第10話 国策と婦女子

 「先日ね、あたくしたちの結婚式にお仕事の都合で欠席なさっていたお義母さまのご親戚のかたが訪ねていらしたの。百貨店の外商部のかた、と言えば貴女分かるかしら」

 佐喜代は長らく志津乃の傍らに詰めていたので、大概のお客の内情は心得ていた。大奥様が「おじさま」と呼ぶ志津乃より少し若そうな男性は、百貨店の外商部でも主に輸入物を取り扱っていた人物だ。

 「はい……存じ上げております。外国物の専門のかたでしたら」

 芙美香はやはり、という顔をして、話を続ける。

 「あたくしがお義母さまのご親戚の話をしましたでしょう。そのことに関係が大ありなのよ、調べて頂いた三代前までの短い年月だけですけれどね」

 「……はい」

 何かが繋がっているのだろう、と佐 喜代は軽く考えていた。

 「先ずは結論からお話しするわね。この国は近い内に外国と戦争を始めるかも知れなくてよ」

 「……っ!」

 佐喜代の声にならない驚きが漏れた。先の大戦中はまだ幼かった佐喜代だか、世間が不穏な空気に包まれていたことは実家の問屋業を営む長兄の態度と、客や業者の雰囲気と共に多少は感じ取っていた。

 「それもね、もう先を見越して、いえ、見切っているのかもしれないわ」

 「見切る……?え、まさかそのお話は」

 「しっ、お願いよ、貴女のことだから他言無用は心得てらっしゃるでしょうけど……結果が克明になっている、という推論ですのよ」

 「……!」

 結果が明らかになっている……?

 その言葉の真意が恐ろしくて聞き返すことなどかなわない。

 芙美香はその推論の理由わけを佐喜代に語り始めた。こんなことはあってはならぬこと、と前置きをして。


 

 「まず、茂保さん……旦那様のお姉様が、紅茶を好まれてらっしゃるのはご存じよね?」

 「あ、はい。大奥様が良くお買い求めなさって、お嬢様にお持たせになって……私も時々ですが珍しいお茶をご相伴させて頂きました」 

 芙美香は驚きを隠せなかった。

 「あら、貴女はお味見を許されたのね!んまあ……なんて恵まれてらっしゃるの貴女ってかたは……」

「え、あっ、あの……はい。身に余る光栄と有り難く存じます……」  

 正直に申し上げてはならないことだったのだろうか、と佐喜代は省みる。

 確かにお嬢様がお里帰りをなさっているお屋敷で女中が同席を許されて紅茶を頂くとは、有り得ないことだと今更ながら思い知る。

 「まあ、いいわ。貴女はお義母さまのお気に入りでしたからね」

 「いえ、そのような……」

 「あら、貴女を責めているのではなくてよ。ちょっと嫉妬しただけなのよ。ホホホ。だってまだ嫁いで間もないあたくしには敵意むき出しなお義母さまなんですもの。仕方ありませんわ。輸入物のご相伴だなんて、ねえ?」

 「……いえ、そのような……」

 志津乃が芙美香を快く柴田家に迎え入れてはいないことを佐喜代は知っていた。とにもかくにも、芙美香の物怖じしない大胆不敵な性格と言動が志津乃には面白くなかったようだ。

 同族嫌悪とも言えよう。

 (何故だろう……お二方は似てらっしゃるようにお見受けするのだけど……気のせいかしら)

 佐喜代の表情など気にも留めずに、芙美香は語り続ける。

 「その問題の紅茶ですけどね、お義母さまが蔵ひとつ分……いいえ二つ分はあるかしら。勿論いちどきに買い占めは不可能だから三月ごとに買い入れていたらしいのよ」

 「えっ?蔵二つ分の紅茶を、ですか……?」

 佐喜代は蔵の帳簿までは管理を任されてはいなかった。時折虫干しなどの大掛かりな作業で女中たちと共に大奥様の指図の元に作業に勤しんだ程度であった。

 戦争が始まることと、柴田家が紅茶を買い占めることに何の関係が、と佐喜代は言葉にする前に思い付く。

 (……輸入物だから……?戦争が始まると、物流が適わなくなってしまうということ?でもお屋敷にそれだけの量の紅茶を入れることが可能な蔵があったかしら)

 「勿論、柴田の家にはそれだけを保管出来うる蔵が足りません。そこで最近になって、田舎に別荘地を新たに求めて蔵を建てさせたのです。しかもその屋敷の守り番にはお義母さまの甥御の菅山氏を住まわせて、よ」

 「え……」

 佐喜代は驚きを隠せなかった。菅山氏のことは、都会育ちの甥御さまで、まだ年若くご結婚前のかただと聞いている。田舎に住まわせるなどと、有り得ない。

 「も怪しいことなのです。その菅山氏は来年からもう一度、田舎の大学へと進学が決まっているらしいのよ。既に高名な大学を卒業なされたというのに!」

 柴田家へ訪れた甥に別れ際、志津乃が「貴方の命や菅山家の存続を存分に考慮して結論を出すのですよ。良くお考えなさい」と言い渡したそうだ。

 それからしばらくして、甥は言語学者になることを諦め、来年からは工学部の学生として大学へ再入学すると知らせが来たという。

 田舎といえども、工学部の学舎を擁する土地を選んだかのように、その別荘は建てられたように見受けられた。そこから大学へ通うのだという。

 そして屋敷や蔵の管理、使用人たちの管理までを任せると。

 「まあ……そんなことが……」

 佐喜代が柴田家を出たのはそう遠くない過去である。そのような短期間にそんなことが起きていたとは全く知らなかった。茂保も佐喜代には話さなかった。

 「何でも、その大学の学長さまが直々にお義母さまに進言なさったそうよ。『これからの時代、言語学者も立派だが、世のためには科学、化学をはじめ工学研究のほうが遥かにこの国には役に立つ。運命の別れ道になるだろう。甥御さんや一族の命運が尽きる前に、私の学び舎に来させる気は有りませんか。貴女さまから甥御さんに良くお話をされたほうが宜しいと思います』とね」

 「一族の命運が?尽きる……とは……」

 「そうよ。その理由をお尋ねになられたら、『国策に関することなのでいくら奥様でも詳細は婦女子には話せません』とだけ言われたのですって。これだけはお義母さまのお口から直に伺ったお話ですから、本当よ」

 佐喜代に震えが走った。『国策』とは『戦争』のことを指すのだろうか、と。そのという結果は恐ろしくて推論でも言葉にして問い質すことは憚られる。

 「その『国策』が関係してあたくしたちの結婚が急ぎ足で取り決めらた感もあるのです。とても慌ただしかったでしょう?貴女も」

 「は、はい。そうでした……とても急なお話でございました」

 芙美香と佐喜代は、いきなり持ち上がった茂保の結婚話の隠された意味を感じ取っていた。

 戦争が関与しているのかもしれない。そして、日本がこの先不穏な動きを見せる時が来るのだろう。更にその先を志津乃が知っているのかもしれない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

足音 永盛愛美 @manami27100594

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る