勘ピューター・武蔵

佐倉伸哉

本編

 直感とは、瞬間的に感じ取ること。

 直観とは、知識や経験を元にして思考を挟まずに答えを導き出すこと。

 両者の違いは知識や経験などの蓄積の有無、直感は100%成功するのに対して直観は失敗する事もある。


 プロ野球界に、不思議な男が存在する。

 武蔵むさし武蔵たけぞう。プロ20年目の42歳。ポジションはキャッチャー。

 打率は一割を下回り、二塁までの送球タイムは4秒台と衰えが顕著。とっくにクビを切られていてもおかしくない武蔵だが、彼は未だに一軍の試合に出続けている。主に試合終盤、チームがリードしている場面で逃げ切る為に投入される、言わば“リリーフキャッチャー”だ。

 この日も、7回裏の攻撃途中で1点リードしている状況。武蔵はレガースを装着しながら自らの出番を待っていた。

(次のイニングは2番から始まるな……)

 武蔵の準備は試合開始前から始まっている。相手チームの予想スタメン選手のここ数試合における打撃成績や傾向を頭に入れ、試合が始まってからも味方バッテリーの配球や結果を事細かにチェックしていた。選手の調子や試合の流れを出来るだけ把握しておくのが武蔵のやり方だった。

 キャッチャーは、大まかにフィーリングを重視するタイプとデータを重視するタイプに分けられる。その試合その打席でバッターが何を考えているか推測して抑える方法を採るか、過去の実績や傾向から分析して抑える方法を導き出すか。どちらが正解という訳ではないが、武蔵は前者のタイプに分類される。

 次のイニングに向けてストレッチをしていると、味方の攻撃が終了した。

『――守備の交代をお知らせします。ピッチャー吉岡に代わりまして、佐々木。キャッチャー三木に代わりまして、武蔵』

 場内アナウンスで選手の交代が告げられると、武蔵はベンチからゆっくりとグラウンドに足を踏み入れる。一塁側の内野スタンドからは武蔵に向けて拍手が送られる。武蔵はこの瞬間が特に好きだった。

 そして……リリーフカーに乗った佐々木が登場すると、場内のボルテージが一気に高まった。

 アイドルのような甘いマスクで女性ファンから圧倒的な人気を誇る佐々木だが、150キロを超えるストレートと鋭く落ちるフォークで空振りを奪う右のパワーピッチャーだ。反面、パワーピッチャーにありがちな細かい制球力に課題があり、コントロールが定まらず四球でランナーを溜めてストライク欲しさにコースが甘くなった所を痛打されるケースも時々起きている。

 リリーフカーから降りてマウンドに歩いてきた佐々木はにこやかに笑みを浮かべて武蔵に声を掛けてきた。

「武蔵さん、今日もお願いします」

「おう。今日も頼むぞ」

 言葉を交わすと、武蔵はマウンドからホームベースの方へ歩いていく。腰を下ろしてマスクを被ってから、ミットを構える。佐々木もロジンバッグを握り、マウンドの土を削って投げる準備を整えていく。

 それから……全ての準備を終えた佐々木が投球練習を開始する。予め投げるボールを合図で示してから、武蔵のミットへ目掛けて投げ込んでいく。

 佐々木の持ち球はストレート、フォーク、ツーシーム、チェンジアップ、カーブ。主に投げるのはストレート・フォーク・ツーシームの三種で、大体90%を超える。あとは緩急をつける為にチェンジアップやカーブを投げることもあるが、あまり変化しないのでコースを間違えばチャンスボールになる危険がある。

 武蔵が受けた印象だと、佐々木のボールはスピードも出ているしキレもある。武蔵の構えた所に大体来ているので、コントロールもまずまずといった感じか。

『8回表の攻撃。2番、センター、明石』

 この回先頭の明石が右打席に入ってくる。今日はここまで4打数ノーヒット。ショートゴロ、セカンドゴロ、ショートゴロ、センターフライ。外野の頭を超える長打力は無いがセンター方向に打ってくるタイプのバッターで、今日はここまで先発の吉岡の前にノーヒットに抑えられている。

「プレイ!」

 主審の宣言と共に、試合が再開される。武蔵は明石の顔をチラッと見て、すかさずサインを出す。内角、真ん中、ストレート。佐々木も頷く。

 佐々木の左足がスッと上がると、一つタメを作ってから思い切り左足でマウンドの土を踏み締めると、右腕を思い切り振り抜く――!

 佐々木の右腕から放たれた白球は、武蔵のミット目掛けて一直線に突き進んでいく。

 バシンと音を立てて武蔵のミットにボールが収まる。明石はストライクではないと判断したのか微動だにせず見送る。

 やや際どいコースだが、判定は果たして。

「――ストライク!」

 主審の判定に、明石の眉が少しだけ動いた。外れたと思っていたのだろう。

 確かに、ベースを通過する時はコースから若干外れていた。しかし、武蔵はミットを僅かに内側へ動かしながら捕球するフレーミングの技法でストライクに見えるよう工夫していたのだ。

 2球目。武蔵の要求は同じコースへのストレート。初球の見送り方から明石はストレート以外にヤマを張っていると感じたが――。

 佐々木が投じたボールを明石のバットが捉えた! 弾き返された打球は佐々木の脇を通り抜け、二遊間も通過してセンター前に転がっていった。

(うーん……当てが外れたか)

 武蔵は首を少しだけかしげた。直観だけで完璧に抑えられればどんなに楽なことか。一々気にしていてはキリがないので、こんな事もあると割り切るしかない。

 とは言え、ノーアウトでランナーを出してしまった。明石はそんなに足が速い方ではないが、武蔵の肩を考えれば盗塁を仕掛けてくる事も十分に考えられる。

『3番、指名打者、有馬』

 名前がコールされた有馬が左打席に向かって歩いて来る。今日はここまで4打数2安打。ライトオーバーのツーベース、ライトライナー、セカンドゴロ、ライト前ヒット。初球からガンガン振ってくるバッターで、引っ張る傾向が強いプルヒッターだ。

 武蔵がサインを送る。一瞬、佐々木が微かに反応したが、すぐに平静を取り戻す。

 マウンド上の佐々木が一塁の明石をチラリと目で牽制してから、クイックモーションで投じたその初球――ストレートがど真ん中に来た!

 失投だ! 瞬時に悟った有馬は迷いなくバットを振ってくる。真っ直ぐ突き進んでくる白球を有馬のバットが捉えようとした、その時……軌道が少しだけ変化した。有馬から逃げるように僅かだけ沈んだ。芯を外した打球はショートの正面に転がり、難なく捌いたショートはセカンドへ送球。セカンドベースを踏んだセカンドがそのまま一塁に転送し、こちらもアウト。注文通りの6-4-3のゲッツーに打ち取った。

(よしよし。狙った通りだ)

 有馬は積極性が売りのバッターで、しかも今日は2安打と当たっている。調子が良いと感じているから、この打席でもヒットを打とうと躍起になっている筈だ。その打ち気を逆手に取り、失投のように思わせてツーシームでゴロを打たせるように仕向けたのだ。

 これで2アウト。懸念材料だったランナーも居なくなった。

 だが、安心はしていられない。何故なら、次のバッターは……。

『4番、サード、秋山』

 秋山の名前がコールされると、三塁側のスタンドやレフトスタンドから大きな歓声が上がる。去年の本塁打王、2年連続30本塁打、今年もホームランダービーでトップを走っている生粋のスラッガーだ。

 今日の打撃成績は2打数1安打。四球、ライト前ヒット、レフトフライ、四球。ストレート系に強く、内外高低どのコースでも打てる穴がないバッターだ。選球眼も良く、際どいコースはカットで粘れる技術もあり、広角に打ち分ける巧みさも兼ね備える。そして何より、特定の球種に絞って打つ事もあれば来た球に反応して打つ事もある、キャッチャーからすれば厄介この上ないタイプだ。

 むっつりとした表情で右打席に入る秋山。武蔵は秋山の顔をチラッと見た後、サインを出した。外角真ん中の高さ、カーブ。佐々木も頷く。武蔵はやや外に構える。イメージとしては、外へ逃げていく軌道のカーブで秋山を誘う感じ。

 イメージ通りのボール。しかし、秋山は見送る。1ボール。

 次は外角低めへストレート。やや内に入り甘くなったが、これも秋山は見送る。1ストライク。

 次。またしても外角低めに今度はツーシーム。今度も秋山は見逃す。2ストライク。

(……ここまで全部見送っている)

 追い込んだ筈なのに、こちらが優位に立っている印象が無い。秋山は、何を待っているのか。ブンブン振って来ないからこそ、不気味だった。

 ここで武蔵は決め球のフォークを要求する。打者の手前でストンと消えるように落ちるフォークで、空振りを狙う。

 しかし――秋山はこれも見送る。2ボール。

 2ボール2ストライクとまだ打者不利なカウントだが、ここまで一度もバットを振っていない。1点ビハインド、是が非でも1点が欲しい場面。秋山は、何を狙っているのか。

 武蔵はここで一旦目を瞑り、静かに深呼吸する。思考を排除し、脳内をクリアにした上で導き出した結論は……。

 佐々木が投じた、5球目。内角へのチェンジアップ。ここで遂に――秋山のバットが動いた!

 初球以外は全て球速が速いボールで今度は一番遅いボールだったが、秋山はどうやらこれを待っていたようだ。緩急に惑わされず、タイミングはバッチリでバットを振り出してくる!

 ゆっくりと向かってくる白球に、秋山のバットが迎えるように軌道を合わせてくる。果たして、勝負の行方は――!!


 白球は、武蔵のミットにすっぽりと収まった。


 秋山渾身のスイングだったが、白球はその先端から僅か先をゆっくりと通過していった。

 空振り三振。これで3アウト、チェンジだ。

 武蔵は自分の直観を信じた。その結果、何とか抑えられた。


 人は武蔵のことを、こう呼ぶ。“勘ピューター・武蔵”と。

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勘ピューター・武蔵 佐倉伸哉 @fourrami

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