第2話 使命と奇策 

岩黒・国守くにもり養成訓練所。


49回目の地球の言葉で表せば “国守”とは“軍人”を指す。

ちなみに“武団”とは“軍”を意味する言葉。


“国守武団養成訓練所”とは、その名のとおり“軍人を育てる教育機関”のことである。


(※“岩黒”とは建物が建っている地名のこと。)


向海こうかい(豊葦津では、こうの国と関わることを向海と呼ぶ。)時代は、徴守ちょうしゅ制度があり、性別関係なく18歳になれば国守の訓練を受けなくてはいけなかったが、向海時代(二回目の閉和宣言)になると徴守制度も廃止され、志願制に移行する。


志願制になると国守になる民が減り、ましてや、女子ともなるとその数は激減。

全国にあった訓練所も縮小され、それに合わせて予算も削られ、やがて、“武団不要論”の考えが国中にくすぶり出し、閉和が常態化してくると、豊葦津の民の心にも変化が生じはじめた。


閉和宣言後、脅威がなくなるに連れ、“西側諸国”という危機感も段々と薄れて行き、国守という意識が過去の遺物になりかけていた。


その矢先、の襲撃に合う。


今一度、徴守制度を復活させようとしたのだが、民たちや大議士だいぎしの中から反発が相次ぎ、頓挫してしまう。


緊急事態の最中でありながら豊葦津は“閉和ボケ”という暖かい毛布から出ることを拒み、眠りほうけていた。


今の国守女子武団の任務は主に後方支援に徹したもので最前線に立つことはないが、それでも女子を国守人させる親などほとんどいない。


国守になる民の理由は3通りしかない。

① 親の後を継いで入団するか。

② 志高く、国守人になるか。

③ 




国守武団養成訓練所。学庭。


熱い日差しが否応なく体に降り注ぎ、暑さが最高潮になる昼時。


二人の女子が陽炎揺れる中、走っている。


先頭を走る女子は小柄だが、俊敏さがあり、持ち前の体力を活かし、荒野を駆ける馬の如く、グングンと速度を上げ走る。日に焼けた健康的な肌と短い髪に流れる汗。体の中で流れ聴こえて来るのは、小気味よく整った呼吸音と脈打つ鼓動。そして、力強く響く大地の音。見上げれば、どこまでも果てしなく続く紺碧のあま

風の表情を全身で受け止める。


「まだまだ走れる」


そう感じると一気に体が高揚し、停まるのがもったいない。


自然と走る速度が増す。


その後ろ、というより先頭を走る女子に、もう少しで追い抜かれそうほど後方を走る女子はメガネはずり落ち、三つ編みがユラユラと揺れ、フラフラと歩きながら走り、最高潮の日差しに今にでも圧し潰されそうで、息も絶え絶え。


それを見かねたヒゲの教官が


「コラーっ!宗像むなかた!何やっとるかー!真面目に走れー!」


遠くなる意識の中、宗像は教官を睨み、すべての力を振り絞り答える。


「なんで…わたしが、はしら…ないと…いけないんですか…。」


その声を熱い日差しが遮り、教官までかすれれて届かない。


「ん?なんだー?何か言ったかー?」


「なんで…わたしが…」


鉄板のように熱く焼けた地面に座り込む。

灼熱地獄のような地面でも休めるのなら、そこは極楽。喜んで座る。


ヒゲの教官が駆け寄り、助けを求める宗像を助けるはずもなく、耳元でを入れるように怒鳴る。


「貴様ー!それでも国守人くにもりびとかー!」

 

宗像は再びヒゲの教官を睨み

「私は医士いしになりたくて来たんです!こんな訓練いりません!」


そう言いながら、宗像は四つん這いになり、木陰へと退避する。


それを聞いたヒゲの教官が真っ赤な顔に青筋を立て

「バカモーンっ!これから最前線に行くんだぞ!ー!」


背後から投げかけられた教官の言葉に宗像の頭にも血が上り、スクっと立ち、つかつかっと教官の前に詰め寄り

「私は医士として行くんです!関係ありません!」


教官の胸ほどしかない身長をおもろともせず、顔を見上げ、ギッと言い返す。


ヒゲの教官の顔がますます赤くなり、頭から湯気が出し

「何を甘えたこと言っとるんだー!この訓練を何と心得る!思金 統合参謀長官殿の直々の使命であるぞー!」


「じゃあ、何で気多けたさんは走らないんですか!」

宗像は気多のいる場所を指し、不平不満を教官にぶちまけた。


もうこうなると売り言葉に買い言葉。

宗像は誰彼構わず巻き込んでても、自分の言っていることを正当化しなければ、この不条理な仕打ちが永遠と続く。もう走れない。走りたくはなかった。


宗像の指した学庭の端の木の下で気多は読書をしていた。


彼女は見るからに線が細く、華奢。白い肌に瓜実顔がよく似合う。

木陰を通る涼しい風たちが、読書の邪魔をしないように、彼女を優しく包み込み流れて行く。


キレイに伸びた長い髪が静かに揺れた。


「気多は陰陽士おんみょうしだからいいんだ。」


「あーっ!それは差別ではないですかー!」


気多を指していた指で、今度はヒゲの教官を指し、抗議する。


「教官に対して、何たる無礼!宗像!追走だ!」


「誤魔化さないで下さい!今のは、れっきとした差べ…。」

そう言ってところで、宗像の胃の中に入っていたものが、正論を吐く口から吐かれ、教官にぶちまく。


寸でのところでヒゲの教官がける。


「宗像ーっ!喋りながら吐くなーっ!」


その前を荒野を駆ける馬の如く、颯爽と走り抜ける先頭の女子。今度はその女子に対し、ヒゲの教官が怒鳴り出す。


「おい!住吉!いつまで走っとるんじゃ!停まれ!」


「宗像の分、走りまーす!」


二人の前に言葉だけを残し、あっという間に走り去る。


「そんなこと誰が言ったー!認めんぞー!住吉ー!停まれー!」


ヒゲの教官の怒りは学庭に響き渡る。


「…感謝です。住吉さん。」

宗像は消える灯のような声で答え、またフラフラとその場に座り込む。


「感謝するなー!宗像ー!立てー!走れー!」


「グわっ…。」


今度は正論を吐くことなく、ただ吐き、もう一度、教官にぶちまる。またも寸でのところでヒゲの教官が避ける。


「宗像ーっ!黙って吐くなーっ!」


住吉は停まれと言われても走り、宗像は立てと言われても立たず、涼やかな風が気多の周りで楽しく遊ぶ。




その光景を訓練長の部屋から眺める女性がいた。


整った顔立ちにゾクッとするほど涼し気な瞳。とても静かで無色透明。

葉から零れる朝露のようにスッと通った鼻筋と石楠花シャクナゲのように赤い唇。 


ため息が出るほど美しい。


彼女の名前は 思金 阿礼あれい 統合参謀長官。

言わずと知れた思金 鏡之心の末裔である。


鏡之心の直系の血筋で

現 側従長・思金 鏡田朗きょうたろうの実弟・鏡善きょうぜんの一人娘。


28歳という若さでありながら武団の中で頭角を現し、異例の速さで昇格。今の役職に就く


彼女には二人の兄がいる。

長男は鏡田朗の部下として天津御子に使え、次男は大議士となり、豊葦津の中枢で政を取り仕切っている。


彼女は父の跡を継ぎ、国守人になった。


説明したように進んで国守人になる女子は少ない。

彼女の時代も例外ではなかった。

しかし、思金は女子訓練生の中だけではなく、訓練生全体だけでもなく、

一・二を争うほどの優秀さで、まさに一頭地を抜く才女であった。


「思金の名前で出世ができた。」と陰口を叩く者もいたが笑止千万。陰口を叩いた者が逆に叩かれるほど、思金の実力を知らぬ者などいなかった。


家柄も良く、その上、容姿端麗、才色兼備。

「非の打ち所がない」とは、思金 阿礼のためにある言葉。


スラリとした長身。武団服ぶだんふくも綺麗に着こなし、たたずまいも美しく、勇ましい格好をしていながら漂う品の良さ。

敢えてだろうか。髪を短く止めず、白滝の水の如く、黒い髪が肩まで真っ直ぐ流れ落ちている。

胸元には思金の家紋でもある長鳴鳥ながなきどりが燦然と鎮座する。この家紋を知らぬ者など豊葦津にはいない。この家紋は名家の証。その血統を受け継ぐ者しか与えられない。名家の証でもあり、重い使命を背負った者の証でもある。


隠しきれないが彼女から垣間見える。


民は皆、彼女のことを「武団の麗人」と言う。


この暑さのせいで、出された客人用のお茶の氷が解け、コップの周りには汗のような水滴が滴り落ちている。


しかし、思金は汗ひとつかかず、学庭の女子たちを見ていた。


武団訓練長の部屋のドアが開き、白髪で立派な髭をたくわえた50過ぎの男性が入って来た。


思金も振り向き、男性と目が合う。


目が合うと男性は思金に頭を下げ

「お待たせして申し訳御座いません。思金 統合参謀長官殿。」


45度の角度に保たれた美しいお辞儀。

武団服を着て見に付いた所作であることは、そのお辞儀ひとつ見てもわかる。


思金は照れるように

「やめてください。訓練長。」


その言葉に少し柔らかい笑みを見せ


「いやいや。いくら私の元教え子と言っても、今では私より階級は上なのだから、礼儀をわきまえなければ示しがつかない。長官殿にもそう厳しく教えてきたからね。」


少し冗談めいた口調で話す。


「何も変わりません。訓練長を困らせたていたあの頃のままです。」


思金も冗談めいた口調で返す。


昔のことを思い出しているのだろうか、訓練長は思金の武団服姿をマジマジと見て

「立派になった。」と感慨深く、呟いた。

 

“統合参謀長官”という立派な肩書が付いていても、彼の前に立てば、必死で訓練に喰らい付いていた名もなき一人の女子に戻ってしまう。


少し見ない間に、すっかりと白くなってしまった訓練長の髪を見て、思金は時の流れの早さを知り、訓練長の呟いたその一言に、上に立つ者の喜びがわかる国守人になっていた。


「立ち話も何ですから、長官殿。どうぞ。」


訓練長は部屋の真ん中にある長椅子に手を差し伸べ、思金に座るように促す。


「失礼します。」


座る姿も牡丹のようで美しい。


溶けた氷を見て訓練長が

「新しいお茶をご用意しましょう。」と言うと


「お構いなく。」

その断り方は、とても自然で嫌味がなかった。


小さく頷いたあと、訓練長は学庭に目線を向け

「…しかし、本当に女子だけでいいのかい?」


いまひとつ納得のいかない口振りで思金に質問をする。


「はい。」

思金が力強く頷く。


その確信のある返答に訓練長は率直な意見を述べてみることにした。


「私にはわからないのだが、何故、三班にこだわるのかね?一班・二班にもいい訓練生がいるのだから、もっと広い視野で見てはどうかね。」


一班とは “海撃かいげき武団”を目指す訓練生のこと。

海撃武団とは、四方を海で囲まれた豊葦津の最前線で国守をする武団。

豊葦津では海を死守することが第一の国守と考えているため、一番予算を多く回してもらうのだが、実際のところ敵国が攻めて来る可能性は極めて低い。それにより、今では予算削減の第一候補となっている。

しかし、広範囲に国守をしなくてはいけないのも事実で、予算と人手が一番かかる武団でもある。    

     

二班とは “陸撃りくげき武団”を目指す訓練生のこと。

陸撃武団とは、海撃武団の最前線が突破された時、最後の要となり、本土決戦を想定した武団。

陸撃武団が陥落することは豊葦津の最期を意味するので、とても重要な武団なのだが、花形の海撃武団に比べると泥臭い印象で人気がない。


三班とは 女子の訓練生全般を指す。


そして、諜報部員の訓練生を指す “四班”というところもあるらしいのだが、どこにあるかは不明で、実在しているのかもわからない。

噂では、その四班の中から選りすぐりの訓練生だけがなれる“忍番しのびばん”という密偵集団がいるというのだが、これも詳細がわからず、一切不明となっており、一部では虚構の存在として扱われている。


話しが長くなったが、一班・二班がありながら、思金は女子全般の三班から、今回の「ヨモツ・ヒラサカ作戦」の使命にあたる国守人を選ぼうとしている。


訓練長の納得のいかない理由もわかる。


豊葦津の運命を左右する重要な任務なのだから、もっと冷静に、もっと慎重になってもいいはず。


訓練長の率直な言葉に、思金も正直に答えた。


「目立つためです。」


「目立つ?」


「そうです。」


今回のことを訓練長に理解してもらうため、思金は説得をするように話しはじめる。


「世間での武団の扱いは酷いものです。今や国守人は、ただの金食い虫。旧近代の化石となってしまいました。どんなに閉和な世の中だとしても、国守、武団は必要な存在だと言うのに、民はそんなことも忘れて眠り続けたまま。」


「確かに。」

またも訓練長がポツリと呟く。


「現に化け物たちが侵略して来ているというのに民は知らない顔して、まったくと言っていいほど危機感がない。それに釣られて大議士たちも予算を削れと圧力をかけけてくる。豊葦津は閉和以降、厭戦の空気から抜け出せずにいます。」


「まったく、嘆かわしいことだ。」

ため息にも似た言葉が訓練長の口から洩れる。


「今回の使命で武勲を挙げれば、我々、国守人の必要性を民たちにわからせる絶好の機会になるのではないかと。」


「なるほど。それで目立つために女子。しかも訓練生。」


訓練長も、合点がいったようだ。


今度は思金が嘆くように

「“閉和ボケ”の惰眠から民を叩き起こし、目を覚ましてやらなければ、豊葦津は死んでしまいます。」


その嘆きに深く頷く訓練長。


「もちろん、目立つためだけに女子の訓練生を選んだわけではありません。今回の使命に相応しい国守人を選びました。」


訓練長は立ち上がり、自分の机に置いてある資料を開き

「それでこの女子たちを選んだわけか。」


思金の説明により、訓練長の中でつながらなかった点と点が今、一本の線となって資料の訓練生たちに帰結した。


「うん。確かにこの訓練生なら大丈夫かもしれんな。」


訓練長からの太鼓判。お墨付きを貰った。


「ご理解、有難う御座います。」


思金には説得する自信があったようだ。今の返事でそれがわかる。


「いやー、まさか住吉を持って行かれるとは、長官殿も目を付けましたか。」


訓練長は白くなった頭を掻きながら、再び、思金の正面の椅子に座り、残念そうな顔をした。


「えぇ。一番最初に。」


訓練長とは真逆に冷静な顔で答える。


「実はね。住吉は一班・二班からも指名がかかっていてね。」


「あの成績ならば、そうでしょう。」


思金は驚きはしなかった。


「射撃は群を抜いている。無駄撃ちが一発もない。」


「一発も?」


さすがの冷静な思金も驚いた様子。


「今までたくさんの訓練生を見てきたが初めてだよ。住吉ような訓練生は。長官殿でもあそこまでではなかった。」


「訓練長によく怒られていました。」


訓練生に戻ってしまう。


「はははは。しかし、住吉のあの力は天賦の才としかいいようがない。なにせ風を読める。」


「風を?」


「そう、風。わかるんだろうね風が。どれぐらいの速さで風が流れれているのか。どれくらいの距離を飛ぶのか。そうとしか言いようのない腕前だよ。訓練や研鑽を積めば身に付くような話じゃない。」


「そんなに。」


興奮しながら訓練長が話しているのを見て、思金は指名した住吉という訓練生が最高の人材であることを確信した。


「ここだけの話だが。住吉が取られた時、一班・二班の班長が自分の班の射撃守、上位3名づつ出して来て、“頼むから住吉を取らないでくれ”と懇願されたよ。」


訓練長は嬉しそうに話す。


「そうなんですか。…なんだか悪いことしてしまったな。」


住吉の実力が想像より遥か上の評価で、なんだか横取りしてしまったような気持ちになり、思金は恐縮してしまう。


「いやいや、気になさらずに。長官殿は都築 総首から特別な使命を託されていらしゃるのですから、遠慮なく持って行って下さい。我々も国守人、理解しています。」


「有難う御座います。」


思金も訓練長の負けない綺麗なお辞儀をする。


「住吉は、きっと長官殿のお眼鏡に叶う人材だと思います。」


再度、訓練長からの太鼓判。お墨付きを貰う。


太鼓判を押した訓練長の顔が、またも浮かない曇った表情になる。


「住吉の指名はわかるとしても…宗像は何故、必要なのかね?宗像は医士としては優秀だが、最前線に行かせる理由がわからない。」


通常、女子は後方支援に徹する。特に医人が最前線に赴くことはない。戦闘に特化した訓練を受けることがないので足手まといになるだけだ。そのため、思金の意図が読めないでいた。戦術としては意味をなさないからだ。


思金は訓練長から質問がくるのを予測していたのだろう。間髪入れず、淀みなく話し出す。


「訓練長の仰る通り、本来ならば、医士を最前線に行かすことなどありません。しかし、今回の使命には優秀な医士の力が必要なのです。」


「医士が必要?」


先ほどまで曇っていた訓練長の表情の隙間から“興味”という日差しが顔を出し、思金のほうに体をグッと寄せた。


思金もその“顔”を見逃さない。


「今回の使命の第一の目的は、化け物たちの生態を知ることにあります。」


「生態⁉」


驚くのも無理はない。

医士を連れて行く目的は国守人の体を治すためである。そのために体を開くこともある。だがしかし、化け物たちの体を調べるために医士を連れて行くなど、正気の沙汰とは思えない常軌を逸した行動であり、ある種の禁忌きんきに近い行為である。


すなわち、国守人と化け物を同等に扱うことに他ならない。


「生態…ということは…。」


さすがの訓練長も、その先の言葉を言えず、躊躇しているようだった。今にでも溺れそうな顔で思金を見ている。


思金が助け舟を出す。


「腑分けをします。」


サラっと答えた思金を見て、訓練長はさらに驚いた。


「なんと…。」


絶句とはまさにことだろう。


絶句して言葉を失っている訓練長を置き去りにして、思金は話しを進める。


「腑分けをすることが穢れた行為であることは重々、承知しています。しかし、あの化け物たちの生態をしっかりと把握している者が一人としているでしょうか?侵略されて、随分と時間が経つというのに、私はそのような報告書を見た記憶がありません。訓練長はご覧になったことは御座いますか?」


「いや…ない。」


確かに言われてみればそうだ。

化け物たちの生態など誰も気にする者などいなかった。


「私は、そこに武団の失敗があると思っています。」


訓練長を真っ直ぐに見て、思金は断言した。


「武団の…失敗…。」


「そうです。この数年間、遅々として掃討作戦が進まなかったのは、誰も敵の生態を、正体を見ようとしなかったことにあると私は思っています。」


「確かに…。」


「どんな体の構造をしているのか?我々に近いのか?それともまったく違うのか?腑分けをすれば、たくさんの情報が得られると私は確信しています。情報を得るということは武団にとって有益な情報ということではないでしょうか。戦いに勝利するためには、まず相手を知ることが重要だと私は思うのです。」


何も言い返すことができなかった。

思金の言っていることは正論で筋が通っている。狂人に思えた発想を理路整然と話し、武団の盲点を鮮明にしたその考えは、誰よりも正しく、そして、誰よりも武団を思っての発言だった。


「…長官殿の考えは理解しましたが、何故、訓練生からなのですか?研鑽を積んだ者から選んだほうが良いのでは?」


「最初は私もそう考えていました。しかし、訓練生の中に医士志望の者がいることを知り、変更したのです。本来なら、研鑽を積んだ者を選ぶのが常套だと思いますが、腑分けを理解して頂ける方が見つかるかどうかわかりません。」


訓練校は深く頷いた。

訓練長も今しがたまで躊躇していたのだから、概ね武団の中もそう変わらない。


「ここは、研鑽を積んだ者より未知の探求に興味のある者を選考基準にしました。」


「なるほど。若い人の方が柔軟性があって適任かもしれないね。」


訓練長も思金の説得で視界が開けたようだ。


「それにこの訓練生の成績なら申し分はありません。あとは最前線で研鑽を積めば問題はないと思っています。」


「うん。宗像なら問題はないだろうね。理化の知識もあるから役に立つことあるだろう。」


これで二人確定した。


「しかし、とんでもないことを考えますな長官殿は。もちろん、このことは総首もご理解されていらっしゃるんでしょう?」


「はい。すべて私に一任されています。まっ、最初は訓練長と同じ顔をされていましたが。」


その顔を思い出し、表情が緩む思金。


「はははは。でしょうな。総首と言って元国守人ですからな。」


訓練長の大きな笑い声が廊下まで響き渡る。


「そして、最後は陰陽士。いやー、参りましたな。まったく私にはわかりません。」


訓練長は白い頭を撫でまわしながら話す。


「申し訳ないのですが、古い頭の私にもわかるように説明して頂けませんか。」


嫌味でも言ったわけでも、反抗的に言ったのでもない。本当にわからないのだ。射撃守に医人。これだけでも戦術として異質な組み合わせなのに、そこへ来て、今度は陰陽士。まったく思金の意図がわからなかった。


陰陽士とは神祇じんぎりょうに属するれっきとした国の機関。

歴史は古く、天津御子の一族が豊葦津を統べるようになり、ほどなくしてできた所管で、天津御子を約3000年もの間、陰になり守り支え、豊葦津の歴史そのものを体現して来た所管と言っても差し支えはなく、国守人の祖。武団の嚆矢こうしそのもも。


祈呪きじゅ法という豊葦津古来から伝わる呪術で、天津御子一族の繁栄・国家安泰・五穀豊穣など、祈りの力を通じて豊葦津を3000年守って来た歴史がある。


誉れ高き陰陽士。


しかし、それは昔の話。


近代化した今の豊葦津では完全に忘れられた存在。武団よりも過去の遺物と化している。

なる者など武団よりも皆無で、陰陽士の家系の者が先祖代々受け継ぎ、何とか維持している。3000年の長きに渡り続いてきた大きな道が、30年後には行き止まりになっている可能性があるほど、今は細きか弱き道になってしまった。


そんな忘れられた遺物が忘れられつつある遺物に組み込まれることに一体、どのような重要性があるのというのか?


訓練長には皆目見当もつかなかった。


その顔を見て、意味を理解し、思金は少し笑いながら

「訓練長のお気持ちもわかります。陰陽士など近代化した今の御代には必要のないものだと。」


顔の色を読まれてしまい、バツが悪そうな訓練長。


「しかし、今も四方の海を守っているのが陰陽士であることも事実。」


「おっ!なるほど、そうであった!」


膝をひとつ打つ。


どういうわけだか豊葦津の海は難しい潮の流れをしていて、入って来るのが困難な自然要塞。


その理由が陰陽士にあった。


陰陽士が祈呪を使い、潮の流れを変え、豊葦津を3000年もの間、海から侵略者が入って来ないように守ってきた。

しかし、その祈呪が届く範囲には限界があり、砲弾を未然に防ぐことができず、これ以上は陰陽士には頼れないと知り、やむを得ず近代化に舵を切った。その決断をしたのが、思金 鏡之心である。


誉れ高き陰陽士の3000年にも及ぶ歴史はいつしか無用の長物と成り果て、近代化の波に飲まれ小さくなり、やがて存在も消えて行った。


その発端を作ったのが思金一族ということになる。


だが、それでも尚、陰陽士は侵略者が入って来ないよう閉和以降も人知れず海を守り、昼夜を問わず祈ってきたのだが、今回の化け物たちの上陸によって、沖だけでなく、沿岸一帯も祈呪が効かないことが露見し、誇り高い陰陽士の権威は失墜し、今や風前の灯火。なんとかそれでも海を守ることで、その威厳を、その存在を保っていた。首の皮一枚を残して。


次、大きな風が吹けば、間違いなく千切れ落ちて行く。


そんな落ち目の陰陽士を作戦に加える。しかも、陰陽士にとって因縁浅からなぬ思金の末裔によって。


「祈呪法を使うのですな。」


訓練長も感化され、思金の考えを先回りできるようになってきていた。


「はい。その通りです。」


「しかし、海の守りを強化すると言っても、もはや…。」


「いえいえ違います。海ではなく、陸です。」


「陸⁉」


まだまだ思金の先回りは遠いようだ。


「はい。陸です。陸に結界を張るのです。」


「陸に。結界。なるほど。」


訓練長は腕を組み、感服しながら頷く。


「海に結界を張れるのなら陸にも張れるのではないかと考え、それで石加賀洲の周りを囲み、化け物たちを封じ込めてしまえば、とりあえず時間は稼げます。」


「確かに。奇策ではありますが、しかし、よく思いつきましたな。」


「最初から考えていたわけではありません。名簿を拝見した時、“気多”の名前を見て思いつきました。」


「石加賀洲は背後が海だから三方を結界でつなぐだけでいい。うむ。これは奇策でありながら妙案。いいですな、この案は。」


三度、太鼓判とお墨付きを貰う。


「私どもは都築総首 直々の武団とは言え隠密行動。そのため、人も予算も限られていますので、無い知恵を絞って出すしかなく。このようお恥ずかしい案に。」


照れて話す思金の表情の中に可愛らしいが垣間見え、違う一面を覗かせる。


「しかし、結界が上手く行くという算段はついているのかい?」


そこが肝心なところであり、核心なところ。


「大丈夫です。先日、気多 神祇寮長にもお話を聞いて参りました。問題はないと言って頂きました。」


「おぉ。お父上にお会いになりましたか。お変わりはなく?」


「はい。いつお会いしても優しく、丁寧に接して頂き、私もあのような一廉に成りたいものだと憧れております。」


「わかります。わかります。気多殿は誰であろうと分け隔てなく、誠意を持ってお会いして下さる御方。さすがくずの葉一族の当主!…その御方を忘れてしまうとは、本当に情けない限り。国守人失格ですな。私は。」


先ほどポンと叩いた膝を今度はビシャリと叩く。


「仕方ありません。近代化した今の御代では陰陽士など程度のことしか思いませんから。」


酷く落ち込む訓練長に思金が諭すように話す。


「いや、それではいけません。私も国守人の端くれ、産みの親の陰陽士を忘れていいわけがありません!今日から反省し、早速、授業に取り入れなくては!」


訓練生の頃から見て来た訓練長が変わらずそこにいる。思金は少し嬉しかった。


「まさか葛の葉一族のご令嬢が訓練生にいるとは驚きました。」


後ろの学庭に目線を送りながら思金が話す。


「寮長殿も考えてのことだろう。あの襲撃以降、取り巻く環境が変わってしまったからね。一族の皆さんは無事だったけど、葛の葉一族の総本山をあの化け物たちに占拠されてしまったのだから。陰陽士としても当主としても、何とか自分の代で解決したいと強く思っていらっしゃるだろうし、そのために大事な一人娘を訓練所に…。同じ娘を持つ父としては寮長殿のお気持ち痛いほどわかる。」


胸を掻きむしるほどの苦しみが訓練長の体を走り回る。


「一族の重み…ですかね。」


その言葉の重みを一番知っているのは他でもない、その言葉を発した思金自身だ。


その言葉に訓練長も深く深く頷き、その言葉でふとある人物の顔を思い出す。


「お父上はお元気か?」


「はい。体は衰えて来ていますが、口だけはで。」


またも大きな笑い声が廊下まで響き渡る。


「まあ、そう言うでない。お父上も体調を悪くし道半ばで国守人を辞めねばならなかったのだ。口うるさく言うのもすべて長官殿を思ってのこと。これも孝行だと思って聞いてあげなさい。」


「考えておきます。」


サラリと冗談で返す思金。


「それでは、この3名の訓練生でよろしかな?」


「はい。宜しくお願い致します。」


今度は、思金が頭を深々と下げた。




学庭。


気多の隣で溶けた氷のように倒れ、涼しい風に慰められている宗像がいた。


「気多さん。」


「何でしょうか?宗像さん。」


読書をしながら答える。


「体力が回復する祈呪あります?」


気多は軽く口元を隠し、笑う。 髪が涼しい風に揺れる。


「?」


気力をなくした瞳で気多を見つめる。


「御免なさい。医士の宗像さんが体力回復する祈呪法を聞くなんて。それで、つい。」


また口元を隠し、笑う。


気多の雰囲気には、思金とはまた違う品の良さが漂っていた。


「私の知識はでは回復しないので。」


一陣の風が二人を優しく包む。


その前を住吉が走り抜け、教官の怒鳴り声が学庭に響き渡る。




訓練長室を出て、廊下を歩く二人。


外は世話しなく、うるさいほど暑いというのに、訓練所は眠りについたかのように静寂で、その静寂は二度と目を覚まさないのではないかと思うほど薄気味悪く、二人の歩いている音以外、何も聞こえない。昔、通った思い出の学舎とは思えず、まるで死者の世界を歩いてるような錯覚を覚えた。


「静かですね。」


思金のポツリと呟いた言葉さえ廊下に強く響く。


「この時期は恒例の合同訓練遠征会があるからね。静かなものさ。長官殿も思い出されるでしょ。」


「えぇ。できれば忘れたいですが。」


錯覚した死者の世界に、忘れてしまいたいほど地獄だったあの日の合同訓練遠征会の思い出がありありと蘇る。


一段と大きい訓練長の笑い声が廊下に、学舎に響き渡る。


「国守人になるために必要な通過儀礼みたいなものですからな。まっ、そのおかげで気兼ねなく、誰にも知られることなく、ここで女子たちも訓練ができるというもの。」


何か動くものを感じ、思金がふと中庭に目をやると、そこには一人の女子が黙々と洗濯物を洗っている姿があった。


女子の後ろには日差しに照らされ輝く、色とりどりの服が大漁旗のように風になびき、踊っている。


額からあふれ出す汗を右手の甲で拭いながら、手を休めることなく必死で洗濯物を洗っている。


「あの女子は?」


思金が前を行く訓練長に尋ねる。


「?。あー、あの女子は、阿知あち訓練生だね。」


「あち?…あっ、三班の?」


「ご存じか?」


「えぇ。名簿は一通り目を通しましたので。でも、何故、ここに?」


「雑用をしてもらっているのだよ。3人の世話をしてくれる者がいなくてね。」


「なるほど。しかし、何故、あの女子なのです?他にいなかったのですか?」


訓練長は言いずらそうに、一心不乱に洗濯をしている阿知を見て

「名簿に目を通したのなら長官殿もおわかりでしょ。阿知の成績を。」


「…確か、最下位、だったと記憶しています。」


「左様。阿知は全班あわせた訓練生の中で一番下。それもを抜いて。」


「えぇ。そうですね。」


「阿知は国守人としては資質がまるでない。国守人に向いていないのです。それは阿知自身もわかっている。」


「それでは、どうして訓練所ここにいるのですか?」


「人減らしです。」


「・・・・。」


返す言葉が見当たらなかった。


「地方出身者の中には人減らしのため仕方なく訓練所ここに来る者も多い。長官殿の御代にも大勢いたでしょ。」


「えぇ。」


よくある話。貧しく、兄弟が多い家の者は親の負担が少しでも減るようにと自ら進んで国守人になる。特に長男以外が多く、女子も例外ではない。


訓練所ここには、今も悲しい現実があらゆるところに染みついている。


訓練所ここに入れば食事と寝る場所には困らない。それに、僅かばかりだが給金も出て、仕送りもできる。…皮肉ですな。家を守るために渋々、国守人になるなんて。他の道があるなら、その道に進めてやりたいものです。」


繰り返されるそんな光景を訓練長は幾度となく見て来たのだろう。ため息交じりの嘆きごとが思金の心に突き刺さる。


「それで遠征会には行かせなかったのですね?」


「えぇ。阿知の体力では遠征会について行けません。居場所がなくなってしまいます。せめて、3人の役にでも立てばと思って。」


阿知を見る訓練長の目は、子を思う親のような慈悲に満ちた愛情ある目だった。


「あの女子もお願いしたい。」


阿知を見ながら思金は言った。


「?」


訓練長は言葉の意味を理解できず、思金を見つめることしかできなかった。


その見つめる訓練長に今度はわかるように、洗濯をしている阿知を指さし

「阿知も使命に加えたいので、よろしくお願いしたい。」


「阿知をですか?」


「はい。そうです。」


今度は訓練長が洗濯をしている阿知を指さし

阿知ですか?」


「はい。阿知です。」


窓越しに二人して、洗濯をしている阿知を指さす。当然、阿知は二人に指されていることも知らず、額に大汗をかきながら洗濯物を力一杯、洗っていた。


「お言葉ですが長官殿。一時の情で決断してなりません。今回の使命は豊葦津の運命を左右するもの。冷静な判断が求められます。情に流されて決断すれば、長官殿の名前に傷がつくやもしれません。」


訓練長は元教え子に、そして国守人の先輩として思金に考えを改めるように苦言を呈した。


その顔を見て、思金は対照的に笑顔で返す。


「心配はいりません。私は情であの女子を入れてほしいと言ったのではありません。」


その思金の笑顔を不思議な顔で見つめ

「それでは、何故、阿知を?」


「この使命を遂行するためには下支えしてくれる者が必要です。」


「下支え?」


「えぇ。誰かが3人の雑務を担ってもらわなければいけません。それも自ら進んで担ってくれる者がいい。これはそう簡単なことではありません。誰もが嫌がることです。」


「まぁ、阿知はそういうことを嫌とは言わないと思いますが。」


顔だけでなく、その言葉にも不安がはっきりと窺える。まだまだ納得はできていないらしい。


「適任です。あの女子しかできません。」


「そうですか。長官殿がそこまで仰るのなら…わかりました。阿知に伝えます。」


「わがまま言って申し訳御座いません。」


身分が上でありながら訓練長対し頭を下げ、45度に保たれた美しい姿勢で敬意を示す。


「しかし、大丈夫かね?阿知で?」


まだまだ、まだまだ不安は拭えない。


「問題はありません。」


まだまだ、まだまだ不安が拭えない訓練長の顔を綺麗に拭き取るように思金は自信を持って答える。


一生懸命汚れを落としている阿知の姿を見て


「あの女子を見て大事なことを思い出しました。」


「大事なもの?」


「あの女子以外、適任者はいません。必ずや、この班の要となるでしょう。」 


思金は阿知の黙々と洗濯をする姿に何かを見出していたようだが、訓練長にはそれが見えず、何だかモヤモヤとしたものを抱えながら思金の要求に応じた。 


こうして、・射撃守 1名。 

     ・医人  1名。 

     ・陰陽士 1名。 

     ・雑務  1名。 


すべてという武団史上、類を見ない編成で掃討・奪還に挑むことになった。 


この4人に豊葦津の全運命が委ねられた。

失敗し、人知れず最前線で倒れたとしても、誰にも知られることなく歴史から消し去れる儚い使命。


名もなき国守人が命を賭して、ヨモツ・傍子に戦い挑む。                                                        








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水平線からの侵略者 ー東禍論ー つねあり @tuneari

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