歪んだ真珠の美しさを支持する大天使と迷える仔羊
汐凪 霖 (しおなぎ ながめ)
ある晴れた日に、静かな酒席で
「そういえばさあ。緑って、嫉妬の色って言うじゃない?」
ふと呟くように告げられた言葉に、マルガリータは視線も上げずに答える。
「ああ……〝
ぐぐっと眉間にしわを寄せたカルミレッリが、不快も露わに言い返す。
「なに言ってんの、
「どっちでもいいわ。わたし、シェクスピアって、好きじゃないし」
「もー、結局、ヒトの話を聞かないんだから、マルガリータってば」
わざとらしい大きな溜息を
「聞いてたわよ。嫉妬の色でしょ。まあ、黄緑色なら、認めてもいいわ」
それで? と、続きを促されて、カルミレッリはグラスを持ち上げた。鮮やかな黄色いリモンチェッロは甘くて美味しい。自家製のそれを幼い頃から舐めていたと知ったら、レーシェンは憤慨するだろうなと彼は思った。酒場なのに水を飲めと言われたことが懐かしい。あのときは……。
「今度、ぼくたち、日本に行くでしょ」
「ああ〜いいわよ、もじもじしなくても知ってるわよ、まだ貴方がユイカに心を寄せてるのは」
「マルガリータ……」
「で、用意したお土産が緑色だとか、そういうこと?」
「違うよ。まだ用意してない。というか、向こうで購入するの。生花がいいと思って。ユイカに似合って、手に入りやすくて、豪華なのって、薔薇でしょ。ただ、避けたほうがいい色があるって聞いて。緑かなって思ったんだよ」
顔全体に面倒くさい、という感情が広がったのを見てとって、生来は内気な青年は、眉を下げる。
「薔薇の花言葉って、色も模様も形状も本数も細かいのよ。わたしだって、全部は覚えてないわ。でも、そうね。嫉妬を意味する薔薇の花の色って、黄色よ。緑じゃないわ」
「えっ、そうなの?」
「それとね、悪いこと言わないから、五本にしときなさい」
「え、五本じゃ豪華にならないよ」
「だめだめ。多くすればするほど、意味深だったり相反する意味を持ったり、面倒くさいんだから。それに、手土産でしょ? っていうか、普通はこっちが生花をもらう立場じゃない。ほかのものにしたら?」
しゅん、と萎れたカルミレッリの様子が少年だったころの面影を思い起こさせて、マルガリータの心に罪悪感が芽生える。
フェルティーレ・デッラ・
今回は、日本人のソプラノ歌手との共演で、バロック時代に書かれたオペラのレパートリーから選曲して組んだ構成での演奏会をする。
「でも、それこそ装飾品なんて意味深だろうし、ユイカはあんまり酒類を口にしないし、よく考えたら彼女の好むものって分からないし……」
ぶつぶつ呟く美青年が鬱陶しくなって、マルガリータは露骨に視線を外す。しかし、内向的な印象を人に与えるわりに打ち解けた相手には遠慮しないカルミレッリは、マルガリータの腕をぽんぽんと叩く。
「ねえっ、マルガリータなら、なにか思いつくでしょ。ユイカに何を贈ったら、いいと思う⁉︎」
「カラスミなんかいいんじゃないの。シチリアのマグロのカラスミは絶品だって言ってたじゃない。真空パックのものなら安心よ」
「あんなに綺麗で洗練されてて気品に満ちた素敵な女性に真空パックのカラスミ渡せって、どういう嫌がらせなのさ!」
もう立派な大人の筈のカルミレッリが、涙を目にいっぱい溜めて喚く。
「ちゃんと! 真面目に! 考えて‼︎」
「えええ、美味しいんでしょ〜? あの子、大食漢だけど美食家でもあるから、絶対、喜ぶのにぃ」
投げやりに言うと、相手はテーブルに顔を埋めた。
「ぼくの……ぼくへのユイカの印象も……考慮して」
流石に少々、
「直感で、何か思いつくものは?」
「それが薔薇なんだけど……」
顔を上げずに答えたくぐもった声を聞いて、ようやくマルガリータは思案を始める。
──恰好つけたい気持ちも解るけどね……。
「解決しましたか? カルミレッリ」
「そう見える? フェゼリーゴ」
「いいえ」
別のテーブルにいた夫がやってきてカルミレッリとそんな言葉を交わしたのを横目で見つつ、マルガリータは忍び笑いを漏らす彼を見上げた。
「わたしにはお手上げよ、リーゴ。貴方が相談に乗ってやって」
やれやれと言いたげなフェゼリーゴだったが、椅子を示すと
「何を悩んでるんです?」
「ユイカに渡す贈り物を、何にするか」
「ぼくは薔薇を向こうで買うべきだと思って色を相談したのに、マルガリータってば、カラスミにしろって言うんだ!」
切実な訴えに、フェゼリーゴが目を丸くする。そして、一瞬のちには苦笑を浮かべた。
「それはユイカの好みには合いそうですが、情緒には欠けますね」
「再会した感動が台無しになること、請け合いだよ‼︎」
ぎろりと睨まれて、マルガリータは視線を逸らす。
確かに送り相手の嗜好に合うのは自信があるが、それが絵になるかというと全くならないし、洒落っ気が無さすぎるのにウケ狙いにしてはガチすぎて、ツッコミようがないだろう。結架の素直な反応と相まって、多分、周囲はカルミレッリに憐憫を抱くに違いない。つまりは、恥ずかしい。
「そうですね……」
フェゼリーゴが、ちらりとマルガリータを見やる。
それから、彼女に優しい瞳を向けた。
「以前、マッシモ劇場で公演があったとき、レーシェンが気に入って購入していた塩入れがあるでしょう。薔薇の蕾の形をしていた、あれはセラミック製ではありませんでしたか」
「そんなの、あったかしら?」
「君も、お母さんにお土産で渡していたと思いましたが」
「え? ううん……あ、あー、あれね! シチリア島のカルタジローネ製! うんうん、思い出した。すっごい赤いのと、鮮やかなピンクのとあったわ」
「レーシェンに見せてもらって、お眼鏡に適ったら、取り寄せてはどうかね、カルミレッリ。彼女なら、購入した店舗を覚えていますよ。包装コレクターですから」
話を聞いていたカルミレッリの表情が、明るく晴れやかになっている。
「フェゼリーゴ……! ありがとう! 君の奥さんは
両手をがっしりと握り、イタリア語で熱烈な感謝の言葉を告げるカルミレッリの両眼は希望にきらきらと輝いていて、妻を侮辱されたフェゼリーゴだったが、微笑みを崩さなかった。フランス語で魔女はソルシエールなので意味は分かるまいと発言者は踏んだのだろうが、大天使は近い響きなので、どういう意図の発言なのかは明白だ。
「カルミレッリ。もし決定したら、粒が細かめの岩塩もセットになさいな。これもシチリア名産でしょ。
ぎぎぎぎぎ、と、音がするような動きで、カルミレッリが振り向く。
にっこりと、冷たく微笑みかけてやると、へらあっとごまかし笑いを浮かべた彼の表情から、彼女は直観した。
──こいつ、暴言が失言だと気づいたわね。あと五秒で逃げるわ。
「……ごめん! ありがとう助かった! ぼくレーシェンに訊いてくるよ!」
──読みどおりね、相変わらず。
「だいぶイタリア語も覚えたようだね、マルゴ」
「そうかしら?」
曖昧に、
※1 ギヨム……ウィリアムをフランス名にした語。イタリア名ではグリエルモ。ウィリアム・シェイクスピア。ただし、近年に発見された出生証明書に記載された本名は、ミケランジェロ・フローリオ。
※2 ガヌロン……フランス最古の叙事詩『ロランの歌』に登場する騎士で裏切り者。黄色い服を着ているとされる。
※3 ジュダ……キリストを裏切ったとされているユダのフランス名。黄色い衣で描かれることが美術界の常識だという。
歪んだ真珠の美しさを支持する大天使と迷える仔羊 汐凪 霖 (しおなぎ ながめ) @Akiko-Albinoni
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