ドレミの鳥
稲荷 古丹
ドレミの鳥
薄暗い研究室の片隅で、二人の白衣の男が横倒しになった金属バーを見ていた。
天井から伸びた紐でぶら下げられたバーの上には、数匹のひよこのような鳥が並んでいた。
ふいに男のうちの一人が左手を掲げ、自分から見て一番左側の鳥を指さす。
「ド」
指の動きに合わせ鳥は甲高い音で、そう鳴いた。
次に男が右隣の鳥を指さすと、
「レ」
と鳴き、さらに右隣の鳥を指し、
「ミ」
と鳴き、さらに右隣の鳥を指し、
「ミ」
と鳴いたところで、
「あぁーっ!違う!違う違う違う!違うじゃないか!」
男は絶叫し、もう一人の男は慌てふためいた。
「何が違うって言うんですか博士」
博士と呼ばれた男は込み上がる感情を抑えることなく、さらに吠えた。
「聞こえんかったのか我が助手!よく聞け!」
博士が三番目と四番目に指さした鳥に再び同じ動作を見せてやると、
「ミ」
「ミ」
「どうだ!」
博士の憤慨ぶりとは裏腹に助手と呼ばれた男は首を傾げた。
「同じじゃないですか?」
「同じだから違うんだ!」
助手は、さも嫌そうな顔をして、
「…あいにく、そういう哲学的な事は専門外で」
「バカモン!私はドからシまでの七羽を揃えろと言ったんだ!同じ音だと意味が無いじゃないか!」
博士は肩を落として露骨に落胆したが、助手は『う~ん』と不服そうに唸った。
「でも博士、一曲歌うとなると七羽じゃもたないかもしれませんよ。せめて一音につき二羽は用意していた方が良いと思いますけどねぇ」
「まだ七羽揃ってない内からそんな話をするな!ああ、まさかと思うが用意した卵が全部音被りしてしまっていたら!」
「いやぁ予算限界まで使っちゃいましたからねぇ」
ちらりと助手は研究室の中央に据えられた大机の上を見る。
そこには大量の卵が様々な機械の付いたガラスケースの中に納まっていた。
「とにかく私が今欲しかったのはファの鳥だ!それ以外でもまだ出ていない音だけの鳥を持ってこい!それ以外は肉屋にくれてやれ!」
「それ以外の鳥というと?」
「その鳥だよ!」
「その鳥ですか?」
「その鳥だよ!」
「その鳥ですね」
助手は一羽の鳥の首根っこを引っ掴むと、すたすたと扉の所まで歩いていきノックした。
「すいませーん、お待たせしました。こいつフライでお願いしまーす」
ガチャリと扉が開くと、ぬぅーっと筋肉質な腕が伸びてきて助手の手から鳥を受け取り、それから音もなく扉の奥へと消えていった。
扉を閉めてニコニコ顔で戻ってくる助手を、博士は恨めしそうに見ていたが、ふと鳥たちに視線を移し、ぎょっとなった。
「待て、おい助手。ここの鳥はどうした?」
「ココなんて鳴く鳥いましたっけ?」
「違う!ここの、『ソ』の鳥だ」
「ソの鳥?ですから今、肉屋さんに」
「バカーッ!」
博士は大急ぎで扉へ向かい、開け放ち、そしてまるで舞台役者のような動きで頭を抱え、空いた腕で天を仰いだ。
「な、な、何で、ソの鳥を渡したんだよ!?」
よろめきながらも何とか博士は声を絞り出したが、助手はきょとんとした表情を浮かべた。
「だってソの鳥だって博士が」
「ソの鳥じゃない!その鳥だ!」
「その鳥?どの鳥ですか?」
「分かるだろ!?どの鳥くらい!」
「まあ、端っこにいますからね」
助手は鳥をもう一羽掴むと扉の前に立つ博士に差し出した。
「…何してんだ?」
「ですから、ドの鳥も。今度は焼き鳥が良いですか?正直お腹ペコペコで」
「ドの鳥じゃないよ!その鳥!ミ!ミって鳴く内の1羽!どの鳥って!ミの鳥!その鳥だ!」
「ド・ミ・ソ?」
「
「え、犬いるんですか?」
「ハウスーッ!」
博士は助手から鳥をぶん取ると金属バーとはちょうど対角の位置にある研究室の端っこを指さした。
「お前は!もうじっとしてろ!どの鳥にも触るな!」
「では残りのレ・ミ・ミはよろしいので?」
「全部駄目だぁぁぁ!ドレミファソラシ全部ー!」
博士は乱暴にドアを閉め、尚もぶつくさと呟きながらドの鳥を金属バーに戻しに向かった。
助手は嘆息しつつ博士が指定したところに行こうとしたが、視界の端に机の上の卵を捉えた。
「あ、博士!あの、鳥が!」
「アなんて音はない!」
「違います!卵が!あの、鳥が産まれて!」
助手の視線の先、大量の卵の内の一つが今まさに孵化したところだった。
博士は驚愕と歓喜の表情を浮かべて一目散に孵化した鳥の入ったケースに走った。
「やった!やったぞ!さあ君の鳴き声を聞かせておくれ!」
「いけません博士、その鳥は!」
しかし助手は血の気の引いた顔で耳を塞ぎ―
「―で?それからどうなったんだ?」
スーツを着た恰幅の良い男が呻くような声で呟く。
「はい、刑事さん。私と肉屋さんは耳栓をして、それから『その鳥』を肉屋さんに潰して貰ったんです」
刑事は『ふむ』と頷くと、筋骨隆々な肉屋の主人と、肩身の狭そうな様子の助手に問いかけた。
「では『その鳥』の亡骸は今どこに?」
「えっと、ここです」
助手がおずおずと自分の腹を指すと、刑事は眉をひそめた。
「どうにもお腹が減って、でも美味しかったですよ」
バツの悪そうな表情を浮かべる助手と、何故か満足げな表情を浮かべる肉屋の主人の顔を見比べつつ、刑事はため息を吐いた。
その横を他の刑事が担架を持って横切っていく。
そこに乗せられている白衣の男はピクリとも動かなかった。
「それにしても信じられんな。ただのドレミの鳥だろう?」
「いえ、稀になんですが、とても危険な種類のものが生まれてしまうんです。博士も知っていたはずなんですが、興奮しすぎていたらしく」
「ふうむ、もう少し捜査を進めなければならんが、それにしても信じられんなぁ」
刑事はトントンとじぶんのおでこを指で叩いて、しかめ面を浮かべた。
「シの鳥か?」
「しの鳥です」
「シの鳥ねぇ」
「ええ、死の鳥です」
悲しい事に博士はシの世界へと飛び立った。
その死因は、ドレミファソラ死、とされた。
ドレミの鳥 稲荷 古丹 @Kotan_Inary
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