第6話 基本のキ 「挨拶」

 二人が控室についた頃にはオーディションが始まっており、オーディション参加者の中には準備を終えている者、既に自分の番が終わっている者もいた。受付で30分程度の間隔で五人ほど名前が呼ばれて別室に移動するよう促されると説明を受けた通り、集合時間よりも少し早めに会場に到着していたが、すぐに自分の番が回って来そうな慌ただしい雰囲気を感じた二人は席に着くなり準備を始めた。仕切りがされている場所で衣装に着替え、鏡を取り出しメイクを始めた。今井は事前に用意してきたオーディション用のメイクのプランを頭の中で確認した。そして練習してきた通りリップから塗り始めた。

 「そのリップの色可愛い。いつもとメイクの雰囲気変えるの」と新原は鏡越しに今井に話しかけた。

 「うん、服が思った以上に綺麗めになったからメイクも揃えようと思うの」

 「だよね。いつもの汐里と違って落ち着いているメイクしているのが気になって。私はコンセプトぶりっ子」

 「ぶりっ子って」と今井は真剣に鏡を見つめていた顔が不意に和らいだ。

 「普段は動きやすい格好が好きだからそれに合わしたメイクするけど、オーディションってアイドルになってぶりっ子したいですって意思表示な訳だから」とオーディション用に新しく買ったと話していた水色のワンピースを着た新原は、いつもよりかなり甘さを押した出した雰囲気に包まれている。会場に到着してから30分程で準備を整えた二人は落ち着くためにお茶をのみながら、自己紹介の確認を互いにし合って待っていると係の女性が控室に入ってきて名前を呼び始めた。

 「・・・、39番 新原さん。今番号と名前を呼びあげた方々はオーディション会場の部屋に移動するのでついてきてください」

 今井は隣に座っていた新原が鏡に向かって真顔、笑顔、真顔、笑顔と最終確認をする姿を見て噴き出してしまった。

 「笑うならわかるけど、噴き出すって失礼すぎない」

 「いや、緊張しているのかなって」

 「私、笑顔固くない」

 「固いよ。でもいつも通り素敵」

 新原は最後にもう一度笑顔を確かめ、では行ってきますと今井の手を握ってから離し小走りで部屋の出口に向かった。

 今井は40番のため、次の5人のうち一人として呼ばれることになる。一人控室に取り残された今井は心細くなり、気を紛らわすために改めてメイクや自己紹介の確認を始めた。確認はこれで5回目である。

 新原が部屋をでてきっちり30分後に控室に例の係の女性に入ってきた。そして先ほどと同じようにオーディション参加者の名前が呼ばれた。今井はスマホと財布の貴重品を持ってゆっくりと立ち上がり部屋の出口に向かった。

 今井を含めた参加者は部屋を出て、案内されるままエレベータで一つ上に移動した。ある部屋の扉の前で番号順に並んで待つよう指示される。今井はそれまで控室の非日常的な空気に周りを確認する余裕が無かったが、一緒の組になった他の四人を改めて観察するとそれぞれがしっかりと自分に似合う服装やメイクをしている。今井は皆自己プロデュースが出来ていて可愛いという感想と同時に、少し背伸びしたことにより自分はちぐはぐな印象になっていないか急に不安になった。

 「皆さん、顔が強張っていますよ」

 案内役の係の女性は優しく微笑みながら今井に緊張しますかと話しかけた。今井は自分の不安を見透かされたのが少し恥ずかしいと思いながら、はいと返事し頷いた。

 「適度な緊張は必要ですが、緊張しすぎて皆さんの良さが審査員の方に伝わらないのはもったいないですよ。今日ここにいるってことは、審査員の方が会いたいって思った皆さんなのですから、自信を持ってください」と女性は少し大げさにガッツポーズをしてみせ、今井を含む五人に改めて微笑んだ。


 5分ほど待っていると部屋の中から椅子の動く音と挨拶の声が聞こえて扉が開いた。中から新原を含む前の5人が部屋から出てきた。まだ油断しないと顔に書いてある新原は今井と目を合うも表情を崩さず歩いていく。前の組の参加者が全員部屋からでると中からどうぞと声がきこえた。

 「挨拶」それはオーディションにおいて最も重要視されるポイントであるとネットからの情報を掴んでいた今井と新原は、特に最初と最後の挨拶をしっかりとするというオーディション攻略プランを立てていた。

「失礼します」今井は大きすぎず、速すぎず、相手にはっきりと伝わる声で挨拶をした。他の人からしたら単に入室時の挨拶がしっかりできたに過ぎないが、今井にとっては自分で設定した第一関門をしっかりと突破したことでこの後も自信を持って臨めるような心持になっていた。

 

部屋には審査員用のテーブルとイス、そして候補者用のイスだけが配置されているだけfである。男性三人の審査員は南向きの窓に背を向けて座っていて、今井の挨拶で顔を上げた審査員は出口から一番遠いイスから詰めて座るよう促すように手を動かした。審査員の机に今井は目をやると、自分や新原の資料らしきものが見えた。五人が部屋に入り終わりイスの前に立つと審査員は座ってどうぞと声かけをした。

「失礼します」今井はまたはっきりと審査員に伝わるように声を出しイスに座った。

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チロル 宮古 宗 @miyako_shu

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