取捨選択

さかたいった

最悪の選択

 薄暗い部屋。

 少し、かび臭い。

 天井から吊り下げられたランプが控えめな光を放っている。

 木造の、山小屋のような印象の場所。

 目の前に横長のテーブルがある。削った木の板をそのまま使っているような粗雑なテーブルだが、それはそれで味わいがある。

 奥の暗がりから人影が近づいてきた。

 黒いフードを被った少年だ。白い肌。宝石のような青い瞳でじっとこちらを見据えている。

「これからきみに選んでもらう」

 少年はこちらに向かって言った。私は少年に「きみ」呼ばわりされる年齢ではないのだが、とにかく話を聞こう。

「いいかい? じっくり考えてはいけないよ。これからきみにある二つの物を提示する。きみはその二つのうち、自分にとって好ましいほうを瞬時に選択するんだ。直観的に。いいね?」

「良くない、と言ったら?」

「それでは話が進まない。読者がページから離脱してしまうよ」

「そうか。それは仕方ないな」

 フードを被った少年は後ろを向いて暗がりのほうへ歩いていった。

 数秒後、少年が戻ってくる。

 少年は両手に一つずつ物を持っていた。それを目の前のテーブルにそれぞれ少し距離を離して置いた。

 私から見て、右がリンゴ。左もリンゴ。ただし、左のリンゴは大方が黒ずみ、腐っている。

「さあ、選ぶんだ」

 私は当然、右のリンゴを選び、そちらに指を差した。

「そうか。わかった」

 瞬間、少年が何かを振り上げた。そしてそれを思い切り打ちつける。

 グシャ。

 私が選ばなかった腐ったリンゴが、少年が打ち下ろしたハンマーによって弾け飛んだ。果肉と果汁を撒き散らし、見るも無残な姿を晒している。

 少年は冷めた目つきでこちらをじっと見つめていた。

 少年の行為に私が狼狽していると、少年は私が選んだ右のリンゴを手に取り暗がりへ引っ込んでいった。潰された腐ったリンゴはそのままだ。つんとした酸っぱい臭いが漂ってくる。

 少年が戻ってきた。

「次はこれだ」

 二つの物をテーブルに置く。

 左が普通のオレンジ。右が青白くなって腐っているオレンジ。

「さあ」

 私は左のオレンジを選んだ。

 少年がハンマーで右の腐ったオレンジを破壊した。果汁が飛んで、テーブルの縁から滴る。

 少年はまたその冷たい目で私を見つめている。それから、私が選んだオレンジを手にして暗がりに下がった。

 一体これは何なのか? 私は何をさせられているのか? テーブルの上には腐ったリンゴと腐ったオレンジの残骸が散乱している。腐っているからといって、こうまでしなくてもいいだろうに。

 少年が戻ってきた。テーブルの右と左にそれぞれ物を置く。

 右はリンゴだ。そして左はオレンジ。見たところ、どちらも不都合のない代物だ。

「さあ、選ぶんだ」

 私は二つの果物を交互に観察した。先ほど少年は好ましいほうを選ぶように言ったが、なかなか難しい。リンゴのほうが少し大きくて、そちらを選んだほうが得をしそうな気もするが、オレンジが良い色をしていてそちらも捨てがたい。

 私が迷っていると、私の答えを待たずに少年がハンマーを振り被った。

 少年が左のオレンジを破壊した。それからすぐに右のリンゴも同じ運命を辿った。

 形あるものが形を失い、役に立たないものとなる。

 私は心臓が止まりそうなほどのショックを受けた。テーブルの上はもうリンゴとオレンジの残骸で酷い有様だ。

「いいかい? これは教訓だ。次選ぶ時は瞬時にどちらか選ぶんだよ」

 少年は暗がりに消えていった。




 朝。

 家のリビングでは五歳の娘の心春のはしゃぎ声が鳴り止まない。それもそのはずだ。心春はこの日をずっと楽しみにしていたのだから。

 朝食を摂り終えた信也は、ソファに座ってくつろいでいた。娘ほどではないが、信也もそれなりにウキウキしている。ネズミーランドへ行くのは久しぶりだ。仕事のあれこれを考えずにゆっくり過ごせるというだけでも嬉しい。

 ただ、一つ気にかかることがあった。今日の目覚めがあまりよくなかったのだ。妙な夢を見た気がする。よく思い出せないが。

「ねえ、パパ。パパ!」

「えっ? あ、なんだい?」

「今なんか変な顔してたー」

 心春にそう指摘されてしまった。

「はは、そうだったかな」

「心春ー。お父さんにあれ渡したのー?」

 キッチンで作業をしている妻の静香の声が響いてくる。

「あ、そうだ」

 心春は部屋の隅に駆け出し、テレビ台の引き出しを漁って何かを持ってきた。

「はいお父さん。これあげる」

 心春が差し出してきたのは折り紙で作ったカエルだった。指で押さえて放すとピョンと跳ねるやつだ。

「お父さんにくれるの?」

「うん。頑張って作ったんだ。これお守りなんだよ。大事にしてね」

「そうなんだ。ありがとう」

 どうしてカエルがお守りなのかはわからないが、信也は心春が作ったカエルを受け取った。

 静香のほうに目を向けると、彼女は楽しそうに微笑んでいた。



 久しぶりに楽しい休日だった。ネズミーランドでは心春はずっと騒ぎっぱなしだ。娘が喜ぶ姿を見るのはこちらも楽しい。静香もずっと楽しそうだった。

 いろんなアトラクションが体験できたし、心春はネズミのシンボルキャラクターのリッキーと一緒に写真を撮れてご満悦だ。アヒルのトランプダックとも写真を撮れた。

 心春ははしゃぎ疲れて帰りの電車では寝てしまうだろうと思ったが、興奮冷めやらぬ様子でずっと元気だ。

 三人で、家に向かって道を歩く。

 信也の少し前を、静香と心春が手を繋いで歩いている。本当は信也もその輪に加わりたかったが、お荷物番のため手が空いていない。だけど二人の楽しそうな後ろ姿を眺めながら歩くのも悪くない。

 日常の中の、ささやかな幸せの時間。

 道の横で、建設工事を行っていた。

 信也がふと見上げると、四階ぐらいの高さから鉄骨が滑り出ていた。鉄骨は止まらずに宙へ出て、重力に従って降ってくる。

 信也は叫んだ。

 静香と心春が同時に振り向く。

 二人の顔。大切な二人。

 鉄骨はその二人目がけて降ってくる。

 どっちだ? 自分は先にどちらを助ける?

 妻か? 娘か?

 二人が不思議そうにこちらを見ている。

 一瞬の迷いが、信也の足を遅らせた。

 重く鈍い衝撃音が鳴り響いた。




 バッ、と布を鋭く翻したような音。

 私は暗闇の中にいた。地面に膝と両手をつき、打ちひしがれている。

 前方から誰かが近づいてきた。

 顔を上げると、フードを被った少年が見えた。

 少年は私を見つめている。

 二つの果物を打ち潰した時と同じように。

「また、きみは選べなかった」

 そうだ。選ぶなんてできない。できるわけがない。

「そして大切なものを失った」

 そうだ。私はどちらも救えなかった。

「災難はまたいつ降りかかってくるかわからない」

 また、なんてない。私はもう何も手にしていない。

「備えておくといい。今回は娘さんに感謝するんだ」

「……娘?」

「これはもらっていくよ」

 少年が歩き去りながら右手をかざしていた。緑色の何かを持っている。

 ああ、それは……。




 ものすごい衝撃音の後、ガラララと金属が転がる音がした。

 鉄骨は静香と心春に衝突する直前で、横にある建物の縁にぶつかり、かろうじて方向が逸れた。

 静香と心春は無傷だった。誰一人怪我していない。

 家に着いた後、信也は財布に入れていたあるものが無くなっていることに気づいた。

 それは今朝心春からもらった折り紙のカエルだった。

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取捨選択 さかたいった @chocoblack

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