市民マラソン大会役員の苦悩

水円 岳

「今年も大会中止にするんじゃなかったのか」

「てっきり中止だと思ったんですけどねえ……」


 ここは市民マラソン大会事務局本部。本部と言う響きは格好いいが、実態は公園のトイレ真横にあるおんぼろ用具小屋だ。俺らは大会役員ということになっているが、ご立派なのは名称ばかりで、実際は体のいい小間使い。しかも無報酬だよ。日当や弁当どころかペット茶一本出やしない。少しはサポートしてくれと市に掛け合っても、ボランティアの分際で生意気なとばっさりだ。

 いや、俺らが好きで役員をやってるなら冷遇に甘んじるけど、自治会持ち回りの当番だよ。たまたま順番にぶち当たってしまった俺らの運がとことん悪いとしか言いようがない。その上、市は俺とタカハシの二人しか事務局役員を置かなかった。市の主催なんだから、職員を一人くらい寄越せと言いたいね。


 まあ、去年は中止になってる。今年も政府の集会自粛要請に逆行しての開催だからこっそりだ。市の広報誌でも積極ピーアールはしていないし、中央公園の周回コースを何人かちょろちょろ走らせるくらいなら確かに俺ら二人で十分対応できる。

 だが……例年は当日参加オーケーなのを、今年は密対策で事前エントリー制に切り替えた。そのしわ寄せが一気に押し寄せるとは思わなかったんだ。予想外もいいところだよ。


 参加資格はありふれていると思う。走れる市民の方、それだけだ。市の担当者は、狭い公園の周回コースを密状態で走ろうとする物好きはほとんどいないと読んだんだろう。その予想はズレてないと思うが、現実の方がこれでもかとズレてたんだ。


 なんで資格外のやつが、こんなにうじゃうじゃ申し込みに来るんだ!


◇ ◇ ◇


 密回避の要請を受けて、実施されるマラソン大会の数が激減している。そのせいで、どんなにちんけな大会であっても参加したいというマラソン愛好家の欲求がはんぱなく高まっていたらしい。北は北海道から南は沖縄まで、日本全国津々浦々から申し込みが押し寄せて来たんだ。

 だーかーらー、参加資格をちゃんと確かめてくれ! 市民だと明記しているじゃないか!


 ところが、そう言って断ろうと思った俺らに思わぬ難題が降りかかった。タカハシが大会実施要領を読み直して頭を抱えた。


「サトウさん。これ、どこの市って書いてないです」


 そう、どこの市であっても、どこかの市民であれば参加できるように読めてしまう。慌てて市の担当者に連絡し、参加資格のところに○○市民と追記してもらった。だが、それをたてに申し込みを断る作業は俺ら二人でこなさなければならない。朝から晩まで鳴り続ける電話に張り付いて、喉が涸れるまで同じセリフを言い続けた。

 やっとその大波が過ぎてほっとしたところに、次の波が押し寄せた。それは最初の波とはレベルが違う、桁違いの高波だった。


「走れないやつが、なんでこんなに大勢申し込みに来るんだ……」


◇ ◇ ◇


 市民であるかどうかのチェックは住民票でできる。あんたは市民じゃないから参加できないというダメ出しは、根拠に基づいて行えるんだ。

 ただ、それだって穴がある。住民であるかどうかの確認は俺らの方でやらなければならないってこと。たかだかマラソン大会の参加資格確認のために、他人の住民登録開示請求をするやつがどこにいる! まあ、市民でないやつの申し込みはほとんど電話で撃退できたから、そっちはまだよかったんだ。


 だが、走れないやつの申し込み拒否はそういうわけにいかなかった。断るにあたって、事務局側から資格なしの根拠が明確に示せないのはどうしようもなく辛い。俺らは、走れると走れないの間に明確な線引きができないんだよ。

 マラソンだって、足がつったとか疲れたとかで参加者が歩くことがある。そういう場合、事実として走っていなくても最初から走る意思がないとは言えない。速度で足切りをするのは、警備上必要な場合だけだ。公園の周回コースをちんたら走るのに、このくらいの速度で走ってくれと急かすわけにはいかないだろ。厳格なタイムレースじゃないんだし。

 のんびりとでも走ってくれる分には、どんなにスローペースでも一向に構わない。もともと健康増進目的なんだし、完走してくれりゃそれでいい。でも、それと『走れない』やつが申し込んで来ることとは次元が違う。本当に困ってしまうんだよ。参加者がではなく、俺ら大会役員が。


「サトウさん、どうします?」

「うーん……」


 大会本部の前には、申し込み手続きに来た連中の長蛇の列が続いている。それを、俺ら二人で全部さばかなければならない。しかも、事実上全員お断りだ。断るのが面倒だから開き直ってみんなオーケーにするっていう手もあるが、そうすると大会当日間違いなく阿鼻叫喚の世界になるだろう。


 俺はめっちゃ足が早いから参加させろというのはゾンビ。そりゃあ、腐ってるのは足が早いからだろう。でも、走ってる最中に崩壊するやつぁお断りだ。大会後の清掃も俺らの仕事なんだぜ? 常識をわきまえろ!

 走ると足がつくから高飛びしてもいいかというのは泥棒。それはマラソンじゃなく別競技だ。よそへ……もとい、とっととムショに行きやがれ!


 足に類する器官がそもそもない連中はもっと厄介だ。幽霊なんざまだいいよ。足がなくても一応走っているようには見えるからな。ゾンビといい幽霊といい、すでにくたばっているやつに健康増進も何もないだろうとは思うが。

 走るという概念にパラダイムシフトを要するやつが困るんだよ。たとえば蛞蝓なめくじ蝸牛かたつむり。連中はそもそも身体構造上走れないと思うんだが、ぼくらこれでも一生懸命走ってるんですと訴えられれば言下に否定することができない。ただ、いくら俺らの気が長いと言っても、さすがにゴールするまで付き合うことはできないんだ。

 どうしようもなく困ってしまったのはお地蔵様。足はあるし、走る気もあるようだが、石だからなあ。俺らが生きている間には決してゴールにたどり着けないだろう。


 タカハシが、改めて懸念を口にする。


「まだ視認できる連中はいいですけど、『先』とか『血』とか『苦味』とか、俺らはちゃんと走るから参加させろって言ってきた日にゃどうしますかね」

「全部ひっくるめて問答無用で断るしかないよ。文句があるなら市に直接言えって。そこまで俺たちがボランティアで引き受ける義理はないだろさ」

「ですよねー」


 でも電話の時と同じで、外の連中に一々説明をしなければならない。今度は対面だから相手からのプレッシャーがはんぱないし、うんざりだ。手弁当のボランティア役員だけがひぃひぃ言いながら走り回るってのはおかしくないか? 俺らは大会に参加してないのに一番長距離走らされるんだぜ? 参加賞すらもらえんのによ。くそったれ!


 白紙のままのエントリーシートを床に放り投げて、ろくでもない連中の列を見据える。こういうイベントってのは、走りのうちしか意義がない。惰性でやるようになったらおしまいだ。思わず口走った。


「最初から計画自体ががさがさなんだ。そんな計画なんざそもそも走らんわ」



【了】

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市民マラソン大会役員の苦悩 水円 岳 @mizomer

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