第7話 柴田家の人間として

 芙美香は怒りを抑えているかの様に見えた。


 「まあ、貴女なんて事を仰るの……!それは本心からですの?違いますでしょう?」


 「……奥様、あの、私は……」


本心かと訊ねられると、佐喜代は返答に迷った。茂保との間に子を成さぬという覚悟が直ぐにぐらついてしまう。


 「佐喜代さん、あたくし達にはお味方が必要なのよ。子に依存なさいとは言わないわ。もし……もしもよ、茂保さん……旦那様があたくし達よりも先を急いで彼方あちらの岸へ渡られてしまったら、どうなさるおつもり?まだお義父様、お義母様がご健在であったら尚更よ?貴女、そこを一等最初に考えねばならないお立場でしょう!」


 つい先日、式を挙げて新婚生活が始まったばかりの若奥様の言葉とは、佐喜代には信じられなかった。我が耳を疑った。


 たじろぎを隠せすに、目差しだけを芙美香に向けて、佐喜代は言葉に詰まる。


 芙美香は彼女からの言葉を待っていた。腹を割って話がしたいと言った言葉は本心らしい。

 元、柴田家の女中上がりの妾である佐喜代に対して、世間一般では考えられない丁寧な口調の受け答え。

 ひとりの人間として尊重してくれている態度。

 更に、佐喜代の身の上の心配までしてくれている。


 何もかもが身に余る処遇であった。


 佐喜代の両の瞳が芙美香を映せぬようになると、ひとすじの涙が頬をつつ、と伝わった。

 知らぬうちに流れたものにそっと手をやると、次から次へとあふれ出た。


 「ちょ、ちょっと、佐喜代さん……まるであたくしが貴女を責めて苛めたみたいではありませんか……困ったわ。全く反対なのよ。ねえ、そんなお泣きにならないで頂戴」


 「……も、申しわけ、あり……ません、奥様……わた、私はとても幸せで……こんなに恵まれてしまっ、しま、て……」

 嗚咽混じりの言葉にのせて、佐喜代の心が芙美香に手に取るように伝わった。佐喜代も芙美香の心を理解してくれたのだ。


 「わかって下さったわね。ねえ、ですからお願いよ。泣き止んで頂戴」


 つい先刻まで、少女時代に戻ったかの様子で笑いあっていた二人は、一転して今度は瞳を潤ませている。芙美香は気丈な割には涙もろい一面も持っていた。


 「貴女もあたくしも帰る所が無いでしょう。ですから、これからの事をちゃんとお話したくてこちらへお呼びしたのよ……共に柴田家の人間として生きていかなくてはならないのだから」


 芙美香の言葉に佐喜代は息を呑む。

芙美香は静かに窓際に歩み寄り、佐喜代の傍らに立った。



 佐喜代は実家の兄から勘当を言い渡されていた。

 中堅の問屋業を営んでいる兄にとって、柴田家は上得意先であり、末の妹の奉公先でもあった。


 佐喜代の親代わりであった長兄は、奉公先の跡継ぎの坊ちゃまをたぶらかした上に妾として囲われるなどと、柴田家や亡くなった両親に顔向け出来ぬと憤慨し、妹とは思わない。二度と実家の敷居を跨ぐでない!と佐喜代に文を送り付けた。


 そして柴田家との出入りと商いの権利を返上してしまった。

 柴田家では、茂保と佐喜代の関係を既に認めた後であったのにも拘わらず、である。

 兄にとって、世間様に向けてのけじめであった。


 佐喜代の身の上の話ならば納得もいく。が、若奥様である芙美香も帰る所がないとは……佐喜代には信じ難く、いつの間にか頬を伝わっていたものは消えていた。


 芙美香は窓の外を眺めていた。


 ずっとずっと遠くを見つめていた。

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