学年最下位の下克上 ~落ちこぼれ看護学生から指導者への道~

中村 天人

人を教え、人になる

「一回しか言わないから見て覚えなさい」


 私が看護学生の時代は、まだこのような悪しき風潮が残っていた。


 そんなこと言われても分からないものは分からないのだが、ちょっと質問しようものなら勉強が足りないと一蹴されて終わりだ。

 教員も看護師も、この紋所が目に入らぬかとばかりに勉強不足を指摘する。


 待ってくれ。

 看護学生の教科書のえげつない冊数を知っているのか。高校を出たばかりの十代の若者が、見たこともない専門用語とにらめっこしながら無理やり知識を叩きこむのだ。

 せめて二回は教えてくれ。


 それに加え、私は物覚えがすこぶる悪い。

 看護学校を卒業するときの成績は学年最下位。

 クラスで唯一実習を落とした二人の中には、もちろん私の名前が連なる。


 そんな私がいくら机に向かっても、勉強が足りたことは一度もなかった。


 なんて厳しい世界だ。

 白衣の天使はいなかった。


 ナースキャップに憧れた十代の少女は、理想から大きなギャップがある現実に、小動物のごとく震えた。


 あれは平成が折り返しに来た頃だろうか。「見て覚えなさい」と言う戦乱の時代が終わりを告げた。

 後輩が分からないなら教え方を改善するべし。

 優しい教育へと時代が変化した時、私もついに後輩や看護学生を指導する立場になった。


 先ほども言ったが、私は物覚えが悪い。

 何か一つができるようになるまで、人一倍時間がかかることがコンプレックス。

 自分に指導なんてできるだろうか……。

 不安を抱えつつも指導する中で、あることに気が付いた。


 戦乱時代の指導の根底には、看護師の直観が潜んでいたのだ、と。




 ベテランの看護師というのは、患者を見ただけで何が起きているのか理解し、即座に行動することができる。

 最初のころは、ベテランの手際が良すぎて、自分とのあまりの差に愕然としたほどだ。例えるなら、三輪車とジェット機。とても追いつけそうにない。


 この感覚は、他の職業にも共通するのではないだろうか。

 大型トラックの運転手なら、どうハンドルを切れば交差点を安全に曲がることができるのか。スーパーの店員なら、どの順番でバーコードを読み取って買い物かごに並べれば、商品が潰れず整頓された状態で会計が終わるのか。


 ベテランの技術を目にした初心者は、それがアートのように美しく映る。



 皆さんは、このように芸術的な技術を身に着けるまで、5つの段階に分かれているのをご存じだろうか。

 ドレイファス兄弟(H. L. Dreyfus, Suart E. Dreyfus)が、1970年代に行った研究結果を借りると、ある種のエキスパートになるまでの過程は以下のような段階に分けられる。


 ①初心者

 ②進歩した初心者

 ③上達者

 ④熟練者

 ⑤専門家


 ④熟練者以上は、意識的せずとも全体が理解ができ、直観が働いてすぐに正しい判断を下せるのだそうだ。

 そして、たいていは熟練者以上が後輩の指導に当たるわけだが、ここで問題が一つ浮上する。


 何かを習得した人は、直観が働いて無意識に判断できるので、判断までの細かい過程が分からなくなるのだ。

 指導者としての経験が浅い時、指導でつまづく理由の一つだ。


 しかし、落ちこぼれ歴の長い私は少々違う。

 他の人がすぐ分かる事も、詳細まで分解してから吸収してきた。その経験は今でも忘れておらず、おかげで細かく言語化することができるらしい。


 私の説明を聞いた後輩が「わかりやすい」と言ってくれた時、今までの苦労が実を結んだ。


 もちろん、もともと優秀な人は後輩指導もすぐにできるようになるだろう。

 しかし、元落ちこぼれには元落ちこぼれにしかできないことがあった。

 そう思った時、コンプレックスが自分の中でプラスに昇華した。


 そしてもう一つ、落ちこぼれの自分はある特徴を持っている。

 それは、後輩が今できないことがあったとしても、努力すれば必ずできるようになると信じていることだ。なぜなら、自分がそうだったから。

 だから、私は全ての人に胸を張ってこう言える。


「今の評価で未来を測ることはできない。あなたの可能性は無限に広がっているんだ」


 これが、教えることで教えられ、自分を好きになった落ちこぼれのエピソード。


 全ての人が、未来に希望を持てますように。

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