第17話
翌日の会議室は開会の時刻になってもなかなかざわめきは消えなかった。そして、そのざわめきの大部分は不満げな口調によるものばかりだった。
それも無理はない。地元に帰ろうと準備をしてたところ、急に招集がかかった者が大多数だったのである。この原因を作った犯人探しが起きても不思議ではない雰囲気だったが、いまさら探すまではないことは誰もがわかっていたのであろう、それ以上ざわめきが大きくなることはなかった。
もっとも、そのざわめきを作った犯人であるカルナは涼しい顔をして座っている。周囲の目などまったく気にしていなかった。
それでもところどころから突き刺さってくる視線にカルナは深呼吸をする。少し心に余裕ができたところで、ゆっくりと周りを見る。
なにか雰囲気がおかしい。そう、魔導士連盟の委員たちが座る席である。誰もが落ち着かない様子で左右や前後と会話を交わしている。もしかしたら、これからカルナが何を提案しようとしているかをうすうす感づいているのかもしれない。
まあいい。今からでは彼らに何もできない。この件に関しては裏から話を進めていこうと思っていた。だが、バルドの件に関して、あのような決定をされた以上、少しぐらいは大ごとにしてやらないと気がすまない。
「それでは今回の議題ですが……」
補佐官が口を開く。カルナは前に向き直った。
「……ええと、こちらは緊急の議題ですので、カルナ委員から直接説明したいとの要望がありましたので……」
そう言って補佐官が視線を向けたのを合図に、カルナは立ち上がった。
「今日はお忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます」
カルナはわざとらしいまで丁寧に頭を下げる。
「さて、本日お集まりいただきましたのは、この件になります」
その言葉と共にカルナが取り出したのは数個のアメジストだった。
「これは私が市場で受け取ったアメジストです」
カルナは手の上に乗せたアメジストを顔のあたりまで持ち上げる。
「ま、私が説明するまでもないと思いますけど」
緊急招集といいながら、なかなか本題らしきものに入らないカルナの話に、会議室のあちこちから不満げな声が上がる。
「で、このアメジストなんですが、ちょっとこうしてみましょう」
そんな声にもかかわらず、カルナは相変わらずの調子を崩さなかった。あげくの果ては、ちょっともったいぶった調子でトネリコの杖をアメジストの上にかざす。
さらにカルナは口の中でなにかつぶやく。すると時間を置かずしてアメジストには数字がぼんやりと浮かび上がった。
「見えますよね?アメジストに浮かび上がった数字が。実は、私はアメジストに番号を振っていたの。普通の人には見えなくても、こうやって魔法をかければ見えるようになる魔法文字でね」
カルナはそこで一呼吸置くと、さらに声を高くした。
「だけど、私は順番に振っていたはずなのに、このアメジストの番号はなぜか同じなの。おかしいと思わない?」
いつの間にか会議室は息をするのもためらわれるほどの静けさに覆われていた。
「ということは、これは誰かが魔法文字の存在に気がつかず、一つのアメジストをもとにして複製したということじゃないかしら」
ま、巧妙に隠したから私の魔法文字に気がつかなくても無理はないけどね、とカルナは薄く笑った。
「いや、やった人はたぶん悪気があってやったんじゃないと思うの。金貨がなくなって止まっていた流通が再び動き出した。景気がよくなったから、もっとアメジストを増やせば景気がよくなるはず。そう考えたって無理はない」
カルナはわざとらしく明るい声を作る。
「だけど、その結果がどうなっているかわかっているのかしら。ちゃんと街へ出て、実際にどうなっているか見たのかしら」
次第にカルナの声が大きくなる。
「アメジストが増えたおかげで物価がどんどん上がっているのよ!このままだと国の経済は破綻しかないじゃない!やった人は自分の評価が上がればいいと思っているのかもしれないけど、国民の生活はどうなるの!?」
もはやそれは叫び声に近かった。
一方で静まり返った会議室は何の反応もない。カルナは咳払いを一つ入れると、低い声で言葉を続けた。
「さて、問題はいったい誰が私に黙ってこんなことをやったのかということだけど」
カルナはぐるりと会議室を見回した。
「この場で名乗り出るのは難しいでしょうから、あとで言ってくれればいいわ。バルドの件をもっと誠実に対応してもらったなら、こんな大ごとにはしなかったのに、なんて言うつもりはないけどね」
皮肉を込めた言葉で話を終え、カルナは腰を下ろした。
「それと、もしも誰も名乗り出なかったら査問委員会を開くからよろしくね」
カルナは不敵にも見える笑顔で周囲を見回す。全ての委員が黙りこくったまま、次に誰かが発言するのを待っている。その重い空気に補佐官が場を繋ごうと口を開きかけたときだった。
「……査問委員会の招集を要求します」
右手を上げて発言したのは若い男性の魔導士である。
「さ、査問委員会ですか?」
驚いたのは補佐官である。魔導士に聞き返す声は裏返っていた。
「はい、そうです。ちょうどこの場には定足数を満たす委員がおります。このまま査問委員会を開催することは可能だと思いますが」
「あ、はい、確かに定足数は満たしています」
とっさに役人らしい回答をしてしまうのは補佐官の悲しい性である。
「それでは、補佐官によって定足数が充足されているとの報告がありましたので、査問委員会を開催することにいたします。まずは議長の選出ですが、これは錬金術連盟の会長である……」
よどみない口調の魔導士は錬金術連盟の委員が座る一角に目を向ける。
「異議がないのであれば、指名されました私が議長を務めさせていただきます」
こちらも何のためらいもなく立ち上がる。
まさか、この場でアメジストに対し「複製」の魔法を使った魔導士を吊るし上げようというのか、カルナはいぶかしんだ。まさかそんなことはないだろう。身内でかばいあうか、それが無理なら責任を押し付けあうはず。こんなあっさりと解決するはずがない。
「今回の査問委員会の議題は魔導士一名に対する懲戒です」
先ほどの魔導士が立ち上がって発言を続ける。もしかしたら、カルナの実力に恐れをなして少しでも情状酌量を請おうというのだろうか。カルナは魔導士の次の言葉を待った。
「懲戒の対象者は…カルナ主席公認魔導士…」
「えっ……!?」
議長の口から出てきた名前に、カルナは思わず声を出していた。
「ちょっと待って。ここは酒場でもなんでもなくて、査問委員会が開かれている会議室よ。つまらない冗談はやめて」
「カルナ主席公認魔導士、質問は後にしてください」
もしかしたら、カルナの声はどこか震えていたかもしれない。だが、議長がその発言をなんの感情も持たない声で遮る。その声の冷たさに、カルナは次の言葉を失って黙り込んだ。
「それでは動議の提案理由についてご説明申し上げます」
魔導士がその先を続ける。
「カルナ主席公認魔導士は、主席公認魔導士という身分に与えられた権限を用いて、これまで数々の事件の解決にかかわってきました。その実績は片手どころか両手ですら足りない数にのぼります」
カルナを持ち上げているような魔導士の言葉だが、それが言葉通りの意味のわけがない。カルナは机の下で握った手に力を入れた。
「しかしながら、最近では指定されている魔法を無断で使用する行為がありました。これは魔導士管理法に違反する行為です」
おそらく先日、増水した川の橋を魔法で支えたことを言っているのだろう。だが、あれは事後報告をおこなっている。こんなところで問題視されるようなものではない。
「さらに、総統直属の近衛兵を自分の指揮下において運用するなど、独断専行の行動が目立つようになっております」
「ちょっと待って。近衛兵の指揮権については、特別な許可を必要とせずに主席公認魔導士に認められているはずよ」
立ち上がったカルナは思わず声を上げる。そして、委員の同意を得るように左右を見回した。
だが、並ぶ委員に動きは見当たらない。中には冷ややかな目をカルナに向ける委員もいる。議長が制止するまでもなく、カルナは力を失って座り込んだ。
まだ魔導士の説明は続いている。よどみないその口調に、この「査問委員会」があらかじめ準備されていたものであると、カルナはようやく気がついた。
「……したがって、このような行為を繰り返す、カルナ主席公認魔導士に対して何らかの処分を求めるものです」
処分、の単語が出ても会議室は静かなままである。それがカルナの気づいたことへの証明でもあった。
「ちょっといいかな?」
魔導士の声はまだ続いている。そこへ急に割り込んだのは総統の声だった。
「はい?」
驚いたように魔導士が顔を上げる。
「話が長くなりそうだから、休憩を取りたいんだが」
「はあ」
総統の突然の提案に魔導士も議長も戸惑いを隠せない。しかし、特に反対する理由も見つからなかったのだろう。議長は、それでは休憩にします、と短く宣言した。
いつもであれば、休憩ともなると会議室の中はざわめきに包まれ、一気に空気が弛緩するものである。だが、今日ばかりは静かなままだった。
「カルナ君、少し時間をくれないか」
カルナに後ろから近寄った総統が軽く肩を叩く。なんでもないような口ぶりであるが、振り向いた総統の顔は固い。カルナは無言で立ち上がった。
会議室を出た総統は黙って廊下を歩く。カルナも無言のまま総統の後を追う。会議室での出来事はすでに事務局にも伝わっているのだろう、すれ違う人は二人と目を合わせることすら避けるかのように歩いていた。
「まあ入ってくれ」
「失礼します」
総統は自室の扉を開けてカルナを招き入れる。広く、涼しい総統室だったが、今日は涼しいを通り越して寒いほどだった。
「さて、今日は災難だったね。いきなり査問委員会なんて、なんとも穏やかじゃない」
まずは穏やかな口調で総統が口を開く。もっとも、カルナに座るよう促すこともせず、立ったままだったのはいつも落ち着いている総統らしくなかった。
「ええ、まったくです。なんで私がこんな目にあわなければいけないのか、さっぱりわかりません」
「それは私も同じだ。君がどれだけこの国に貢献しているかは、私もよくわかっているつもりだ。他の委員だってそれは同じだと思う」
口を尖らせるカルナに総統もうなずく。
「しかし、それを快く思わない委員もいたようだな」
「……そうだったのかもしれません。私がそのことに気づかなくて申し訳ございません」
頭を下げるカルナに総統は手を振った。
「いや、今はそのことは置いておこう。それより、私も彼らがいきなりこんなことをするとは思わなかった。既に裏で手を回していたのだろうが、カルナ君がアメジストのことを持ち出したので、一気に査問委員会まで持っていったのだろう」
総統に言われて、カルナは始めて手のアメジストを握り締めていたことに気がついた。
「複製されたそのアメジストのことは、私もまったく知らなかった。カルナ君の推理に間違いはない。カルナ君にばかり手柄を持っていかれたくないと焦った魔導士が引き起こしたんだろうな。この事件に関しては、カルナ君に解決を図ってもらいたかったが……」
「いえ、やりますよ。私が」
総統は首を横に振る。
「無理だ。ここまで手を回していた彼らのことだ。カルナ君に下される処分が生易しいもので済むわけがない。間違いなく相当に厳しいもの……」
「譴責、とかですか?」
「いや、そんなものではない。もっと厳しいもの……」
「ならば追放……?」
なおも総統は首を横に振る。
「実は、予想される処分について、ある公認魔導士から聞いたのだが」
総統はそう言って、一人の名前を挙げた。
「え?メリデ、ですか?」
その名前にカルナの声が裏返る。
「そうだ。もしかしたら知り合いかね?」
「……古い、友人です」
「そうか、友人か……だから、わざわざ知らせてくれたのか。次に会ったときにはカルナ君から礼を言っておいたほうがいいだろう」
(そうか、あの時メリデが自分に告げようとしたのは、このことだったのか。公認魔道士の辞任だとか、そんなものではなく……)
カルナは唇を噛んだ。
(それを自分は無視した。メリデがどんな手段で得た情報か知らないが、もしかしたらメリデ自身に危険が及ぶ可能性もあったのに……)
いや、可能性ではない。こんな計画を本人に伝えるような人間は、計画を立てた側からすれば即座に始末する対象となる。だから、あれほどまで警戒して、あえて面会の約束まで取らずにやってきたのだった。
(それなのに、私は!)
カルナは心の中で自分に対して呪詛の言葉を吐き続ける。
「で、その処分のことなんだが……」
総統は言葉を続ける。
「それはどんなものになるのでしょうか」
「考えられる中で最も重いもの、と」
「もしかしたら……?」
総統は黙ってうなずいた。
「だから、早くここから逃げた方がいい。このまま会議室に戻ったら、処分の裁定が下され、そのまま拘束されることになる可能性が高い。後は私に任せなさい。残念ながら、今の私にはこれしかできないが」
そう言うと総統は部屋の隅の隠し扉を開けた。
「ここから外に抜けることができる。さあ」
「……ありがとうございます」
カルナは体を屈めて低い背の隠し扉をくぐった。
「それとメリデ君だったっけ、君に代わって私の方から礼を言っておこう。もしよかったら、何か伝えておくことはあるかね?」
いいえ、と言ってカルナは首を横に振りかけた。このようなことになった以上、もはやメリデは総統の前に姿を現すことはないだろう。だが、カルナは思い直して口を開いた。
「それではこう伝えておいてください。主席公認魔導士は私ではなくあなたがふさわしかった、と」
それだけ言い残すとカルナは隠し扉の向こうに姿を消した。その意味を考えるように総統はしばらく首をひねっていたが、ややあった後、軽くうなずいて総統室を出て行った。
「それでは議事を再開します……あれ、カルナ主席公認魔導士は?」
カルナの姿がないことに気がついた議長が総統にたずねた。
「おや?先に戻ると言っていたのだが、どうしたのかな?」
会議室内に静かなざわめきが広がる。だが、そのざわめきもすぐに収まった。
「ええと、どうしましょうか。この査問委員会についてはいったんは中止をして……」
「それでは本人不在ということで、弁明拒否とみなし、このまま進めます」
あまりにも唐突で速い展開が続く委員会に収拾をつけようとする補佐官を無視し、議長がそう告げると特に委員の間から異議が唱えられることもなく、すぐに議事に戻った。
最終的にカルナに対する処分が下されるまで長い時間はかからなかった。ぽっかりと空いた、カルナが座っていた席に向かって議長が処分内容を発表する。書類が散らばったままの空席に向かって話す議長の姿は滑稽でもあったが、誰も笑いはしなかった。
近衛兵がカルナの自宅を急襲したのはその夜のことだった。主席公認魔導士という地位の割には質素な干し煉瓦造りの自宅を包囲した近衛兵は、完全武装のまま指揮官の次の指示を待つ。
「対象は強い魔法を操ることのできる公認魔導士だ。自身の安全を図るために、一気に火矢を放て!」
師団長が声を張り上げると、間髪を入れずに並んだ近衛兵は次々に火矢を放つ。すぐに火矢はその数を増し、干し煉瓦の隙間や窓からは炎が上がり始めた。
噴き上がる炎は赤く夜空を焦がす。騒ぎを聞きつけて周囲に人が集まり始めたが、見慣れぬ近衛兵の集団に遠巻きに見守るだけである。
炎はさらに勢いを増している。その様子を誰もが硬い表情で見守っている。その中で、師団長一人だけが顔に薄い笑いを浮かべている。しかし、渦巻く炎に注意が向けられる中で、その笑いを見た人は誰もいなかった。
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