その先に見えるもの、かたわらに見えるもの

眞壁 暁大

第1話

子どもの頃に読んだものに、SFの短編小説…ショートショートだったかがあった。

世界記録に挑戦するランナーが、ベルトコンベアの上でただひたすら走った後に…という話だ。

オチもなかなか面白かったのだが、それ以上に気になったのが走っているそのランナーが見ていた光景だ。

彼はいったい何を見ていたのだろうか。

思い出そうとしても、必死に自分の足取りを確認しながらがむしゃらに走り続けていたようにしか覚えていない。


彼と同じようにベルトコンベア、ルームランナーの上で走りながら私は考えている。

彼と違って、記録に挑戦するために走っているのではない。

ただ走るために走っている。

そうしなければ体重が増え、増えた分だけ食料の支給が減るから走っている。

彼とは違った意味で、生きるために走っていると言えなくもない。


外は危ない。

だいぶ昔から危ない危ないと言われていたけれども、今はさらに危ないらしい。

らしい。というのは自分自身が外に出て確かめることができないからだ。

全ては限られた空間の中、情報端末越しに得られた動画や映像、文字情報によって得た知識にすぎない。


外には同じくむかし読んだ、猛毒の胞子が蔓延する終末世界のマンガのような光景が広がっている、ことになっている。

が、見た目だけではちっともわからない。

猛毒の胞子はマンガの中の世界そのものを包み込んでしまったが、このリアルな世界を包み込んでいるのは、おおむね人間だけを選好して害することに特化したかのような挙動を示すウィルス。

なので、外の情報を伝える定点カメラからの画像にもインパクトは薄い。

人がいない都市はそれだけで不気味な廃墟感こそあれ、人がいないだけで、動き回るモノはいるから、完全に静止した世界には程遠い。建物の外観も保たれているから不気味さもあまり感じられない。


動き回るものはいずれもロボットだった。


政府は大急ぎで物流の全自動化を整えて、全国民に外出禁止令を出した。

その上で配給を開始したのだが、なにぶん食糧生産にも余裕がない。

人間はいくらでもいるが、外が腐海のような有様では人間が食糧生産に従事できない。

食糧生産もまた、全自動化に踏み切ることで国難を乗り切ったのだが、立ち上げしばらくの間は農耕戦士と呼ばれる志願者たちに依存する綱渡りが続いたと歴史は伝えている。

けっきょくそうして国民すべてを部屋に閉じ込めつつ、ウィルスの流行終息を待つことにして幾星霜。

ワクチンもすさまじいスピードで開発が進められているが、それを上回る勢いでウィルスが変異していったおかげでまだ人間たちはかつての平常に戻れずにいる。


私は…私たちの世代は、そうした「かつての平常」を知らない最初の世代だ。


かつての平常の世界は、子供の頃に映像でさんざん見せられた。

今はロボットだけが行きかう都市に、人間が群れていた。

驚くべきはその人間たちのバリエーション。

太いのから細いのまで、高いのから低いのまで、あらゆる組み合わせの人間がいた。

太くて高いの、太くて低いの、細くて低いの、etc,etc...

人間には個体差があるというのはない面だけを指すのではないと知った時はショックだった。

私たちにはそうしたバリエーションがないからだ。

リアルでは数回であっただけの級友たちはいずれも判で押したように似たような体型だった。自分も級友たちと差異を見つけるのがむずかしい体型だった。


私たちがそういう「かたち」になっているのは資源の有効利用に最適化した結果だ。食糧生産と物流の自動化にすべての努力を注いだ結果、衣と住についてはかぎられたリソースしか回されなかった。

衣料生産の自動化は、極端に限られたサイズの衣服しか提供できないし

住宅生産の自動化は、極端に限られた種類の住宅設計の提供しかできなかった。


自動化の黎明期には人手を介さないことで多様な製品を生み出せると喧伝されたこともあったそうだが、それはそうした自動機械を最終的には操作するヒトがいればこその話。

全てをロボットに任せるとなると途端に複雑になるため、全自動化にあたって工程を削減することは絶対に必要。

その結果が選択肢がほとんど存在しない衣と住であり。そして私が今こうして走っているという現実であった。


走るのはそのかぎられた選択の余地のない衣服を着られる体型を維持するためだ。

少しでもその基準枠から外れてしまえば、配給の枠から外されてしまうか、とてつもないペナルティを支払って自弁しなければならない。


自弁にかかる費用はとても庶民には支払えるものではない。

といっても、全国民に外出の禁止が強制されている現在、就労は著しく困難である。庶民といっても労働している庶民はほぼゼロに等しい。

配給で命を長らえているものが国民の圧倒的多数。

自弁できるものがいたとしてもそれは資産を蓄えていた人間が取り崩しながら生きながらえているのが現状だった。

自身の財産を築く道がほとんど存在しない状況では、配給の打ち切りはすなわち死を意味することに他ならないが、これが不正義であるとは私も、私たちも考えていない。

使えるリソースはかぎられているのだから、どこかで線引きをしなければならない。

労働に従事できない私たちにとって、体型を維持するために走ることが労働のようなものだと認識していた。

走って体型を維持して配給食糧を獲得できるのだから、働いて食うためのゼニを稼ぐのと似ているし、あながち間違いとも言えないと思う。


とりとめもなくそんなことを考えていたら、ベルトコンベアに備え付けらえたブザーが鳴り、足元の負荷がふいに消えて私はたたらを踏んだ。

今日のカロリー消費が完了したらしい。

ベルトコンベア…ルームランナーのサイドバーを握って何とか倒れるのを回避した私は、小さく安堵のため息を漏らす。


足元に落としていた視線を上げて、目の前の壁を見つめた。

走っていて見えるのはこのくすんだ色調の白みがかった壁か、自分の足だけ。

私たち少し上の世代までは電力供給にも余裕があり、壁に下層の風景を投影するプロジェクターか、ヘッドセットを被って外を走っているような仮想現実を得られたというが、今ではそれもない。


かつての平常を知る人間たちの中には、じわじわと先細り、生活の質が低下していくのに耐えきれずに自死したものも少なくないという。

しかし、私にとっては緩やかに落ちているとはいえ、これこそが平常だった。

少しずつ少しずつ、不便の幅が広がっていっているが、それは適応不能と言うほどの大きな変化ではない。

生きているだけでマシだと思う。


それでも。

とも不意に妄想が浮かぶ。

かつての平常にあったような、いろんな体型の、いろんな形の人間たちが一斉に走り出す、あのマラソンのようなことができたのなら、どんな気分だろうか?

視線を目の前の壁から、横の壁に移して私は漏れそうになったため息を抑え込んだ。


政府は最近になって感情の監視もはじめている。

喜怒哀楽の感情の逸脱の大きな人間への対処にかかるリソースが削られることになったためだ。

これもまた、小さな変化だ。適応不能ではないはずだった。


私は漏らしかけたため息をそっと、腹の底に押し込んだ。

いつも満たされることのないうっすらとした空腹感とともに、これも呑み込める不便の一つ、と言い聞かせて。










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その先に見えるもの、かたわらに見えるもの 眞壁 暁大 @afumai

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