第9話 大奥様、志津乃

 芙美香がやっと口を開いた。

 「貴女、お義母さまが武家にも公家にもご縁があることをご存知よね?」

 「は、はい……伺っております」

 『世が世なら、あたくしは姫様と呼ばれていたかもしれないのよ』

 とも、志津乃は誇らしげに佐喜代に幾度となく話していた。

 「ならばお話は早くてよ。お義母さまは、柴田家のことを重要視などなさってないわ」

 「……え……?」

 佐喜代は、芙美香の言葉の意味が全く分からなかった。

 ことある毎に『柴田家が』『この柴田家の』『柴田の家に生まれて』などと耳にしていた元女中頭は、正反対だと感じていた。

 「お義母さまはね、柴田家が大切なのではなくて、お義母さまご自身の血筋が最も大切なのよ」

 「お血筋……ですか」

 芙美香が身を乗り出して、佐喜代に語り掛けてきた。まるで密談でも始めるかのような仕草である。良家の若奥様にしては珍しい、と佐喜代は思った。

 「ここだけのお話よ。お義母さまのご実家は、時代ときの権力者に寄り添って生きながらえて来た一族なのよ。生き残る為には当然と言われればそれまででしょうけれど……」

 「……はい」

 大なり小なり、大家としては致し方ないことと思われる。それでこそ一族が維持し存続が適う社会であるのだから。

 芙美香は、佐喜代の表情を見て取り、違うのだ、と言うように首を振る。

 「がね。尋常ではないとあたくしは感じたのです。あちこちに血縁関係を結んで、いざと言う時に平気で親族を裏切ることが水面下で行われているのはどちら様も同様ですけどね……これはあたくしが親戚に頼んで調べて頂いた三代前からの出来事なのよ。何故三代前からだけしか分からないと言うとね、あたくしの実家が三代前に成り上がったからですのよ……ホホホ、意味はお分かりね?」

 芙美香の父や親戚は、銀行に勤めているとしか知らされていない佐喜代は、「はい……」としか答えられない。「実家は成り上がり者」だと告白されても、時代の波に乗ることと掠われることは昔からよくあることだ。実際問屋業を営む実家も、数代前は小作農であったことを長兄に教えられていた。

 佐喜代は柴田家に奉公に上がってから、縁のある人々の栄枯盛衰を見つめて来た。このご時世でも一代で成り上がった者は多く存在したが、消える者も少なくなかった。

 (若奥様のご実家は存続なさったのね……。それを盤石なものとする為に柴田家とご縁を結ばれたのね)

 複雑な顔をしていたのだろう、芙美香は佐喜代の手を取り、真剣な面持ちで呟いた。

 「先程も話しましたでしょう。あたくし達は、お義母さまに対抗するためにしっかりと手を結んで闘わねばならないのです」

 「えっ……た、闘う!」

 思ってもみなかった芙美香の言葉に珍しく佐喜代は声を荒げた。

 「そうよ。さもなくば、可愛い我が子をお義母さまの良いように駒として扱われてしまうわよ。貴女それでも宜しいの?あたくしは我慢ならないわ。ひとりでも多くお味方の多い人生を歩みたいのですもの」

 芙美香の話の本質が、佐喜代にはまだ理解出来ない。また自分とはかけ離れた世界の話のように思えて、首を傾げて言葉を伏せた。芙美香の手に力がこもる。

 「お分かりにならない?もし、貴女に茂保さん……旦那様との間にお子が生まれても、このままでは柴田家に、いえお義母さまに取り上げられてしまうかも知れなくてよ、という意味なのよ!」

 「奥様……」

 ぎゅっと握りしめられた佐喜代の手にも緊張が走る。

 柴田家の跡取り騒動に可愛い我が子が巻き込まれてしまうかも知れないとは考え、それならば、若奥様のご不安を打ち消す為にも自らの出産は諦めようと俄に思い口にしたが、その本人からは産み育てることを佳しとされ……その我が子の行く末を案じ、真摯に妾である佐喜代に伝えようとしている芙美香に、言葉が詰まって一言すら返せない。

 芙美香は固く握りしめられた佐喜代の手を今度はやんわりと包んだ。佐喜代の手からも走った緊張が抜ける。

 「……勿体のうございます……私如きの為にそのようなお心遣い、このようなお話を下さいまして……」 

 芙美香は手を離すと、卓上の湯呑みがひっくり返るくらいの勢いで、バシン、と欅一枚板の長卓を叩いた。

 「佐喜代さん!先程も申したでしょう!貴女それでも茂保さんの第二夫人ですの?もう少し矜持をお持ちなさいよ!あたくしと張り合うぐらいには、よ!」

 佐喜代は呆気に取られ、ただ芙美香を見つめているだけであった。

 芙美香はふぅ、と息を吐くと、少々頬を赤らめて位置のずれた湯呑みを取り、とうに冷めていた茶を口にした。

 「あら、失礼。あたくし先日のことで少しばかり興奮しているのだと思うのです。いつもはこのようなこと、なくてよ。ご安心なさって」

 「は、はい……」

 芙美香は先日柴田家に訪れたとある客の話を語り始めた。

 佐喜代には、あちこちに弾んでいる話の本筋が何がどう関連しているのかを理解出来ず、ただじっと真剣な面持ちの芙美香の話に耳を傾けるのであった。

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