ヤマトタケルの伝承の起源④ 伝承形成時期は馬匹文化の影響を受ける以前の4世紀?

 実は「ヤマトタケルの伝承の起源」をテーマとした話は前稿で締めくくる予定でしたが、私が現在の歴史家(文学博士)の中で最も(というかほぼ唯一)信頼させていただいております、平林章仁氏の最新の著書を数日前に読んで衝撃を受けたことと、自説を否定し得る見解があったので、それをご紹介して本テーマは締め括らせて頂きたいと思います。


 ヤマトタケルの伝承の形成時期として考えられるのは、津田史観的には『旧辞』が編纂されたとされる、継体・欽明朝⑴の6世紀頃を遡らないと理解されるのが一般的なのかも知れませんが、私見ではその原型を『宋書』の「祖禰」とみて、つまり5世紀後半に遡るのではないかという推測は前稿までで見て来たとおりです。しかし、本年(2023年)11月に出版された平林章仁氏の『神武天皇伝承の古代史』(志学社)では他の視点からヤマトタケルについても伝承の形成時期を推察し、「景行天皇四十年是歳条の日本武尊の東国・蝦夷制圧伝承では、地域を巡るなかで、馬が登場する。ただし、それは信濃(長野県)の道は険しくて「馬 頓轡なづみてかず」とある箇所のみである。信濃は早くに馬匹集団が定着した地であることも影響してこうした表現がなされたとも考えられるが、その道が険しいことを述べた『紀』筆録者の文飾以上のものではない。これは『記』においても同様であり、このことはヤマトタケル伝承の形成時期をも示唆していよう。」⑵と述べられています。正確に言えば、ヤマトタケルの崩御後、「驛使はゆまづかい」つまり、早馬(ハユマはハヤウマの約⑶)を遣わした描写もあるので馬に関しては「馬頓轡みて進かず」だけとは言えないのですが、「驛使はゆまづかい」は律令制度が整った時代の言葉なので、これも後世の文飾とみてよく、『紀』筆録者による付会とみてよいかと思われ、事実とは異なる内容と想定されます。


 又、仲哀天皇記で新羅を御馬甘と定めた記事を取り上げ、「これは倭国が導入した馬匹文化の源流の一つとその始原時期を示唆しているが、説話化した所伝であり、信憑性は必ずしも十分ではない」⑷としながらも、「このあたりの『紀』紀年は実際より古く設定されているが、百済からの七枝刀(七支刀)の贈与や、新羅からの人質 微叱己知波珍干岐みしこちほつかんの送還伝承などから、細かな事実関係は別にして年代補正すれば「神功皇后摂政時期」はおおむね4世紀後半頃にあてるのが妥当である。この頃には倭国の支配層の間で馬について関心が高まっていた事は推察できる。」⑸と述べられています。


 つまり、記紀の記事で、景行天皇以前の時代で馬に関する記事は少ない上に、あるとしても後世の文飾である一方、仲哀天皇以降の記事では馬について関心が高まって来た事が推察されるという事です。実際、広開土王碑にある様な高句麗との戦辺りの頃になると、古墳から馬具など馬文化に関わる出土品が増えて来る事は考古学的にも確認出来ます。


 当方も過去の稿(「騎馬民族説の諸問題」)で騎馬民族説を批判する根拠として、騎馬文化が入って来た理由を騎馬民族による侵略ではなく、仲哀天皇記の新羅を御馬甘と定めた記事から大和王権の騎馬文化に対する姿勢を読み取れることを取り上げた事があり、自説を補強する説になりますが、それはとにかく、ヤマトタケル伝承の話に戻すと、日本書紀においてヤマトタケルの記事で馬が登場回数が少ないことから、伝承の形成期が馬匹文化が影響を与える以前の時期まで遡るかも知れないという事になります。


 平林氏は同書でヤマトタケルの伝承ではほぼ馬が登場しないものの、仲哀天皇記・神功皇后摂政前紀以降に馬に関わる記事が増えて来る事から馬匹文化の始原が伺われ、過去の稿(笠原小杵を援助した上毛野氏は独立勢力だったのか? 武蔵国造の「反乱」論批判)でご紹介させて頂いた仁徳天皇五三年五月の記事で毛野君の祖竹葉瀬の弟の田道たぢが「精騎すぐれるうまいくさ」を連ね新羅と戦った伝承は倭国軍にも騎馬戦が可能であるということは、馬匹文化導入の目的と定着を示唆しており、これは上毛野氏の祖先伝承であり信憑性が十分ではないとはいえ、履中天皇以降は馬利用の記事が急増し、馬匹文化の定着を物語っていおり、履中天皇紀五年九月壬寅条には「河内かわちのうまかい」、弟である允恭天皇四十二年十一月条には「やまとのうまかい」がみえ、王権による馬養集団の編成を示しており、馬匹文化の広がりが見て取れる事。五世紀後半に当たる雄略天皇紀では、もはや騎馬戦が普通のこととして散見されるが、これらのことは古墳や遺跡から馬の骨歯や馬具が検出されることから整合的である等のことから参酌すれば、神武天皇とヤマトタケルの物語の基本的な部分は履中朝以前、五世紀初めのころまでには形成されており、それ以降は改変されていないのではないかと推考されました。⑹


 又、神武天皇伝承にかかる諸問題を解明する鍵が賀茂氏と隼人にあるとして、今日伝えられる伝承形成時期を記紀の年代で言えば、神功皇后・応神天皇から下って仁徳天皇までの代であり、4・5世紀を前後する半世紀も満たない時期と想定し、神武天皇伝承を形成した集団は、馬匹文化を導入する以前の南九州系集団を内包、一体化していたことも推考されました。⑺


 詳しくは本書をご覧頂ければと思いますが、事実だとすれば過去の通説よりも遥かに古い時期まで伝承の起源が遡る事になります。過去の稿(神武天皇東征の史実性と英雄時代論)でも取り上げた様に、『日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)十月癸巳朔条の「愛瀰詩烏毗儾利。毛毛那比苔。比苔破易陪廼毛。多牟伽毘毛勢儒(えみし一人ひだりももな人。人は云へども。抵抗たむかひもせず)」⑻という久米歌が、『古事記』下巻の仁徳天皇記で天皇が八田若郎女やたのわきいらつめに贈った歌「夜多能。比登母登須宜波。比登理袁理登母。意富岐弥斯。与斯登岐許佐婆。比登理袁理登母。(八田の 一本菅ひともとすげは 獨居ひとりとりも 天皇おほきみし よしと聞こさば 獨居ひとりとりも)」⑼の中に「比登理ひとり」(独り)という表記が見られる事から、つまり、この久米歌は一人を指す意味の「ヒダリ」が「ヒトリ」になる以前の時代に作られたかも知れず、具体的に言えば仁徳天皇の頃には既に「ヒトリ」という言葉に推移しているということは、それよりも古い時代(応神天皇以前)に作られた歌かも知れないという事を示唆している事と、平林氏の馬匹文化の前後の伝承の変遷から推測する説と併せて考えると、景行天皇以前の『旧辞』の元となった伝承が通説の6世紀どころか、4世紀にまで遡る可能性を見出すことが出来ます。


 私見としてヤマトタケル伝承を5世紀後半起源と考え、これでも早い方だと考えていた自分には衝撃を感じるとともに、ここまで記紀を読み込む姿勢と内部考証が自分には足りなかったと反省させられました。他にも天皇家が日向発祥である謎も西郷信綱氏の説でようやく理解出来たつもりになっていましたが、その事についても西郷氏とは全くの別視点から書かれていたので、「神武天皇東征の史実性と英雄時代論」を投稿した9月25日前に本書を読みたかったですが、11月出版なので物理的に無理でしたねorz


 恐らく将来的には批判論も出て来そうなので、批判論も注視する必要があり、本書をもって神武やヤマトタケル伝承の形成時期が4、5世紀頃と結論を出すのはまだ早いかと思いますが、いつか本書を参考に神武天皇について再度取り上げることもあるかも知れません。



◇参考文献

⑴『津田左右吉全集』別巻第一 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/pid/2941381/1/120

⑵『神武天皇伝承の古代史』平林章仁 志学社

84頁「神武天皇東遷伝承の文化史的特徴―馬匹文化との関連」

⑶『古事記注釈 第五巻』西郷信綱 ちくま学術文庫

239頁 第二十八 景行天皇(続々)「駅使」

⑷平林、前掲書

84頁「神武天皇東遷伝承の文化史的特徴―馬匹文化との関連」

⑸平林、前掲書

85頁「神武天皇東遷伝承の文化史的特徴―馬匹文化との関連」

⑹平林、前掲書

85-87頁「神武天皇東遷伝承の文化史的特徴―馬匹文化との関連」

⑺平林、前掲書

241頁「終章 神武天皇伝承形成とヤマト王権」

⑻『古事記 : 新訂要註 (高等国文叢刊)』武田祐吉 編 三省堂

https://dl.ndl.go.jp/pid/1036263/1/146

⑼『白鳥伝説』谷川健一 集英社 174頁

『幻の日本原住民史』田中勝也 徳間書店


◇関連稿

・笠原小杵を援助した上毛野氏は独立勢力だったのか? 武蔵国造の「反乱」論批判

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817139558917280899


・神武天皇東征の史実性と英雄時代論

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330657747570713

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