第4話 魔法少女残光


「――よすがさぁん、夜な夜な街を徘徊してる『コスプレババア』の噂って知ってます?」


 卑屈そうな笑みを浮かべて、コズカタシズクが言った。


 二人の女生徒、チドリとマキは適当に相槌を打ち、二人の男子生徒、ツツミとモチダは興味もなさそうに、携帯ゲーム機を片手に狩りの打合せ。


 和気あいあいとした周囲をよそに、私はスマホをいじり続ける。

 教室の一角。いつもの風景と、いつもの私。

 いつともなし、誰ともなしに、私の周りには『派閥』の人間が集まって来る。


 そしてコミュニケーション。昼休みになっても、昼食そっちのけで派閥の連帯感を高め合ってくれている。おかげで、私はなかなかお弁当に箸もつけられないありさまだが。


 派閥の新参者であるシズクは、いつだって仲間たちの輪から外れないために、アンテナを張りまくって話題作りに余念がない。

 ここ最近では、トークの口火を切るのがシズクの役目になっていた。マシンガンのようにしゃべりたて、チドリやマキに馬鹿にされ、自虐ネタで終わるという一連の流れ。そこまで込みでシズクの鉄板と呼べなくもない。


 だけど、今日はそんなシズクも口数が少なかった。

 その理由はすぐに思い当たった。


 きっと彼女のせいだ――、と。


 それは、曖昧にぼかしつつも、頭に包帯を巻いて登校してきたモチダの姿を見た時からなんとなくは思っていたことだった。


 昨夜、彼女――四方山もえぎと何かがあったのだ、と。


 そして、私の派閥には目に見えない不協和音が生じつつある。彼女のせいで。

 いや、彼女のおかげで。


 それでもなお私の派閥の人間、つまりは私の『部下』にして『戦闘員』である彼や彼女らは、一生懸命その綻びを修正しようとしている。そんなところだろう。


 愚かしいことではあるが、それに関して私は何も言うつもりはない。四方山もえぎをモチダの倉庫へと呼び出して、シズクたちが何をしたのか、想像に難くはない。だとしてウンザリしてさっさと帰った私に、それをとやかく言える資格なんてないはずだ。


 私は何もしなかった。シズクたちと一緒になってもえぎをイジメる輪にも加わらなかったが、それを――


 私は気づき、そして内心で驚く。


 ――あの時、止めようとしたではないか。すべてが予定調和の中の出来事と、諦め、失望し、退屈していたはずの私が。


 きっと無感動で無表情なはずの私の佇まいはいつもと同じ。だが、その内は激しくざわついていた。


 紛れもない動揺だった。こんな気持ちは、そうあの時以来……


 その時だった。


 ふいに教室の扉が開いたと思うや、そこに四方山もえぎが立っていた。



    ◦



 彼女の家に隕石が落ちたらしい、そんな噂でクラス中は持ち切りだった。

 シズクは四方山もえぎに対する嫌がらせの数々を画策していたが、さすがに私の戦闘員たちにそこまでの『力』はない。


 彼女は、私が小さい頃に憧れた変身物の美少女ヒロインといった衣装を着て、手にはファンシーなつくりの杖を持っている。


 彼女が教室へと足を踏み入れた瞬間、携帯ゲーム機を滑り落とし、モチダが尻餅をついた。

 チドリとマキは後ずさり、壁を背にガタガタと震えている。ツツミに至っては一目散に教室から逃げ出していた。


 勧善懲悪。『正義』のヒロインの登場に、『悪』は容易く滅ぼされる。

 もはや彼女が打ち倒すべき相手はただの二人。シズクと、『悪』の首領たる私――宮藤よすが、だけ。


 彼女へと立ち塞がるように、シズクは私の前へと立っていたが、それは私を守るという甲斐甲斐しいものなんかではなくて、単に逃げられなかっただけの話だろう。

 シズクは、カチカチと歯を鳴らしながら立ちつくしていた。


 四方山もえぎは、シズクの前に辿り着くと、杖を振りかざした。そして魔法の言葉のようなセリフを繰り返した。


「スターライト☆キャンディチャイム!!」


 おもちゃの衣装と、おもちゃの杖。殴るでも叩き付けるでもないその行動が、シズクの体を傷つけることなんて当然ない。


 やがて、四方山もえぎは獣のようなうめき声を残し教室を後にした。


 シズクの体は五体満足。もちろん、その体が滅することなんてあるはずもなくて。


 だけど。


 私には分かっていた。彼女がこの場に現れた瞬間には、シズクの中の『悪』は完全に打ち砕かれていたのだ――、と。

 それはもちろん他の四人にもいえることで。

 ここに私たちの関係性は破綻した。私たちの日常は、彼女の登場で変わってしまった――。


 とはいえ、そもそもの日常の方こそがイビツだったのだ。彼女はそれを正したに過ぎない。

 私の派閥の人間たちは心底怯えきっていた。そこに残ったのは、当たり前の日常。認めるということの勇気。それを持ち得ていないからこそに此処にいる彼女たちにすれば、それは恐怖以外の何者でもなかったはずだ。変化、それを受け入れるということが。


 以降、チドリもマキもツツミもモチダも。そしてシズクですらが、私のもとに集うことはなかった。それでも、授業の終わった教室にいつまでも残って私の顔色を窺っていたのを見るに、彼女たちは私からの言葉を待っていたのだろう。

『悪』の首領たる私の下知を。


 だけど、私はそんな彼女たちを置き去りに教室を後にした。


『悪』の首領へと結局振り下ろされることのなかった四方山もえぎの杖に、ただ幾許かの残念さを感じながら……。



    ○



 私はブラブラと街を歩いていた。

 学校を後にしても、家を目指す気にはなれない。理由は単純で、母の顔を見たくなかったのだ。


 宮藤かすが――それが母の名であり、『女王』の名だった。


 由緒正しき宮藤家の邸宅は、築百年以上は経つ庭付きの日本家屋で、私はそこに母と二人きりで暮らしている。

 父は、私が小さい頃に家を出て行った。


『よすが、お前に必要なのはお父さんでもお母さんでもないよ……』


 それが私に向けての父の最後の言葉だった。

 今でも鮮明に覚えている。父はその言葉を告げたあとも、まだ何か言いたげにもどかしそうな表情を浮かべていた。

 だが、結局二の句を継がないまま、父と娘の最後の時間は終了した。


 幼い私を置いて出て行った父。でも、私に父を恨む気持ちはない。今となってはその理由もなんとなくは分かるからだ。

 父は純粋に母のことを愛していた。だが、純粋に『グドー』のことを愛する気持ちにはなれなかった。つまりはそんなところだろう。


 私の先祖がかつて組織した秘密結社、グドー。

 大戦中に一度滅ばされながらも、私の曾祖母が『ネオ・グドー』として復活させたそれは純然たる『悪』の秘密結社だった。


 正直私には、こんな不完全な世界を『悪』の色に染めたとして、何が楽しいのかなんて理解も出来ない。

 実際、九代目たる私の母を頂点として現在に至るネオ・グドーも、大した活動をしているわけじゃなかった。今は力を溜める時期――なんて偉そうなことを言いつつも、資金調達部門の分家の援助で食い繋いでいるという現状。


 それでも、グドーの大義に魅入られた母は、私へと徹底的に英才教育を施した。基本的な教科はもちろん、さまざまな武道の心得や十か国にも及ぶ言語。さらには芸術に音楽。その結果、私は母の望む次代の『悪』の首領としての資質を開花させていった。


『――大きくなった今のよすがになら、託してもいいわね』


 私の成長に満足げな母が、そう言ったのは私の去年の誕生日のことだった。


 私と母だけが暮らす宮藤家の一室。二人だけの『悪』の秘密結社の秘密基地、その居間。厳重そうに封をされた箱を持ってくると、母はそれを開けた。


「ひとつだけ選びなさい。貴女だけの『術具』を」


 中から出てきたのは、どれもこれもがゴミのような代物だった。


 ボロボロで瞳も半分取れかけた西洋人形。


 シルバーの塗装も所々が剥がれたコンパクト。


 お祭りの屋台でも、もうちょっとマシだろうと思えるおもちゃの光線銃。


 そして、細い鎖に繋がった〝三日月の形をしたチャーム〟。ピンク色をした、一見して安物と分かるネックレス。


「……の契約により貴女の敵を滅ぼす魔女召喚の術具。こっちは一度だけ時間を巻き戻すことができる魔法の鏡……」


 母の説明が耳に入ってくることはなかった。

 私はそんなもの欲しくなんてなかった。


 私が本当に欲しいものは……


「聞いているの? よすが」


 思考は母の言葉で掻き消される。


「どれにするか決まった?」


 急かすような母の言葉に、私は安物のネックレスを指さした。


「ふふ、それにするのね。それは弱い心を引き寄せ『悪』の虜とする魔法のネックレス。『悪の魔法少女』としての第一歩を踏み出す、今のよすがには丁度いいかもしれないわね」


 私の首へと母がネックレスをかける。


 その瞬間だった。

 私の頭を何かがかすめていった気がした。まるで閃光が駆け抜けていったような。私はその先をぼんやりと目で追った。窓の外の、遠くの空を。


「――すが、よすが、どうしたの?」


 どれだけそうしていたのだろう。母の声で我に返った。


「……なんでも、ありません」


 呟くように小声で返した。

 母は私の目を真っすぐに見て、満足そうに頷いた。


 もう二度と外すことの出来ない鎖は、二度と解くことの出来ない魔法だった。

 自分なんてものもなく、母の望むままに生きてきた私。可愛そうな母に付き合ってあげているだけのつもりだった私は、その日、母の望む『悪の魔法少女』となった。


 それから私の日々は一変した。もう後戻りなんて出来なかった。


 老いも若きも、男も女も。『悪』に惹かれる弱い心を持つ者は、そのすべてが私の周囲へと集まってきた。そこには同等の関係性なんてなかった。次代の『悪』の首領とその配下――『戦闘員』。気付いた時には私の日常は、それに無関係を決め込む者を加えた、三つの関係性しか存在していなかった。


 その日常は戸惑いの連続。だが、去年までの私は既にいない。いつしかそれに慣れてしまった私は、良くも悪くも変化のない毎日にウンザリし、退屈しているだけだった。


『――ねえ、シズクさぁ、あんた男が欲しいんだろ? だったらよすが様親衛隊のあの高校生と付き合っちゃえばぁ』


 そんなことを言いだしたのは、チドリだったか、マキだったか、今はもう思い出せない。

 でも、それから五分後、ソイツとシズクは付き合うことになって、そいつに感化されたシズクの服装や外見はどんどんと変わっていった。


 一度『悪』の道へと踏み外した人間は、なおさら深みにはまっていくことを最上の喜びとしている。私の術具が――子供じみたネックレスが、そこにどれほどの影響を与えているかは分からない。タバコ。お酒。やせ薬。エトセトラ、エトセトラ。でも、それが当たり前の中では、そんな日常こそが現実だった。


 そして、今の私にはすべてがどうでも良いことだった。彼らや彼女らのことも、このいびつな毎日も、取るに足らない退屈な日々以外の何者でもなかった。無感動な世界、私の目に映るのはそれだけのはずだった。


 なのに……。


 どうして私はあの時、あんなにも動揺したのだろうか?



    ◐



 あの日。


 シズクたちの撒き散らす退屈に、少し食傷気味になった私は、授業の合間の休み時間にトイレへと向かった。


 鏡に映る無感動な世界と、いつもの無表情な私。それを眺めながら、時間つぶしのように髪をいじる。

 トイレには誰もいなかった。だから油断していた、なんてわけじゃない。制服の胸元から、おもちゃのネックレスみたいなチャームが滑り落ちたとしたって。

 すべてがどうでも良いと思っている私にすれば、別に気にすべきことでもなかったというだけの話だ。


 四方山もえぎがトイレへと入ってきたのは、まさにその時だった。


 私はすべてがどうでも良かった。母の呪いの象徴にも似た、『魔法少女』のアイテムですら私にすれば特別な物でもなんでもない。見るたび鼻で笑っていたし、なんなら人に笑われても良いと思っていた。そう思っていたはずだった。


 それなのに、四方山もえぎの視線を感じた瞬間、私はそれを慌てて隠した。


 私は動揺していた。何より、そんな行動を取った私自身に動揺していた。


 私は恥じたのだろうか?


 子供じみたネックレスを――。


 それとも、『悪の魔法少女』たる自分自身を――。


 何か発しようとした四方山もえぎの言葉を遮るように、胸元に〝三日月の形をしたチャーム〟をしまい込むと、私は逃げるようにトイレを後にする。

 廊下を足早に教室へと向かう私の鼓動は高まり、呼吸はどんどんと早くなっていく。こんなことは初めてだった。


 そして、それがいったいなぜなのか、私には分からなかった。


「彼女はあの時……」


 夜の街を流れるテールランプを眺めながら、私の口からは自然と言葉が零れる。


「……なんて言おうとしたんだろう」


『魔法少女』のアイテム――子どもじみたネックレスを見た彼女の口から発せられたのは、笑いだったのか、慰めにも似た褒め言葉だったのか。それとも別の何かだったのか、今はもう分からない。


 聞いておくべきだった――それはおそらく、私の初めての後悔。



    ◉



 彼女の言葉がなんであったのか。私はずっと想像を巡らしていた。だけど同時に、私に初めての動揺を与えた彼女へと面と向かって訊くことにはためらいを覚える。

 意識すればするほどに、彼女との距離は開いていく。


 そして嗅覚だけは鋭い戦闘員たちは、私の微妙な距離感を読み取り、彼女を私の『敵』と認識した。


 小さな世界の悪意は、彼女にイジメという形で吐き出された。


 現場の指揮を執るのは、新参者のシズク。チドリたち先輩戦闘員の鼓舞と、首領たる私へのポイント稼ぎのため、シズクは張り切った。グドー流にいうならば、『悪』の戦闘員としての育成を主とした、実地という名の新人研修。母が聞いたら泣いて喜ぶことだろう。


 シズクは、シズクなりに頭を使って、あの手この手で嫌がらせを始めた。


 だけど、四方山もえぎが、その嫌がらせに付き合うことはなかった。

 ここ最近、髪もぼさぼさで授業中も寝てばかり。いつだって寝ぼけ眼の四方山もえぎだったが、シズクを見る目は常に冷めたものだった。

 毎回、シズクは彼女に袖にされた。それはどこか、そんなことに付き合っている暇はないとでもいうような。例えるなら、小さな『悪』に構っている場合じゃないとでもいうような、徹底的なまでの袖の振り方だった。


 イジメているはずのシズクの方が余裕がなくなり、イジメられているはずの四方山もえぎはいつも通りにあくびをする。そんな構図が出来上がる頃には、先輩戦闘員のさめざめとした溜息ばかりがついて出る毎日となっていた。


 そんな日々に、シズクの言い訳を聞きながら、無表情な私の中では何かが芽生え始めていた。

 それは多分、遠い昔に忘れてきたはずの感情。


 四方山もえぎは、『悪』の首領とその配下。そして無関係を決め込む者。その三者のどれでもなかった。

 襲いくる戦闘員の軍門に降ることもなく、だからといって逃げるわけでもない。常に正面に立ち、そしてさらりとかわす。彼女は、まさに『悪』との闘いを心得ている人間だった。


 彼女ならきっと、『悪の魔法少女』ですら打ち倒してくれるだろう……。


 薄れゆく月光。宵の街を彩る闇は一層その色を増していく。


 ふいに私の瞳から涙が零れた。


 ……いや。私はすでに打ち倒されていたではないか、あの時に。


 今なら分かる。私の子供じみたネックレスを見たあとで、彼女はきっと笑ったはずだ。でも、それは人を馬鹿にした笑いではなかったはずだ。


 教室へと乗り込んできた彼女の姿。変身物の美少女ヒロインといった衣装に、手に持ったファンシーなつくりの杖。大きな星の乗ったそれが、なんなのかは分からない。だけどそんなアイテムを持った者同士として、きっと彼女は笑ってくれたはずだ。


 涙は拭っても拭っても止め処なく流れる。高まる鼓動と早まる呼吸。落ち着かせるように空を見上げても、一向に止む気配はない。


 涙で滲んだ瞳のせいか、空には、朧で幻想的なリングが浮かんでいるように見えるだけだった。


 溢れ出す感情に身を任せた。そうすれば気付くことだってある。

 だが、そんなことをする以前に、最初から私には分かっていたことだった。


 漆黒の闇夜に彼女の、チェリーピンクの色をした『魔法少女』の衣装が翻るのを見た気がした。


『悪』の首領としての証明も。

『悪』たる『魔法少女』のアイテムも。

 私は欲しくなんてなかった。


 私が欲しかったものは……


 父の声が聞こえた――『よすが、お前に必要なのはお父さんでもお母さんでもないよ……』


「……私は、私は友だちが欲しかったんだ」


 私は声を上げて、泣いた。


 脳裏に浮かぶのは、四方山もえぎの顔。

 もう二度と、それが戻らないことを理解していた。



    ●



 ぼやけた視界に、黒い月が――空が、ゆっくりと落ちてくる。

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残光魔法少女 夜方かや @yakatakaya

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