スレイプニルの星

悠井すみれ

第1話

 エクウス・ポリプスは惑星アルフヘイムに固有の生物である。異星で進化を遂げた生物を地球の分類で語って良いか否かについては異論もあるが、胎生の恒温動物ということで哺乳類として紹介されることが多い。より人口に膾炙したあだ名で呼ぶなら、宇宙スレイプニル、だろうか。エクウスポリプスという安直極まりない学名から察せられる通り、この生物は北欧神話のスレイプニル──主神オーディンの愛馬──さながらに、四対八本の脚を持っているのである。


 馬の学名をつけられる通り、エクウス・ポリウスは身体の大きさの面では地球の馬とさほど変わらず、走るのに特化した洗練した進化の極みを見せている。とはいえ、まったく同じという訳でもない。まず、しなやかな筋肉を覆うのは毛皮ではなく輝く鱗だ。これは、空気抵抗を減らすことでより速く駆けるための進化であろう。エクウス・ポリウスが地球の馬を見たら、進化途上の遺物とでも断じるかもしれない。彼らの鱗は、体毛が変化したものと考えられているのである。耳も、走行時には身体にぴたりとつくようになっているし、舵の役目を果たす尻尾は体長と同じほどに長い。エクウス・ポリウスが疾駆する様は、だから馬よりもある種のドラゴンに近いかもしれない。彼らが駆ける速度はあまりに速く、八本もある足も人間の目では捉えられない──地表すれすれを飛翔しているように見えることもあるのだ。


 エクウス・ポリウスが「走ること」に特化した進化をしたのは、もちろん最初は捕食者から逃げるためだったのだろう。しかし、惑星アルフヘイムに生息するあらゆる敵を追い抜いてなお、彼らの進化は止まらなかった。どこかの時点で、彼らは「走ること」そのものを種族の至上命題に置いた節がある。彼らの恋も娯楽も争いも、すべて走る速さによって決められる。その結果、より速い子孫が惑星アルフヘイムの広大な平原を駆ける。そんな歴史が、幾星霜と重ねられていたのだろう。


 惑星アルフヘイムへの人類の入植は、エクウス・ポリウスにとっては非常に良い刺激だったことだろう。人間がもたらした機械は、彼らの良い競争相手となったからだ。人間の側の記録でも、調査車と競うように並走しようとする原生生物のことが好意的に記されている。地球の馬と同様に、エクウス・ポリウスと人類の間に協力関係が築かれるのも、当然のことだっただろう。彼らは知能の高さや好奇心の強さでも馬に似ていたのである。

 入植したての惑星では鉄道や道路網も整備されていない。そんな時、訓練されたエクウス・ポリウスはまたとない解決策になった。開発によって新たに開かれた地平は彼らにとっても興味深いものだったらしく、エクウス・ポリウスは喜んで鞍と手綱を受け入れた。地球産の氷砂糖という報酬インセンティブが得られることを学習すると、先を争うようにして仕事を得ようとする姿も見られたという。

 とはいえ、いくら人に馴れたとしても牛や馬のように車や荷物を曳かせられるのはどうしても彼らの好みに合わなかったようで、そのような使役のし方は自然、下火となった。エクウス・ポリウスの脚の速さをもっとも活かせた場面といえば、郵便配達ということになるだろう。未開の森の奥深く、あるいは荒野の果てに。情報や手紙を届ける彼らの軽やかかつ華やかな蹄の音は開拓時代の思い出ノスタルジーとして語り継がれている。via Slepスレイプニル便でとの走り書きがある封筒は、博物館で展示されてもいる。


 現代では、惑星アルフヘイムはすっかり近代化されている。交通網の発展に伴い、「スレイプニル便」も過去の遺物となってしまった。

 とはいえアルフヘイム人は古くからの友人への感謝と敬意を忘れてはいない。エクウス・ポリウスの繁殖に十分な土地が手つかずのままで残されているし、都市部の道路にも彼らが走り抜けるためのレーンが設けられている。観光客も、運が良ければ八本の脚が奏でる蹄の音を聞くことができるだろう。動画や画像に収めるのは、速すぎて難しいかもしれないが。

 エクウス・ポリウスもいまだに人類を友と見做してくれているようで、たまには人の路を駆け抜けてその健脚を見せつけてくれるのだ。もしかしたら、電車や自動車は彼らにとっては鈍すぎて、こっちに乗れば良いのに、とでも思っているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スレイプニルの星 悠井すみれ @Veilchen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説