知らない星

木染維月

知らない星




 「猿の惑星」という映画がある。


 あまりにも有名な作品だからネタバレを許して欲しいのだけれど、二人の宇宙飛行士が、宇宙船が故障してとある星に不時着する。そこは猿が支配する惑星で、主人公たちは猿に捕らえられてしまうものの、地球への帰り方を模索する──しかし映画のラストで主人公は、海に沈んだ「自由の女神」像を発見してしまう、という内容だ。


 要は主人公たちは最初から地球に着陸していた、というオチなのだが、私はこのラストが結構好きだ。古いミステリみたいな単純明快さと衝撃があるし、それに何より人間に対して皮肉が効いていて気持ち良い。何せ今まで檻の中に入れて見世物にしていた生き物に、今度は自分たちが支配されるのだ。よくある動物園は善か悪か、みたいな議論じゃないけれど、やっぱり人間はたまに自分たちも動物であることを思い出してもいいと思う。


 ──というのが、初見の時の感想。


 この歳になって改めて映画を見返したら、当時とは全く別の感想を抱いた自分に驚いた。もっともこの映画をこんなふうに見た人間は私くらいのものかもしれない。それくらい、我ながらおかしな感想だった。


 私は、猿の方に感情移入していたのだ。


 最近流行りの異世界転生モノみたいな。弱い立場だった者が、環境が変わって無双する、みたな。そんな安っぽい逆転小説みたいな見方で、気付けば私はその映画を眺めていた。


 まったく馬鹿らしい発想だと思う。これじゃまるで私が人間に復讐したい奴みたいじゃないか。幾ら私だって流石にそんなこと思っちゃいない。


 世界が滅びないかなぁ、くらいは思うことあるけど、そんなのこの年頃ならみんなそうでしょう?


 誰だって明日の朝、学校に隕石が落ちてほしいと思ってるでしょう?







「『猿の惑星』ねぇ」


 私の隣に座る彼は、ため息をつきながら言った。


「僕ァその映画ちゃんと見たことないけど、まぁ間違いなく自分のこと猿だと思って観てんのなんかお前くらいのもんだね」


「そうだろうけど言い方……それじゃ私が猿化願望があるみたいじゃない」


「妙な造語をするな。何だ、猿化願望って」


 微妙な顔を向けてくる彼。

 私と彼は数年来の友人だ。そこそこ頻繁に連絡を取ったりご飯を食べたりする仲で、今日も夕食を共にしている。互いに横着な性格をしているせいで、ファストフード店で夕食という何とも不健康な事態になっているが──私は彼と居る時のこの適当さが、案外好きだったりするのだ。


 男女の友情は成り立つのか? という、議論され尽くした問題は、私たちには無縁だった。


 なぜなら彼はゲイで、私は恋愛セミリタイア済みだったから。


 つまるところ、ちょうどよかったのだ。彼は異性愛者のフリをするのに疲れていたし、私は恋せよ愛せよの風潮にうんざりしていた。リタイアというか、試しに恋愛らしきことをしてみたこともあったが、どうにも性に合わなかったのだ。友愛と恋愛の違いくらいは分かるけれど、それが性に結びつくこととか、異性にしか向かないこととか、そういうのがよく分からなかった。もしかしたら両性愛者とかそんな名前が付くのかもしれないが、そうやって無理やり型に嵌めて定義するのも面倒なので、セミリタイアということにしていた。


 彼の恋愛話は面白かった。彼らには独特の文化や、異性愛者とは少し違う恋愛観があったりして、彼の話はいつも刺激的だ。彼の周りだけがそういう文化なのか、はたまた男の同性愛者が全体的にそうなのかは分からないが、彼との付き合いにおいてそれは大した問題ではなかった。彼氏とは最近別れたらしいが、別れる直前は結構な修羅場だったようだ。話題に事欠かない彼の恋愛事情を、しかし知っているのは彼のごく親しい友人だけらしい。彼が私に話をしてくれることが嬉しかった。


 閑話休題。


 ハンバーガーはとっくに冷めていて、烏龍茶が入った紙コップの元には水たまりができている。店内放送は古い邦楽を流していた。私は「猿の惑星」のことに意識を戻す。


「どんな気分だったんだろうね。猿が喋る惑星に不時着だなんて」


「さぁな。吃驚したんだろ、普通に」


「そりゃそうだろうけど」


 話の広がらなさにむくれてみせると、彼は少し困ったように笑った。


 ──そして、窓ガラスの向こうに見える夜景に目を細めて、小さな声で言った。


「知らない星に来た気分なら、俺たちが一番よく知ってるんじゃないの」


 つられて、私も窓の外を見た。


 目の前の歩道をたくさんの人が歩いていた。見慣れた景色だ。この一人一人に生活があって、人生があって、価値観がある──なんて、月並みでありがちなことを、言ってみる。

 例えば行きつけの喫茶店。例えばいつも話すクラスメイト。馴染んだ場所に見えて、仲良くやってるように見えて、彼らが真裸の価値観をぶつけてきたならば私たちは排斥されるしかないのだということ。街を歩いてすれ違う人間と対等ではいられないこと。別にどっちが上とか下とかそんな話じゃないけれど、ズレているのは私たちの方で、私たちは少数派だということ。


 異星人は私たちの方だということ。


 別に恋愛に限った話じゃない。それが一番分かりやすく名前のつく「少数派」だったってだけで、私も彼も、いつだってそうだった。見た目は自分と同じ人間と、分かり合えると、分かってもらえると信じて疑わないまま、話して、共有しようとして、怪訝な顔をされて、排斥されて、一つずつ自分が異星人であることを知っていった。


「……そう、かもね」


 私は、細く息を吐きながら答えた。


 隣の友と分かり合えるのは、「分かり合えない」ということだけだった。私も彼も異星人だったけれど、それぞれ別の星から来たってだけであって。決して同じ星の出身なんかじゃないのだ。


 彼ならきっと、私の星を知っているはずだと、何度勝手に期待して、勝手に裏切られたことだろう。

 きっと彼も同じはずだ。


「あぁ、だからお前、猿の方に感情移入したの。なんだってまぁ、そんな……馬鹿じゃねぇの」


「猿か馬か鹿、どれか一つにしてくれる? ……っていうか、そこまで言わなくても」


「別にさぁ、僕らはその例えで言うところの人間に、支配されてるわけでも虐げられてるわけでもないんだよ。まして多数派になったところで、何ができるって? 猿が支配した惑星で、文明は衰退したんだよ。だいたい僕らみたいなのばっかりになったら世の中めちゃくちゃだ」


「そうかもしれないけど! ……別に、支配してやろうとか、そんなつもりじゃなくて」


 そんなつもりじゃなくて──ただ、こんな気持ちを味わいたくないだけ。知らない土地でたった一人取り残されたような気持ちを、ただ生きているだけで味わうのはもう御免だってだけだ。


「……お前の言いたいことは分かるよ。猿っていうか、お前は……僕らは、異星人でいるのが苦しいだけなんだよな。別に上に立ちたいとかそんなんじゃない。そういうことだろ?」


「そう、そうなんだよ。それだけなの。別に私たちが異星人でも、誰も寄って集って虐めたりはしてこないのは分かってる。それでも、否定されるのが嫌で、この星の人間のふりをするのは──もう、嫌」


「諦めるこったな。否定されても開き直れるくらい強くなるか、さもなくばこうしてこの星の生き物に擬態するしかない」


「分かってる。分かってるよ」


 店内を流れる古いナンバーは、いつしか尾崎の曲に変わっていた。彼もきっと異星人だった──私は勝手にそう思っていた。とりわけ変な星から来て、ずっと藻掻いていた異星人。


『人波の中を掻き分け 壁伝いに歩けば 隅から隅這いつくばり 強く生きなきゃと思うんだ』


 人間は一人で立つしかないのだということ、私たちはよく知っている。


 歩くのを手伝ってくれる人間はいても、立つのを支えてくれる人間はいないのだ。


 不意に自分が異星人であることを思い出して、この世に誰も理解者のないような孤独を心に飼ってしまって──街中で座り込んで、道行く人が誰も助けてくれなくても。或いは、助けてくれようとした人がいたとしても、その手の掴み方を知らないかもしれない。


 それでも、この足で、この星に、立って歩いて行かなくてはならない。


「……僕ァこの星のことがいつまで経っても分からないよ。ここがどこなのかも分からないし、帰る場所があるのかも分からない」


「帰る場所はないよ。私たち、自由の女神像を見つけちゃってるんだもん」


 街行く人たちの価値観が急に全部見えた気になっちゃって、勝手にこの街で独りになる感覚を。


 誰からも排斥された気になっちゃって、静かに蹲った自分自身の体温を。


 そういうものだけを、頼りにして。




 ここは知らない星。

 猿は人間を支配しないし自由の女神像は落ちてないし隕石も降ってこないこの星で、私たちは今日も生きている。

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