第8話 芙美香と柴田家


 佐喜代は、奉公先の跡取り息子の妾として囲われ、実家で問屋業を営む長兄の怒りを買い絶縁された為、帰る場所が無い。柴田家は実家中谷家にとって上得意様であったのにも拘わらず、既得権を返上してしまった兄であった。

 しかし、芙美香にも帰る場所が無いなどとは俄に信じられない。

 佐喜代は、静かに若奥様の横顔を見つめるしかなかった。迂闊に理由わけを問うことなど適わない。

 芙美香は佐喜代の傍らに立ちながら、窓の外を眺めている。庭園と呼ばれる少し離れた庭は春夏秋冬の手入れが敷地内に住む専属の庭師により施されており、前庭と呼ばれる屋敷から続く庭園までの道の両脇にも、野の花に近い季節ごとの草木で彩られている。

 前庭は専属の庭師はあまり手を入れず、庭仕事を好む使用人が分担して草刈りや枝打ち等の手入れを行っていた。

 佐喜代は茶室や大奥様である志津乃の部屋や玄関とは別にして、時折長屋に住む使用人たちや自室に前庭から野の花を頂いて、花器に生けたものであった。心の癒しがそこにあった。

 庭園には百花繚乱とばかりに豪華で由緒正しき植物たちが咲き誇り、枝葉を繁らせている。

 しかし、庭園からは花一輪、木の一枝さえも手折ることは許されていない。まるで絵画の如く眺めるのみ。別世界の趣がある庭であった。

 しばし外を眺めていた芙美香は、視線を佐喜代に向けると、険しい表情を浮かべて問いかけた。

 「貴女、お義母様のご生家が既に跡形も無いことはご存知でしょう?」

 佐喜代は、芙美香が何を云わんとしているかを理解出来ずに即座に答えられず俯いてしまう。

 使用人として、また女中頭として培われた機転と心得が、言葉返答を重くさせる。

 勿論、志津乃のお抱え女中であった佐喜代は本人から直に聞かされ、慰め役の務めを果たしたりもした。愚痴の捌け口、聞き取り役を一手に引き受けていたのだ。

 詳細は語られていなかったが、大体の経緯は想像が付くものであった。

 伯父とその跡取り息子の放蕩と、社会に反逆的な種類の人々と懇意となったことが相まって、政府から目を付けられた挙げ句、お上の逆鱗に触れ土地や財産、家督を没収されてしまったのであった。

 理由が理由だけに、一族や親戚筋全てから見放されたことも志津乃には残念無念な出来事であった。

 「……はい。伺っております……」

 やっと口を開いて、言葉を繋いだ。芙美香はやはり、という顔をすると、さっ、と自らの席に戻った。

 「貴女のことですもの、どこまでご存知とは仰らないわね。流石だわ。これが下働きの女中ならば、聞きかじりのあること無いことを話し始めるのよ。閉口するわ」

 まるで既に見聞きしたかの口振りに、佐喜代は若い未来の女主人である芙美香の気持ちがほんの少し垣間見えた気がした。

 (奥様は、茂保坊ちゃまの妾として私が相応しくないかどうか見定めてらっしゃるのかしら……私のお味方になって下さると思ったのだけど、違うのかしら……)

 「佐喜代さん、本題はここからなのですよ。ちゃんと本心を仰ってね」

 「え……っ、は、はい。かしこまりました」

 いきなり本心を話すように言われ、佐喜代は居住まいを正した。

 妾としての心得を叩き込まれると覚悟をしての呼び出しに、出鼻を挫かれた感のある佐喜代であったが、いよいよ本題に入るとのこと。更に心の準備をせねば、と身構えた。

 「妾となるかたと、何の障害も無く往き来出来うる間柄であることが結婚の条件ですって」

 志津乃が半ば呆れたように言い放っていた。

 婚約前には妾の存在を隠し、いざ婚約、次には式をの段階で佐喜代の存在を代田家に伝えて、結婚の意思決定を芙美香本人に与えたのは茂保の考えであった。

 芙美香はそうやって柴田家へ嫁いで来たのである。

 佐喜代は芙美香の言葉を待った。


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