プロジェクトR

真偽ゆらり

田んぼを走る

「君に田んぼを走ってもらいたい」


「……お断りします。話は以上ですか?

 では、失礼します」


 彼女は上司にも「NO」と言える日本人だった。

 難関な試験にも突破し収入の安定した職に就いたが、その性格故に今の辺鄙な部署へと異動となる。

 お上の発言を実行可能かを検証する、例えそれがどんな内容であれ真面目に調査をする部署へと。

 

「待て待て待て、今回も上からのお達しだ。だいぶ取り上げられた例の発言だよ」

「……何回失言すれば気が済むんですかね」

「まったくだよ、あの失言野郎」

「今の録音しました」


「……要求は?」

「私だけ走らされるのは御免です」


 彼女の前で油断してはならない。

 油断すれば彼のように反撃にあうからだ。


「君にやってもらいたいのは実際に田んぼを走れるかの検証及び走るとなった場合のコース選定だ。

 走者に選ばれた人の中には君のように運動できる人もいれば、私のように運動が苦手な人もいるかもしれないな。……仕方ない、検証の際は私も走る」


「了解しました」


 彼女はフットワークが軽い。

 録音を停止し、早速現場へと向かう。

 運動のしやすい服装に着替え、車で田園地帯へ。


「なんだぁ、田んぼを走りてぇだぁ? そらぁ今は別に構わんが……」

「ありがとうございます」


 耕運機トラクターで田んぼを耕していた男性に許可を貰い、彼女は乾いた田んぼの上を走る。

 少し硬く脆い土の上はそう走りにくくはない。

 全力疾走するのであれば転倒の危険性はあるが、走者が走るスピードはせいぜい素人のマラソン程度なので特に問題は無さそうだと彼女は考えていた。

 特別に許可をもらい、耕された後の田んぼを走るまでは。


「こ、これは……地面がふかふかで走りにくい」

「そらぁ、田んぼは走るとこでねぇからな。んで、お姉さん。そろそろ満足したか? 荒起こしで冬の間に硬くなった土をほぐしてんだ。あまり踏み固めねぇでくれや」


「ああ、すみません。ありがとうござい……」


 この時、何かが彼女の中で引っかかった。

 普段の癖で録音していた男性との会話を聴き直すと、直ぐに原因にたどり着いたようだ。

 彼女が気になったのは『荒起こし』の部分。

 『荒起こし』とは男性が言っていたように冬の間に硬くなった土を耕して柔らかくする、土壌を栽培に適した状態へ移行させる土づくりの一環だ。

 当然、それ以外の工程もある。

 工程が進めば、田んぼの状態も変わっていく。


 彼女は農業に詳しくない。とりわけ興味があった作物もなく、通勤途中で見かける田んぼの変化など稲穂の有無程度しか覚えていなかった。

 そこで彼女が取った行動は一つ。


「あの、もしお時間宜しければお茶しませんか?」

「はい! 喜んで!」


 もちろん、逆ナンではない。

 いくら彼女が美人とはいえ、田んぼを走る怪しい女の誘いに二つ返事で答えるとは不用心な男だ。


 場所を近場の喫茶店へと移し、彼女は男へ稲作について尋ねていく。

 男は自分の生業に興味を持たれたのが嬉しいのか熱く稲作について語ってくれた。詳細は割愛する。


「では、本日はありがとうございました。あ、会計は私がお支払いするのでお気遣いなく」

「いんや、女性に払わせるわけにはいかねぇ。ここは俺が出すてぇ」

「いえ、経費で落とせますので」

「け、経費? 仕事だったんかぁ」

「ええ。それでは失礼します」


 項垂れる男を気にも止めず彼女はその場を去る。

 彼女は不要な時間外労働はしないのだ。





 数日後、彼女はとある大学に来ていた。

 ここは冠水時の道路等の状況を再現し、対策対応を研究する為の施設である。


「教授、お久しぶりです。依頼していた件ですが、準備はできていますか?」

「ああ君か、久しぶりだね。代掻しろかき後の田んぼの再現ならできているよ。実家が米農家の学生にお墨付きをもらった自信作さ」


 彼女が依頼したのは水を張った田んぼの再現。

 まだ春先であるこの時期では、近くに水を張った状態の田んぼが無かった為だ。

 柔らかい土の上であれば、走者を足腰の強い者にすれば問題は少ないと彼女は感じていた。

 だが、田植えの時期など水を張った状態の田んぼではどうなのか。

 予想はつくが検証をせずに報告すると、その点をついて上が意見を押し通す可能性があるそうだ。

 その可能性を潰す為に彼女は母校であるこの大学に依頼し、検証をしに来ている。上司を連れて。


「うわぁ、足が抜けない。君、ちょっと助けて」

「無理ですよ部長。私も足が抜けないので」

「そ、そうか……仕方ない。よっ、と——うわっ」

「部長、泥を飛ばさないで下さい。ふふ、泥まみれですね。しかし……いえ、やはりと言うべきか走る以前に歩くのも難しいですね」

「そうだな。これだと畦道あぜみちを走るしかないぞ」

「畦道ですか、バランスを崩したら田んぼへダイブする羽目になりそうですね」


 こうして、田んぼを実際に走る事への検証は終了した。

 結論『時期次第では走る事自体不可能』である。




 結論は出た。しかし、彼女の仕事はこれで終わりではない。上が無理矢理意見を押し通す場合に備えコースを選定する必要があるとのこと。

 彼女はコースとなりそうな田んぼの所有者に電話をかけていく。


「田んぼを走る? ふざけるな!」

「お断りだ!」

「稲が可哀想だとは思わんのかね?」

「馬っ鹿じゃないの? 農家舐めんな」

「食料自給率上げて出直してこい」

「走者に稲を踏み潰されて、応援に来た人が田んぼにゴミを捨てていく事も無いのであれば一考してもいいですよ」


 結果は散々である。

 次案として畦道を走る事も提案するが芳しくない結果に終わった。


 田んぼを走る事で稲の成長を阻害され、収穫量が減るかもしれない。踏まれないよう走るコース部分だけ稲を植えなければその分収穫量が減る。ゴミが捨てられれば収穫量だけでなく品質にも影響が出る可能性がある。その分を補償、補填するのか。

 その他意見をまとめ、彼女は報告書を提出した。



 本当に田んぼを走らせるのか。そうなった場合、補償の予算はどうするのか。走者は誰にするのか。

 それを決めるのは彼女達ではない。

 表舞台に出ない彼女の仕事はもう終わったのだ。






 さてこの話の顛末だが、最終的に一人の走者が田んぼを走る事になる。

 例の発言をした者が強硬に意見を押し通した結果だ。しかし、その者は意見を通した事に満足し走者を誰にするかまでは気にも留める事はなかった。

 それは、油断に他ならない。



 田んぼを走る走者を決定する際、報告書のとある一文が大いに影響を及ぼした。


「田んぼを走る者は、有名な者。とりわけ『田んぼを走る』で最も有名になった人物がふさわしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

プロジェクトR 真偽ゆらり @Silvanote

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説