第42話 終の場所
レイは目を覚ました。
彼の向かいの席に座るQも、目をつぶって頭をこくりこくりと揺らしていた。列車の窓の外を高速で流れていく景色が見える。レイは、大きく深呼吸した。
彼らが向かっているのは、人里離れた場所にある小さな村だ。その村の名前に、レイは聞き覚えがあった。いや。忘れようにも、忘れられない名前だった。
グーズの村。彼は以前、そこに訪れたことがあった。事の発端は、郵便受けに投函されていた一通の手紙だった。
「師匠、これ見てください」
留置所から脱出した次の日。Qがポストに入っていた手紙に気づいた。彼らが街に来て仕事を探していたことを、レイは仲介業者に話していた。その話を聞きつけた何者かが、このアパートに訪れたようだった。エラルド邸に潜り込み、さらに海を渡っていた二人とその人物が会うことはなかったが。
手紙には、差出人の名は書かれておらず、文面も簡潔だった。
――グーズの村で待つ。依頼内容は現地で伝える。
たったそれだけ書かれた手紙だった。それを見て、Qは怪しんだ。「こんなの見えてる地雷と同じですよ、師匠」と彼女は言った。しかし、レイはあっさりと、次の行き先をグースの村に決めた。
「この街から早く、できるだけ遠くに離れたい」、そうレイは説明した。たしかに、瀬名からの追手のことは気がかりだったが、それを踏まえてもずいぶん安直な決定の仕方だった。
Qから特に追及を受けずに済んで、レイは内心ほっとしていた。
――グーズの村。久しぶりその文字列を目にして、レイの脳裏に、炎の海が広がっていった。彼がその村を訪れたのは、もう何年も前の話だ。レイは、村を焼き払い、住民を殺して回ったのだ。彼が抱える、暗い過去の記憶だった。
送られてきた手紙から読み取れる情報はほとんどなかったが、もし村の生き残りの者がレイに手紙を送ったのなら、送り主に会う必要があった。相手がレイの命を狙う者ならば、手にかける覚悟も出来ていた。
また、グーズの村について、何か知っている者からの手紙であれば、村の生き残りの者についての情報を得られるかもしれないという期待があった。どちらにせよ、その手紙を無視することは、到底出来なかった。
「え、マジで行くんですか」
嫌がるQを無理やり引きずって、二人は列車に乗った。行き先は、グーズの村にほど近い、エーテル駅だ。
五時間ほどの列車の旅を終えて、レイとQはエーテル駅に降り立った。走り去る列車を見送った後、二人は駅を出た。駅のまわりに、建物や人の気配は全くなかった。二人は野道を歩いた。現在午後二時。駅から最寄りのヘテル村にたどり着くのは、夕方頃だと思われた。
「ししょー、喉乾きました~」
二人は遠くに見える山々を横目に、野原に伸びる獣道に沿って進んだ。群生する木々の上には、鳥が巣を作って体をうずめていた。小さな川が流れていて、水面に太陽の光が反射し、揺らめいていた。そこにかかった橋を越え、山の中に入る。日光の届かない森林地帯を彷徨い、勘を頼りに森を抜けると、ようやくヘテル村を指し示す看板を見つけた。案内に従ってさらに歩く。遠くに、小さな集落が見えてきた。村の入り口の門に、ヘテル村と書かれていた。今晩はここに泊まり、明日の明朝、グーズの村に出発する予定だ。
その日の夜、二人は宿泊する村の宿を抜けて、近くのレストランに入った。夫婦が二人で営む、小さな店だった。ギンガムチェック柄のテーブルクロスがかかったテーブルに座り、レイとQはそれぞれナポリタンとハンバーグを頼んだ。
食事中、レイは無口だった。寡黙な彼の姿はQの目に珍しく、彼女も静かにハンバーグを食べた。
「Q」
レイの声に、Qはナイフを握る手を止めた。彼女はレイの言葉を待ったが、結局彼が続きを口にすることはなかった。食事を終え、二人は宿に入り、休息をとった。星のきれいな夜だった。
翌日。村の周囲に、霧が立ち込めていた。レイとQは宿を出て、北に向かって歩き出した。
エーテル駅からヘテル村までの道のりとは異なり、グーズの村までの道中は寂しかった。気温が下がり、動植物の種類と数が急に減った。木が生えている様子もなく、固い灰色の土に、色のない背の低い草がまばらに顔を出している程度が関の山だった。
太陽が空の真上に昇った頃、徐々に霧が晴れていき、二人の前に古びた木製の門を出現させた。そこがグーズの村の入り口だった。彼らは門をくぐった。
村の中には、だれもいなかった。ところどころに、黒ずんだ建物の跡が残るばかりで、人が暮らす気配は感じられなかった。二人はどんどん奥に進んでいった。やがて、村の中心の広場に出た。そびえ立つ折れた塔の足元に、背を向けて立つ人影があった。
その人物は、頭をフードですっぽり覆っていた。近づいてくる足音に気づいた彼が、ゆっくりと振り返った。フードの下から覗くその顔を目にした瞬間、レイの顔色が変わった。
「……ミクル?」
そこにいたのは、ミクルだった。間違いなく、彼女そのものだった。大きな瞳。小さくすっと伸びた鼻。愛らしい口元。整った顔の輪郭。ゲレイロから狙われていて――成り行きでレイの事務所に転がり込み――そして別人となって去っていったはずの――彼女だった。驚きのあまりその場で立ち尽くすレイを見て、ミクルは笑った。
「ミクル?誰だそいつは」
低い男の声がした。低く、しゃがれた声だった。彼女は――いや彼は、ミクルではない。では、こいつは一体、誰だ。
「ようやくお前に再会できた。今度こそ息の根を止めてやるぞ。あの時はびびって逃げちまったけどよお……まともに銃も撃てねえ殺し屋なんて、怖くねえんだよ」
その言葉を聞いて――レイは思い出した。ミクルがいたあの街で彼を襲ってきた、顔のただれた男のことを。それと思われる人物が今、目の前でミクルの顔を貼り付けている。
なぜ?
なぜお前が、合成皮膚を持っている?
ミクルの顔を知っている?
認めたくない。目の前の事実を。
「この村の生き残りか」
ミクル――の顔をしたその男が、にやりと笑った。レイは、懐からナイフを取り出した。それを見て、男は嘲笑の表情を浮かべた。
「なんだ、そのせこい獲物は。そんなもので敵の眼を誤魔化しながら、お前は殺し屋を続けてたのか」
そう言うと、男は吹き出した。ナイフを手に持つレイを見て笑った。
「ははははは!傑作だ。銃で人を殺しまくった挙句、銃を握れなくなっちまったんだろ。もしかしてそのナイフだって、ちゃんと人に使ったことはないんじゃないのか」
彼はレイを見下すように唇を歪めた。そしてナイフをかまえる彼に躊躇なく近づいていき、目の前まで躍り出た。
「ほら。出来るもんならやってみろ」
男は、レイが握っているナイフを自分の腹に突き立ててみせた。レイの手は震えていた。男の――ミクルの眼を睨みつけるので精いっぱいだった。「ほら見ろ」とミクルは笑った。彼は、怯えた表情を必死に取り繕おうとしているレイの赤い瞳をじっと見た。顔が険しく歪んで、額に汗が流れていた。男は満足げな笑みを浮かべると、腰に下げていた銃を手に取った。彼は、銃口をレイの額に押し付けた。
「これで終わりだ――」
男は笑った。
「――あ?」
笑った顔が、ぐにゃりと歪んだ。
手から銃が滑り落ち、地面に転がった。彼は、おそるおそる下を向いた。レイが握りしめたナイフが、男の体の奥へ、奥へと入りこんでいた。
男は顔を上げた。目の前にいる殺し屋の瞳が、赤く煌めいていた。
「仕事に武器は使わない。このナイフは、私用だ」
レイはナイフをねじ込んだ。男の唇の隙間から、真っ赤な液体が漏れ出した。彼は膝をつき、そのままゆっくりと倒れた。
レイは、倒れた男の顔の皮膚を剥がした。ミクルの中から、焼けただれた顔の男が現れた。
レイは男に背を向け、村の入り口の方へと歩き出した。そこでふと、Qの姿が見当たらないことに気がついた。
「師匠」
彼女の声がして、レイは振り返った。Qは、男の傍に転がっていた銃を拾い上げ、その銃口をレイにぴたりと合わせた。レイは、彼女が一体何のためにそんなことをしているのか、意味が全くわからなかった。
「……Q、何をしているんだい」
レイが彼女に近づこうとすると、Qは銃の撃鉄を上げた。
「私、すっきりしました」
彼女は微笑みを浮かべていた。意味不明なことを口走るQを見て、レイの心中に不安が蠢いた。
「ここでお別れです」
「何を言っているんだい、Q。とりあえず、その銃を下ろしてくれ」
かすかに震えた声で問いかけるレイに、Qは首を横に振った。
「師匠。私はQじゃありません。私の名前は、エル。ここ、グーズの村で生まれた、エルです。その意味が、わかりますか」
淡々としたQ――エルの告白に、レイの心臓がぎゅっと締め付けられた。
「私はあなたに、父を殺されました。そして母も――あなたに殺されたようなものです。父の命を奪った者の名前を求めて、母を残し、私は旅に出ました。各地を放浪し、情報を集めました。私の村を焼いた奴の名前を。私の父を殺した奴の名前を、延々探しました。旅に出てから何年か過ぎたころ、
レイは――何か言おうと口を開いてみたが、それは言葉にならず、腹話術の人形のように、ただ口を開閉させるに終わった。
「あなたを殺すために、あなたから技術を教わった。あなたを殺すために、あなたと共に行動した。あなたをこの手で殺すために、あなたの命を守った。馬鹿みたいですよね。というか馬鹿です。馬鹿そのもの。私、何してるんだろうって、そう思いました」
彼女は目を伏せた。「……殺せる機会なら、今までいくらでもあっただろ」。レイはそう声を絞り出した。
「ただ殺すだけじゃ意味ありません。あなたを正面から踏みつけて、痛めつけて、命乞いをさせて殺したかった。それで、私の復讐は完結すると思った。でも、そんなことが実現するまで、一体あと何年――何十年かかるのやら、見当もつかない。私はこれから先ずっと、あなたという存在に縛られて、人生を送らなければならない。それだと、あなたのために生きているのと同じだわ。そんなの、復讐って言えない」
エルを前にして、レイは――何も言えなかった。何と言い返そうか、考える気も起きなかった。ただ、目の前の現実に、彼女の告白に、自分のした行いに、打ちひしがれ、絶望することしかできなかった。
「だから、もう――あなたに執着するのはやめました。あなたを殺しても、父も、母も、戻ってこない。私は、自分の人生の大切な時間を、私が一番憎むべき人間のために、浪費することになる。それなら私は、自分のために生きていきます。父のために、母のために。精一杯、幸せになるために、生きていきます」
エルの表情はやわらかだった。彼女が抱いていた怒りや憎しみは、遥か昔の遺物のように、この村に埋葬されたようだった。
「師匠――いや、
エルは銃を握りしめた。
「この場所から、立ち去ってください。そして、列車に乗って、どこか遠くへ行ってください。もう、私たちが会うことがないように」
彼女は、落ち着いて語りかけた。レイは、そんな彼女を――決意を表明した彼女を、呆然と眺めていた。
もしかしたら――このままここでじっとしていれば、彼女は――Qは、銃を下ろすかもしれない、そう思って。
「Q――」
「違います。私は、エルです」
呪文のように繰り返される彼女の名前。それを聞いて、レイは反射的に胸を押さえた。そして、彼女が口にする名前に恐れおののき、一歩、二歩、三歩と後ずさった。銃は下ろされていない。彼は、エルに背を向けて歩き出した。少し歩いてから振り返った。銃は下ろされていない。また歩く。振り返る。銃は下ろされていない。歩く。振り向く。
彼女は、もうどこかへ歩き出していた。
レイの脚が凍りついた。彼女が見えなくなるまで、彼はそこから動けなかった。ただ、そこに立ち尽くしていた。霧がまた濃くなって、彼女の姿を覆い隠した。折れた塔の下に転がる男の死体だけが、抜け殻と化したレイのことを見守っていた。
Iの殺し屋 そうま @soma21
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