第18話
隣国ヴェンとの国境の街、フェイニリは山の斜面に張り付くように家々が立ち並んでいる。旅人や商人が険しい峠越えに備えて、または峠越えを終えて、しばしの休息を得るための宿屋や食堂が街道沿いのあちこちにある。
もっとも、あちこちとはいってもその規模はささやかなもので、しばらく歩けばすぐに街外れになってしまうような程度のものである。その街外れの一角に街と同じぐらいささやかなパン屋があった。
「次はいつもの食堂まで配達して欲しいんだが、大丈夫かい?ティア」
「はい。それでは宿屋への配達が二軒ありますので、それを終えてから向かいましょう」
店の奥から聞こえたネレウスの声に、ティアはそう答えると白い翼を広げて空に飛び立った。朝の光を浴びて白い翼はますます白く輝く。その翼の動きを追うように街を行き交う人のさざめきも空まで昇ってきた。
客の多い朝であっても、ふと客足の途絶えるときがある。だが、そんなときでも商品の補充に次の仕込みと休む暇はない。そして今もネレウスは焼きあがったばかりのパンを並べていた。
「いらっしゃいませ」
そこへ一人の客が入ってくる。ぼろぼろのマントに目深にフードを被った旅人らしき女性である。右手にはトネリコの杖があったが、これまでの旅を語るようにすっかり磨り減っていた。
国境の街にはさまざまな客が来る。見慣れない顔の客であっても特に気にすることはない。だからネレウスも警戒することなく客の相手をしようとした。
「……やっと見つけたよ。共和国錬金術師連盟評議員だったネレウスだね」
突然、客がネレウスの腕をつかむ。そしてフードの下からくぐもった声をネレウスに投げつけた。
反射的に振りほどこうとしたが、その手はしっかりと腕をつかんでいるためほどけはしない。だが、ネレウスはすぐにその力を抜いた。
「……そういうあなたは、主席公認魔導士の……」
「よく覚えていたわね。私は決してネレウスのことを忘れたことはなかったけど」
客は勢いよくフードを自ら剥ぎ取る。その下から現れたのは主席公認魔道士として、共和国に名の知れていたカルナの顔だった。
だが、その瞳には昔のような自信に満ち溢れた光は輝いていない。マントと同様にくたびれきった顔の、落ち窪んだ瞳からは、卑屈にも感じられるような警戒心しか伺えない。ただ、眼光はネレウスが思わずたじろぐほど鋭かった。
「ただいま戻りました……」
そこへ扉を開けて帰ってきたのはティアだった。店の中の不穏な空気に気がついたティアは反射的に腰の剣に手をかける。そのティアをネレウスが目だけで制止した。
しかし、ティアはネレウスを無視して抜いた剣をカルナに向ける。その剣とネレウスとを見比べていたカルナは、仕方ないというように手を離した。
「ああ、心配しなくていい。長い旅の途中で、少しばかり警戒心がお強いお客様のようだ……どうぞいらっしゃいませ」
慇懃とした身振りでネレウスはティアに頭を下げる。
「ふざけないで!ネレウス。もう全部わかっているのよ。錬金術を使って金貨を……いや、金貨だけでなく金を他の金属に変えたことは。そしてこの国の経済を混乱させようとしたことは!」
そう叫んだカルナは、その勢いのまま背後のティアに向かって振り向く。
「そこのティアとかいう白翼人も同罪よ!このネレウスが作った薬品をあなたが屋根の上だとか、あちこちに置いていったんでしょ?これがどんな罪になるぐらいわかっているんでしょうね!?」
再び剣をカルナに向けたティアをネレウスが押しとどめる。
「いやいや、すべて君のお見通しのとおりですよ。我々が一連の事件を引き起こしたことは、まったくそのとおりです」
「そう?だったら自分の罪を償わなくてはいけないわね。おそらく自らの命をもってするしかないでしょうけど」
だが、カルナの言葉に逆にネレウスは顔に不遜な笑みを浮かべた。
「それを言うならあなたも大きな罪を背負っているんじゃないかですか?国家運営審議会では、あなたのことを死罪とする処分が下されているのですから」
「……」
一瞬だけたじろいだカルナだったが、すぐに猛然と反論を開始した。
「邪魔な私を排除するための茶番な査問委員会、そして処分。あんな処分が有効のわけないでしょ」
「ほう、査問委員会が茶番だったとは、それは……」
「ちょっと待って、査問委員会の発表を信じているの?」
カルナはあわてた顔を見せる。
「……信じているわけないでしょう。私も共和国の内部は知っています。査問委員会がどのようなものだったかも、想像がつきます」
バルドはそこまで言ったところで、もったいぶった様子で腕を組む。
「だが、他の住人はどうでしょう。あなたが死罪に値するような人だと信じているのでは?」
カルナの反論の言葉は聞こえない。
「どうします?私がここで騒げば、あなたは今度こそ死ぬことになるでしょう。それでも私の罪を暴きますか?」
なんとか顔を上げたカルナは強気な自分を演じるように胸を張る。
「さあ、どうしようかしら。たとえ私が死んだとしても、最期まで共和国に貢献できたことは、元主席公認魔導士として誇れることだからね」
「なるほど、主席公認魔導士、いい言葉の響きです。あなたが誇りに思うのも当然ですよ。その気持ちはよくわかります。私も共和国錬金術師連盟評議員でしたから」
ネレウスはそこまで言ったところで唇の端を曲げた。
「だが、あなたにその称号を与えた共和国はあなたに対してどんな仕打ちを行ったのですか?アメジストを導入した君の功績を称えるどころか、アメジストを勝手に複製して、そのことを咎めたあなたに対して死罪の処分を下した」
「……」
カルナは答えられない。
「それどころか、あなたの存在を社会的に抹殺した後、さらにアメジストを複製し、物価の高騰を招いたのはあなたもよく知っていることでしょう。おかげで経済は混乱し、首都では暴動が起きた。その際、暴徒によって総統は殺害され、国家運営審議会を中心とした臨時政府が成立した」
「暴徒?そんなわけないじゃない。審議員の誰かが裏で手を引いていたんでしょ」
カルナは顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
「さすが、元主席公認魔導士。その推測で間違いないでしょう。その後、暴動は地方に波及し、共和国は大混乱に至った。その間にも臨時政府はアメジストの複製を続け、その結果、アメジストの価値は暴落した」
「アメジストの価値が落ちたとか、そんな程度で終わらなかった。治安が乱れた結果、あなたを探すまでの間、私など何度も命の危険に晒されたわ」
だけど私がそんな簡単に命を落とすわけはないけどね、とカルナは小さく笑って手元の杖を左右に振った
「けれど、ひどかった。私が魔法の力で橋を支え、住人の皆から感謝された街は」
「人心が荒廃し、ほとんどの住人が街を捨てた」
ネレウスが口を挟む。カルナはその言葉にうなずいた。
「そのとおり、よく知っているじゃない」
しかし、ネレウスは首を横に振った。
「いや、その街のことは知りません。ただ、どの街も同じような状況であることは知っています」
「なるほどね。荒れ果てた街では、たとえ私があの時の魔導士だと名乗っても、誰も思い出さなかったはず。私が守った街なのに」
手元の杖にカルナは視線を落とした。
「それでも、まだあなたは共和国に対して忠誠を誓うのですか?」
カルナは無言のままふうっと大きく息を吐く。そんなカルナから視線を外し、ネレウスは窓から外に目を向ける。
「ここは国境の街です。共和国の力もそれほど及びません。私が黙っていれば君が死罪に処せられたはずのカルナ主席公認魔導士であることは気づかないでしょう」
ネレウスは窓を開き、朝の光に目を細めながら山の斜面を見上げる。
「坂の街であるここでは、坂の上にまですぐにパンを届けることができる白翼人のティアはとても歓迎されているんですよ。おかげで私のパン屋は商売繁盛が続いてましてね」
そう言ってネレウスは笑った。
「そう言えば、ここでは魔導士がずっと不在なんです。国がこんな小さな街にまで派遣してくれなくて」
「それは……」
その言葉の意味を考え込むカルナの眉間に皺が寄る。
「間違いなく、魔道士となれば歓迎されると思いますけどね」
「そう……」
ようやく意味を理解したカルナの表情がふっと和らいだ。
「決して悪い話とは思えないけど、どうですかね?」
「そうね、ちょっと考えさせてもらうわ」
もっとも言葉とは裏腹に、カルナはもう心を決めたようにさっぱりとした表情だった。
「それにしても、さすが元主席公認魔導士。よく我々を突き止めることができたと思いますよ」
和らいだ空気にネレウスが軽口を叩く。
「まあね。だけどあの時、ネレウスたちに会っていなければここまで探し当てることはできなかったと思うわ」
カルナはそう言って、食堂でネレウス達に話しかけたときのことを話した。ネレウスは思い出すまでにしばらくの時間がかかったが、最後にはようやく、食堂で椅子をぶつけたあの人か、と声を上げた。
「そう、あの時のことを覚えていなければ、たぶん無理だった」
「だけど、あんな短い時間しか話していなかったのに……」
「うん、なんか印象的だったから。お似合いの二人って感じで」
不意に店内に甲高い金属音が響く。驚いた二人が目を向けると、ティアが落とした剣をあわてて拾い上げていた。
「……すみません、宿屋への配達に行ってまいります」
あわててパンを詰め込んだ袋を小脇に抱えると、ティアは急いで店を出て行った。
「何か変なこと言ったかしら」
首をかしげるカルナにネレウスは黙って肩をすくめる。
「その前に何か食べさせてくれない?昨日からずっと食べてないの。お腹空いちゃった」
カルナは店の中を見回し、明るい声で言った。
「どうぞお好きな商品をお選びください。ただし、お代は頂戴しますけど」
「しっかりしてるわね」
「私はもう錬金術師ではなくてパン職人ですので」
ネレウスの返事にカルナは苦笑を浮かべる。
「ありがとうございます。それと……」
「言わなくてもわかっているわよ。金貨でお支払いしますから」
「重ねてお礼申し上げます」
カルナが金貨を差し出すと、ネレウスはもったいぶった身振りで受け取った。
「今ではアメジストを受け取る人なんて誰もいませんからね」
ネレウスは摘んだ金貨を顔の高さにまで上げる。窓から入ってきた光が金貨の表面を照らし出した。
「だけど、金の輝きは永遠ですよ。これまでも、そしてこれからも」
店の外から聞こえてくる行き交う人々の足音や会話が次第に増してきた。そろそろ峠へ向かう旅人が出発する頃である。国境の街、フェイニリのいつもの日常はまだ始まったばかりだった。
金の輝きは永遠に 岡上柿生 @okagami_kakio
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