「ラブホ代は持った?」と先輩は言った

Askew(あすきゅー)

「ラブホ代は持った?」と先輩は言った


「ラブホ代は持った?」

 先輩は僕たち三人にそう言った。


 僕は財布に四枚の諭吉が入っていることを確認して頷く。そして、まだまだ青い空の下、先輩を含めた四人は同じ車に乗り込み、今日の戦場、福岡・天神へ向かって高速を飛ばした。


 天神の路地の一角に会場はあった。百人規模の街コンであるため、ビルのワンフロアを貸し切って男女がひしめき合うらしい。僕たちは近くのコンビニで買った「ヘパリーゼ」を飲み干して喉の渇きを潤すと、会場へと続く階段に足を掛けた。


 会場の入り口に続く階段では、すでに男女が列をなしており、僕たちは列の最後尾にくっついて受付を待った。暇を持て余す列の途中。僕らは最近見たドラマの話、麻雀の話、フットサルの話、今日だけ呼び合うニックネームで盛り上がりながら時間をつぶす。


 外に面したビルの狭い階段からは、細い路地の間を行き来する人の頭と、土曜日夕方の気怠い街が見下ろせた。ときどき、生ぬるい風が頬をなで、僕たちの笑い声と共に天神の街を吹き抜けていく。――もう帰ってもいいな。僕はそんな不思議な満足感に浸りながら、暮れていく天神の街を眺めていた。


 〇


 受付をすまして会場に入ると、木目調のフロアのいたるところにハイテーブルが所狭しと並べられ、奥にはビュッフェ形式で用意された食事とバーカウンターが見えた。


 街コン開始の時間まではすることもなく、ひとまず自分のアルコールを確保しに行く。ラムコーク、スクリュードライバー、ジンライムなど代表的なカクテルとビールがメニューに並ぶ。僕はラムコークを頼んで、仲間内だけで乾杯した。安っぽいプラスチックのコップは軽くペコッを音を立てた。それが、おかしかった。


 今日の組分けはタバコ組とそれ以外。僕はタバコを吸わない二つ年上の同期と一緒に回ることになる。受け取ったペンで簡単な名札を作り、主催者が用意したプロフィールシートに簡潔に答える。好きな食べ物、スポーツ、趣味なんかをおおざっぱに書き終えると、僕は名札の裏にそそくさと隠した。


 会場を見回してみると、そこかしこに小さな男女の群れがあり、それが会場という一つの決められた範囲でゆらゆらと揺らめいている。まるで植物プランクトンの群体構造のようだった。会場という大きな範囲は固定されているものの、規模が大きいだけに各グループの所在がおぼつかない。そのふわふわとした感覚は喉から流れ込むアルコールに後押しされ、僕の足元をどこか浮つかせた。


 しばらくしてコンパ開始が近づくと、タバコ組の二人に健闘を誓って別れ、僕たちは指定されたテーブルへ向かう。はじめまして、ここが十四番テーブルですよね、みたいな、なんてことのない言葉を吐きながらソファに座る女子グループと、知らない男性グループに声を掛ける。なんとなくぎこちない空気も毎度のことだ。再び、ラムコークを飲む。シュワシュワとした炭酸が喉を賑やかして通り抜けていった。おいしい。


 主催者が開始の音頭を取る前に、僕は一人トイレへと向かった。用を済まし、鏡で自分の髪型と服装を一目確認する。手を拭いて、僕は右後ろのポケットに入っている財布に手を添えた。よし、ラブホ代は持っている。中身は見ないまま諭吉の感触を思い出す。


 そして、僕は不自然に重いトイレのドアを開けた。


 〇


 大規模な街コンは忙しい。


 十数分ごとに男子グループが隣のテーブルへ移動し、新しい女子に挨拶する。一緒のテーブルになった他の男子グループの話題の振り方やキャラの方向性などを確認しながら、同じような自己紹介を繰り返す。少ない時間で喋れることは限られている。同期とからかい合いながら女の子たちの話を出来るだけ聞く。そして、時間が来たらとりあえず連絡先を交換して、テーブルを移る。それをひたすら繰り返す。


 追加のお酒を取りに行く時、バーカウンターでたまたま一緒になったタバコ組と進捗を話し合った。


「こっちはあんまり盛り上がりません」

「五番のテーブルが良かった」

「可愛い子はいましたか」

「まだ話せてないけどフリーの時が勝負やね」


 そして、お酒を受け取ったら目線を合わせてお互いの持ち場にもどる。知らない女の子とテーブルを囲むより、そんな一瞬が僕は好きだ。なんとなく。


 強制回転寿司の時間が終わるとフリータイムが訪れる。僕たちはタバコ組と合流して、気になった女の子たちのグループへ話しかけに行く。


「このあと予定ありますか」

「良かったら飲みに行きませんか」

「天神、全然分からないんで教えてくれませんか」


 そんな常套句を用いて、二次会へとつなげる時間だ。よほどのことがない限り、誰かしらのグループと二次会に行くことになる。街コンで一番楽しいのはこのひとときである。


 同期が必死に女の子を誘っているのを見て、僕は笑うのである。

 僕が関西弁で知らないふりをするのを見て、同期は笑うのである。


 二次会に繋がるかどうかも大切だが、僕はそうして誰かを誘っている仲間を見るのが好きだ。お互いが「バカやっているなぁ」と思える瞬間であって、それを動画にしてあとで見返したい欲に駆られてしまう。


 街コンは団体戦だ。だから、自分の失敗も、他人の失敗も全部わかる。不器用な誘い文句を言う友人を見てほくそ笑み、断られてどこか悲しそうな表情をみて酒が進む。その後、まぁ、見とけ、と生意気に友人に言い放ち、別のグループに意気揚々と声を掛けては撃沈する僕をみて酒が進む。


 こんなところで何しているんだろう、と思う。

 なんでこの友達はフられているんだろう、と思う。

 どうしてアルコールはおいしいんだろう、と思う。

 どこからこんなに集まったんだろう、と思う。

 意味の分からない言葉が飛びかっている、と思う。

 何か決定的に間違っているんじゃないか、と思う。


 それらすべてが、楽しい。

 それらすべてが、可笑しい。


 体細胞が破れて組織が流れ出すプランクトンのような、混沌としたこの空間が好きだ。


 そして、僕は思い出した。

 お尻のポケットで潜む四枚の諭吉先生のことを。


 僕は友人を肘でつつき、目くばせしたあと、改めて女の子に声を掛けた。


 〇


 数時間後、僕は息をのんで豊かな脂肪を湛えたそれを眺めていた。

 日常とは異なる空間、普段なら決して入らないような場所に僕はいる。


 なまめかしいその姿に言葉も出ず、ただこれからのことを考える。

 そして、同時にここに至った過去のことも考えている。


 まだ日も高い土曜日の午後。

 家を出る前にいれた四枚の諭吉。


 そのおかげで僕はここにいる。

 あとさきも何も考えなかった結果を享受している。


 僕は今まで触れたことのないそれに恐る恐る手を伸ばした。






「さすが、特選。脂のノリが違う」


 僕たち四人は中洲の高級すき焼き店「ちんや」で鍋を囲む。ビールを飲む。今日の街コンは楽しかったと言いながら、特上の肉を食べる。僕たちは幸せだった。


 そして、先輩は言った。

「ラブホ代、たいせつ」

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