もういちど、書いてきます」


 探すより、あたらしく書いたほうが早い。


「そうか。では、次は責任を持って、団長室だんちょうしつまで持っていく」


 退職届には、室長しつちょう天馬騎士団長てんばきしだんちょうのふたりのサインが必要だ。


 その日は定時でまっすぐ帰り、二枚目の退職届を完成させた。






 三日後。

 ユアン室長に呼ばれた私は愕然がくぜんとした。

 

「またですか!?」

「団長の机に間違いなく置いたが、見ていないと言われた」

「ええ……」


 退職届という重要な書類が、なぜ二回もなくなるのか。


「すまんな」

「いえ……妖精ようせい悪戯いたずらかもしれませんね」


 理解の範疇はんちゅうに収まらない出来事を、妖精の悪戯と呼ぶことがある。

 人の目に見えない妖精が、悪戯をしたという、おとぎ話の一種だ。

 妖精のせいにしなくては、やってられない。

 

 はは、と力なく笑った私を見て、室長は片眉を上げた。


「次はおまえが直接団長に渡してこい」

「私がですか?」

「妖精に負けず、がんばってくれ」

「なんですか、それ」


 たしかに、自分で持っていくのが一番確実なので、了承りょうしょうした。






 次の日。

 三回目にもなると、退職届を書くのにも慣れてきた。


 朝一あさいちでユアン室長にサインをもらい、団長を探して歩く。

 団長室、訓練場くんれんじょ、食堂までのぞくが、キラッキラの銀髪ぎんぱつを見つけることができなかった。


 天馬騎士団長イグナーツ・エルメスタは、見目麗みめうるわしい。

 女性のようにも見えるが、細身の体躯たいくはひきしまっており、やりをふるうすがたは雄々おおしい。

 魔法の才能にもけ、オリジナル魔法をたくさん開発し、魔法界に革命をもたらした。


 強く美しい団長には、国内外にファンが多い。

 天馬をれば、失神者しっしんしゃがでることもある。

 「銀雷ぎんらい妖精ようせい」というふたがつくほどだ。


 いつぞや、新聞で天馬騎士団てんばきしだんの特集がまれたことがあった。

 団長へのインタビューの中に「好きな女性のタイプは?」という質問があった。

 完全に、新聞の売り上げをねらった質問である。

 イグナーツ団長の答えは、こうだった。


――天馬にくわしいと素敵ですね。一緒に天馬について語り合いたいです。


 新聞の刊行後、王都中の本屋から天馬関係の本が消えるという、社会現象が巻き起こった。 




 天馬が好きな団長だから、と厩舎きゅうしゃに寄った私は、息をのんだ。


 イグナーツ団長が微笑みながら、天馬の首を優しくなでていた。

 まるで、一枚の絵画かいがのようだ。

 ここに宮廷画家きゅうていがかが同席していないことがやまれる。


 人の気配に、団長がこちらを向く。


「……リーフ?」


 団長は、いち厩務員きゅうむいんである私にも、気さくに声をかけてくれる。


「おつかれさまです」


 退職したら、団長に会うことも無くなるのか。

 感傷的かんしょうてきな気分にひたっていたら、団長が間近まで来ていた。

 

「あ、まぶしい、まぶしいです、団長」


 キラッキラのご尊顔そんがんの威力にえきれず、持っていた紙でさえぎる。

 すると、いきなり団長が私の手首をつかんだ。


「ひえっ」

退職届たいしょくとどけ? リーフ、どういうこと?」

あつが、圧がすごいです、団長」

「給与が足りないなら、手当てあてを見直すけど」

充分じゅうぶんすぎるほどいただいておりますっ」

「だろうね」


 団長が、パッと手首の拘束こうそくを解いた。

 だいじょうぶ?

 私の手首、浄化じょうかされてない?


「理由を聞いても?」


 その言葉に、背筋せすじがひやりとした。

 天馬の死に耐えきれないからめたい、など、天馬騎士団の団長に、言えるはずがない。


「い、一身上いっしんじょうのつごうで」


 これでごまかされてくれないことぐらい、わかっているが、言いたくないという気持ちなら、すこしは伝わるだろうか。

 悪いことなどしていないが、なぜか後ろめたい気持ちになり、団長から目をらす。


 無言の時が流れる。

 厩舎きゅうしゃには、天馬の鼻を鳴らす音や、馬具ばぐれて金具どうしがぶつかる音だけが響く。

 吸い込んだ空気には、真新しい干し草と馬糞ばふんが混ざった、慣れ親しんだ匂いがした。

 

「……かなしいな」


 うれいを帯びた声音こわねに、おもわず団長を凝視ぎょうしする。

 彼は、はかなげに微笑んでいた。


 なにこの美しい光景。

 あ、やばい。目が浄化される。


「だ、だn、だんちょ」


 正しくは、だんちょう、の5文字すらんでしまうほどの破壊力だ。

 正しくは、ってなんだ。ちょっとおちつこう自分。


「俺はね、リーフ。きみとは、いい関係を築けていると、おもっていたよ」

光栄こうえいです」


 即答そくとうすると、団長がふわりと笑った。

 あ、この顔、好き。


 つられて、へらりと笑ってしまう。


 そのとき、手から退職届が落ちた。


「あ」


 ひろおうとかがんだ私の動きが止まる。

 退職届から足が生えたかとおもうと、あっというまに厩舎きゅうしゃの外に逃げていった。


「うぇぇえええ!?」


 あまりのことに、追うか追わないかの判断すらできなかった。

 私の大声に、おどろいた天馬たちがひづめで床をる。

 初歩的な失態しったいに、手で口をふさぐ。もう遅いけど。


妖精ようせい悪戯いたずらかな」

「こ、これが……?」


 ごくり、と生唾なまつばをのみこむ。

 もしかして、いままでの退職届も、こうやって行方不明ゆくえふめいに……?


「もう一通、準備しておいてよかったです」


 ふところから予備の退職届を取り出す。

 そのとき、手の中でもぞりと動きがあり、とっさに退職届を握りしめた。


「逃がしませんよ」

適応能力てきおうのうりょくが高いな」 

「足が生えても、退職届は退職届です。首輪がるかもしれませんけど」

「なるほど。リーフ、きみのあんを採用しよう」


 両腕りょううでをつかまれたかと思うと、団長が一瞬で距離をめた。

 そしていきなり、団長が私の首に噛みついた。


「ぃ――!!」


 悲鳴が上がるのを、必死でこらえる。

 また大声を出すわけにはいかない。


「天馬のために声を押さえたんだね。リーフはいいこだ」


 痛くて熱くて、視界に水のまくが張る。

 ぼやけたまま見上げると、団長の唇が、私の血で濡れていた。

 それをめあげる団長の妖艶さに、視線が釘付けになる。

 しかし直後、足元で動くものに目を奪われた。


「退職届四号よんごうっ」

 

 いつのまにか落としていた最後の退職届が、どこかに走り去っていくところだった。


「あれに名前つけたの? 俺の名前は呼ばないのに」

「あ、ちか、ちかいです、団長」

「噛んじゃってごめんね。追跡魔法ついせきまほうを仕込むために、俺の魔力を体内に入れる必要があったんだ」


 至近距離で浴びるキラッキラのオーラが強烈すぎて、団長のお言葉が頭に入って来ない。


「ゆるしてくれる?」

「は、はいっ」

「そんなあっさり? どこまでゆるしてくれるか試してもいい?」

「え? え?」


 おいつめられるように背中が壁についたところで、第三者の声がした。


「そこまでだ、イグナーツ」

れ、ユアン」


 団長の肩越しに、ユアン室長の姿が見えた。


「さすがに部下が不憫ふびんになってきた」


 団長がふりかえり、肩で室長にぶつかった。

 そのまま厩舎きゅうしゃの端まで、室長を連行していく。

 ふたり、仲良しだな!?


「優秀な厩務員きゅうむいんを失うのがしいと、おまえも言っていただろう」

「天馬好きの女なんか、腐るほどいるぞ」

「俺はな、天馬について、話し合い・・・・たいんだ。毎時間毎分毎秒、学術的・専門的な観点からの意見が聞きたい」

「なら、厩務員室きゅうむいんしつに来ればいいだけの話だ」

「いや? 天馬に向けるいつくしみの表情を、俺にも向けて欲しいとは思っている」

「その顔で落とせなかったんだろ? あきらめろ」

「リーフは渡さない」

「なぜそうなる」

「おまえも一通、握りつぶしただろ」

「気が変わる方に、けただけだ」


 ボソボソと聞こえる会話は、私の耳まで届かない。

 ユアン室長が団長を振り切って、私の前に来た。


「リーフ。おまえの消えた退職届だが」


 ガッとやり穂先ほさきが、ユアン室長の首筋につきつけられた。


「ユアン。首に蚊が止まっているぞ。殺してやろうか」

「イグナーツ。わかったから早まるな」


 団長が槍を下ろす。

 ユアン室長は額の汗をぬぐい、どこか遠くを見ながら口を開いた。

 

「退職届が消えたのは、妖精の悪戯だ」

「知っています。退職届から足が生えて、どこかに逃げていきましたから」

「んん゙!?」


 変な声を出した室長に変わり、イグナーツ団長が続けた。


「リーフ知ってる? 妖精は、天馬が好きなんだ」

「そうなんですか」

「だから、いつも天馬のために一生懸命がんばってくれているリーフが好きで好きで好きで好きでたまらないから、退職してほしくなかったんだ」

「それって……妖精が、私の仕事を、認めてくれたって、ことですか」


「そうだ」

「そうだね」


 室長と団長が、同時に答える。

 私の胸が、熱くなった。


「……うれしいです」


 厩務員失格な私を、認めてくれる存在がいた。

 たとえ、目に見えない妖精だとしても。

 それが、こんなにも勇気になる。

 

「室長、私、もう少し頑張ってみます」

「そうか」

「妖精が悪戯いたずらしてくれて、よかったです」

「バカ! そんなこと言って、知らねぇぞ!」


 急にあわてだしたユアン室長の肩に、イグナーツ団長が手を置いて、もたれかかる。

 ふたり、仲良しだな!?

 

「リーフ。これからも末永く・・・・・・・・よろしくね」


 ふわりと笑う団長につられて、へらりと笑う。

 天馬を驚かせない声の大きさで、私は元気に返事をした。

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