【KAC20212】肥後に走る

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

走る

走る

揺れの治まりに合わせて跳躍し

上に下にと駆け回る

成すべきことが分かるでもなく

我武者羅に

闇雲に

怯える瞳と好奇の眼を外へ誘い

遠くに揺らぐ電柱を眺め

現実から逃げるように走る

投げかけたダイジョウブは私に跳ね返すためのものだった


走る

まるで昼寝の後のように呆けた頭で

静まり返った夜の道を

成すべきことがあるわけでもなく

漫然と

漠然と

感じることのできない疲れを蓄え

時に現れる瓦礫を諦観で眺め

現実を求めるように走る

不意に訪れた大きな揺れに慌てて車を脇に停めた


走る

翌日になって片付けた社内を思い

明日には日常に戻るという安心で

何事もなく歩き出そうと呟きながら

粛々と

恍惚と

のしかかってきた何かに笑い

思いのほかに並んだ車列を眺め

現実へと戻るように走る

三本の缶チューハイが早く帰ろうとかしていた



荒れ狂った大地の叫びは

漆黒に私を叩き込み

安堵という驕りをせせら笑うように

私を一個の野生に戻した

走る

私は生を求めた

走る

逃げ場など分からない

走る

逃げ道など分からない

走る

どうやら橋が落ちたらしい

走る

どうやら山も崩れたらしい

走る

迂回路にも瓦礫の山

走る

北へ北へ

走る

夜明けはまだか

走る

意識は冴えわたっている


気付けば私は船の上

遠のく火の国を真直ぐ見ることができなかった


走る

裏切り者の誹りを覚悟して

買い求めた物資を後ろに乗せて

港で頂いたパンを片手に

決然と

堂々と

通い慣れた道の変化を確かめながら

またいつ来るかも分からぬ揺れに怯えつつ

熊本へと戻るべく走る

あの日私は初めて熊本の人間になった


走る

動き始めた日常の中で

限られたできることを一つ一つ重ね

まわりの笑顔に元気をもらいながら


走る

まだ薄暗い免許センターを出て益城に向かう

でっこんぼっこん言いながら

文句も言わずに軽は行く

同じ目線になった屋根を眺め

剥き出しとなった生活を見据え

崩れた神社に向かって祈り

自分もまだ傍観者に過ぎなかったのだと頭を垂れる


走る

崩れた橋と閉ざされた道をかわし

山間を舐めるように進み

梅雨明けの阿蘇に至る

青臭い仮住まいと

あちこちに空いた穴と

巨人によって抉られた山肌を眺め

私は地の風を感じるべく宿を取った

夜の帳は湯の音のみをそこに残した


走る

動き出した歯車は

あちらこちらに槌音を響かせ

失われたものを取り戻すべく

昼も夜もなく走り続ける


走る

断たれた路線を繋ぐべく

いつか繋がることを信じて

代行バスは山を行く

あの時の高校生は学生となり

別の道へと走っていった


走る

断たれた道を毎日見据え

引き返す車を毎日見詰め

座して待つようなことをせず

人々に勇気を振りまきながら

いつか見た賑わいを取り戻すべく

立野のアイドルはひた走る


走る

豊肥の鉄路を列車が走る

晩夏の陽光を燦々と浴びて列車が走る

急こう配を駆けあがる

時に息つき見返り駆ける

九州横断の四文字が真名となって浮き上がる

祝福しづらい時世の中で

真紅の車体が阿蘇を行く


走る

立野の道が阿蘇に繋がる

仲秋の風を切ってひた走る

待ち望んだ希望は列を成し

手を振る人々の声を背に

私は阿蘇の地を駆け下る

あの日の後悔を振り払うように

これからも寄り添うことを宣言するように


走る

仲春の薫りに迎えられ

新たな橋が阿蘇に架かる

渓谷の眺望に何かが溢れ

南阿蘇が庭になる

穏やかに流れる車窓に手を振り

崩落した橋の欠片が私を見ているのに気付いた


走る

南阿蘇をトロッコが走る

まだ見えぬ立野の地を遠くに見据え

南阿蘇をトロッコが走る

残された走れぬ道を遠くに見据え


走る

あの日逃げ出した足は変わり

まだ見ぬ景色を求めて走る

まだ見ぬ人情を求めて走る

まだ見ぬ未来を求めて走る

二つの揺れが齎した暗闇の種は

いつの間にやら美しい花を咲かせ

いつの間にやら逞しい実を結ぶ

その可憐さに惹かれてひた走る

その勇壮さに惹かれてひた走る

私もその輝きに混ざれるように

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【KAC20212】肥後に走る 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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