君はザッハトルテでいいんだよ
キノハタ
君もショートケーキでいいんだよ
週末の金曜日は僕と彼女のケーキの日だ。
それが、僕達が適当に決めた謎の習慣。
まあ、一週間お疲れ様っていう、労いの意味で。
仕事の帰りに、近所のケーキ屋さんに並んで、二人分買って帰る。
片方はいつもショートケーキ、彼女が好きなやつ。
もう片方は大体いつも、ザッハトルテ、僕が好きなやつ。
でも、今日はイチゴのタルトが新作で出てたからそれにした。
顔も見慣れた店員さんに会釈して、店を出る。そろそろ春も近いから、冷たいけどすこし微かな熱を帯びた風が、吹き抜けていく、そんな帰り道。
手の中で揺れるのはショートケーキとイチゴのタルト。
なんか、イチゴイチゴだな。まあ、いいか。
今日も君は飲み会で帰りが遅いだろうから。
ケーキを食べれるのは何時ごろかな。
そんなことを考えてぼんやりと歩いた。
※
「また、ショートケーキ?」
飲み会帰りに少し顔を赤くした
「うん、嫌だった?」
「別に嫌じゃないけど、
「んー、でもさ、ハルには好きなの食べてて欲しいし、新しいのも食べて欲しいってなると、これが一番なんだよ」
「気持ちは嬉しいけどさ……」
前までは僕がザッハトルテ、ハルがショートケーキで毎週だった。
新しいケーキもほとんど手をつけなくて、僕もいちいちケーキのお伺いを立てなくていいから楽だった。
ただ、それがよくわからない形で喧嘩になったのが、三か月ほど前のこと。
ハルの細かいイライラが原因で巻き起こったそのケンカは、整理してみれば、偶には違うケーキが食べたいとのことだった。
なんだそりゃって感じだけど、まあ、ハルはだからね。わかって好きになったのだから、僕に文句は言う資格はない。
先に惚れた方が弱いのだ、と世の通説を見事に体現しているのだ。
折衷案ってことで、偶にこうやって違うケーキを買ってくるのだ。
新しいのをシェアして、些細な変化を楽しんでいた。でも最近、ハルは僕がショートケーキを買ってくると渋い顔をすることが多い。一体、どこに引っ掛かっているのやら。
渋い顔をするハルに、僕はフォークでイチゴのタルトの切れ端を差しだした。
渋い顔のまま、彼女は口を開けて、それをついばむ。
「おいしくない?」
「……おいしい」
「ショートケーキとどっちがいい?」
「………んー、ショートケーキ」
だろうねえ。
未だに納得していないハルに首を傾げながら、僕はイチゴのタルトを食べた。
うん、おいしいね、たまには違う味も、いい。うん、たまには。
そう、自分に言い聞かせた。
※
その次の週、ハルは帰りが遅くなるからケーキいらないと連絡してきた。
僕は了解とだけ、返事をして、いつものケーキ屋に向かう。
今日食べれなかったら、ショートケーキは痛んじゃうかもしれないから、プリンでいいか。
それから……そっか、今日は新しいの買わなくていいのか、と思うとちょっと肩の荷が下りた。
ザッハトルテとなめらかプリンを注文した。そう言えば、ザッハトルテ食べるの、久しぶりじゃなかったっけ?
ちょっとほくそ笑んだ、ちっちゃな秘密を抱えるみたいに。
同時に軽く息を吐く。
ハルの帰りが遅いことに少し安堵する自分がいた。
そんな自分が少し、嫌になった。
※
アパートに帰って、思わずあれと首を傾げた。
ご飯を作る音がする。
疑問を抱えたまま、部屋に上がるとキッチンで料理を作っているハルが見えた。
「おかえり、アキ」
「うん……ただいま。今日、遅いんじゃなかったっけ」
「なんか今日はアキの顔見たいから、帰ってきちゃいました」
「そっ……か」
ハルはたまに、恥ずかしいことを平気で言う。ちょっと目線を逸らしながら、僕は頷いた。
「それで今日のデザートなんだけどねーーー、あれ?」
ハルが僕を振り向いて、それからちょっとぎこちない表情になる。んん?
「ーーーもしかして、買ってきちゃった? ケーキ」
「う、うん。ごめん、保存効くからプリンにしちゃった……ショートケーキじゃない」
僕がそう言うと、ハルはちょっと困ったように額を押さえた。それから、ちょっと顔を赤くして、ため息をつく。困らせてしまったかなあ。
「まじかあ……」
ハルは無言で火を止めると料理の手を止めて、冷蔵庫に向かった。
僕が首を傾げていると、ゆっくり振り向いて、中から小さな箱を取り出した。僕がもっているのと同じ、近所のケーキ屋さんの箱。
「……今日、私も買ってきちゃった」
「ありゃりゃ」
被っちゃったか。まあ、彼女のことだから、自分のショートケーキは買ってあるよね、プリンは保存がきくし、ま、いっか。
「まあ、一個多いくらい、なんとなかなるよ」
「……三つ買ってきちゃった」
「……三つも?」
ええ、と思わず声が漏れる。ハルはバツが悪そうに、ちょっと顔を赤くしていた。その様が思わず可愛くて笑ったら、ハルはちょっと怒ったような顔になった。
「もー、私なりに考えがあるの!」
うん、多分、そうだよね。何か、何か考えてしてくれようとしたんだろう。
「うん、とりあえずケーキは食後にね、今日ごはんなに?」
「パスタとスープ」
程なくして、食事の準備を終えた僕らは、ミートソースのパスタとコンソメスープをすすりながら会話をする。
なんでかな、さっきよりは幾分気が楽に会話ができた。
「だって、アキやっぱザッハトルテ食べたいでしょ」
「う、うん、まあそりゃそうだけど」
「私に合わせてくれてさ、わがまままで叶えてくれるのは、そりゃ、愛、感じますよ。うれしいよ」
「……うん」
「すぐ照れない。でもね、やっぱりそれで我慢しちゃ意味ないと思うの。一緒に暮らしてるんだし、まあ私は我慢しなさすぎかもしれないけどさ。やっぱ、私といるとしんどいなあなんて思ってほしくないし」
「……」
「でも、私もショートケーキ食べたいし、アキはザッハトルテ食べたいし、新しいのもたまには食べたいし」
ハルの指がピンと一つ上に伸びた。
「そこで、考えました。三つ買って来ればいいじゃーん。で、残った一つを新しいのにする。それを二人でわければいいじゃんって」
そういって、にっこり僕に笑顔を向けた。
「っていうのはどうでしょ?」
いたずらを思いついた子どもみたいな顔をして彼女は言う。
「……なんで僕がザッハトルテ食べたいって……わかったの?」
そう、問うてみた。
ハルは不思議そうな顔で、僕を見た。なんでそんな当たり前のこと聞くのとでも、言いたげに。
「だって、アキはザッハトルテ食べてる時が一番、幸せそうだよ?」
当たり前に答えが返ってくる。
何気なく、なんとなく。
「
そう、言った。
そっか、別に僕の好きなものは、そのままでいいんだね。
無理に合わせなくてもいいんだね。
お互い、好きなものはそのままでいいんだね。
僕は僕のままでいいんだね。
なんとなく、最近しんどかった理由がわかったよ。
僕の好きなものをずっと我慢してたからか、相手のためだと言い訳にして、蔑ろにしてたからか。
ハルはきっとそんなに難しくは考えていないだろうけど。
僕は笑って、彼女を見た。知らないうちに乗っていた肩の重りが少し、軽くなった気がした。
「いいね、今度からは三つ買ってこよう」
「ふふ、明日は運動、頑張んないとね」
食後にザッハトルテを口に含んだ。
苦くて。
甘くて。
でもしっかりしてる。確かに、ここにある。
僕はザッハトルテでいいんだね。
君もショートケーキでいいんだよ。
それから二人で笑って、知らない味に手を付けた。
君はザッハトルテでいいんだよ キノハタ @kinohata
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