鞘走りの刹那
黒銘菓(クロメイカ/kuromeika)
第1話
許せぬ者が在る。
斬らねばならぬ者が在る。
復讐せねばならぬと心に誓った。
獅童丸源左衛門はそこそこ名の通った武士だった。
幕府からの信用が厚く、市井からも信頼された武士であった。
他の武士からは品行方正過ぎて煙たがられることもあったが、概ね順風満帆だった。
しかし、彼はある時から変わってしまった。
傘屋の娘のお雪との結納を前にして、彼女が殺された。
父親が家に帰るとそこは血の海だったそうだ。
怒髪天。怨嗟の業炎に身を焼きつつ、源左衛門は下手人を追い掛けた。
お上が止めるのも聞かず、市井の言葉も聞かず、ただ、追い掛けた。
凄腕で、殺しを生業としていた。
数々の骸の山を作った死神。
死体と証拠は綺麗に消し、血の海だけ残す殺人鬼。
しかし知ったことではない。
生きる意味、生きる理由、苦しむ理由が無くなった今、やるべきことはただ一つ。
奴を、地獄の道連れに。
全国津々浦々。悪党外道を薙ぎ倒しつつ、追い掛けること一千里。
遂に、源左衛門は金堂に辿り着いた!
「愛するお雪の仇、取る!」
刀に手を掛ける。
「……良いだろう。返り討ちにしてくれる。
傍らに居た市女笠の女を離れさせ、奴も刀に手を掛けた。
「夫婦か?」
「いや、連れていくように頼まれたから連れている他人だ。」
「そうか……娘、目を瞑っておけ。」
どうやら愛する者を目の前で手に掛ける真似はしなくて済むらしい。
「安心しなくても良い。俺が死ぬことはないのだからな。」
刀に触れる手が僅かに揺れる。
それは直ぐに止まり、心が凪に成る。
全身全霊で斬る。それを為してもこの男に届くかは解らない。
見え透いた挑発ごときで乱れては、決してこの刃が届く事は無い。
しかし、決めた。あの赤一色の血だまりを見たときから、刺し違えてもこの男を殺すと決めた。
その為に全てを捨て、全国を走り、這いずり、足掻き、ここまで辿り着いた。
「いざ」
「……尋常に」
「「勝負!」」
鞘走る。
白銀の光が煌めき、伸びていく。
無駄の概念を排した『斬』の理のみで埋め尽くされた居合の極地。
以前の自分には無かった鋭く研ぎ澄まされた一閃が宙に走る。
バキィン!
しかし、その一撃は無慈悲にも砕け散った。
居合の極地を容易く捕らえる光は、静かに復讐に燃えている凶獣の牙を容易く折った。
砕け散る刃がゆっくり、ゆっくり空中を舞う。
源左衛門の敗北が決定した。
(
砕き折られた斬撃、その欠片にまみれ
獣の様な声と共に駆け寄り、掴みかからんとする。
無論、隠し武器など無い。そして、相手の手には自身の牙を砕いた白銀の刃が刃こぼれ一つ無く、相変わらず握られている。
これは愚かな復讐鬼の自害だ。
刃に空手で挑み、敵う筈なぞ無い。相手が自分より圧倒的格上ならば尚の事。
頭では解っている。しかし、それでもやらねばならない。
頭を割られ、腕を斬り落とされ、足を薙ぎ払われて、胴体が二つに分かれて尚、復讐に身を焦す。
そんな狂気の源左衛門の脳天に今、白銀の刃が振り下ろされ 無かった。
「依頼は完了だ。
なぁお雪嬢、もう良いぞ。間違い無くこの男はお前の伴侶だ。
俺がこの男を殺した事にしておくから、何処へなりとも二人で消えて、仲睦まじく暮らしていくが良かろうさ。」
源左衛門の突進をすり抜ける様にいなしながら、連れの女にそんな言葉を、連れの女を『お雪』と呼んだのだ。
「お雪……今お雪と言ったのか⁉?!」
愛する者の名前で一瞬、我に返る。
「源左衛門………さま。」
市女笠を脱いだ女。
「源左衛門には過分な褒美じゃったなぁ。
のぉ、爺?」
穏やかに、大らかに、朗らかに笑いながら傍に控える老人に言った。
「ハハ、そうとは言えますまい。爺の腰痛は源左衛門殿のお陰で治りました。
して、腰痛の原因は殿に御座います。
これは、殿への忠義と呼べるのではありますまいか?
で、あれば、『逃がし屋』の金堂殿への依頼は十分な褒美と爺は存じますぞ。」
精悍な初老の男に頭を下げつつ、淡々と穏やかに笑ってそう言った。
「では、後始末じゃ………。
その方ら、血肉を分けた者への嫉妬から、守るべき市井の民を殺めんとするその性根、武士に有るまじき愚行!追って沙汰を下す!神妙にして居れ!」
殿と呼ばれた初老の男は眼前で平伏していた男達に鋭い声で叱責した。
お雪を殺そうとしていた源左衛門の縁者達であった。
鞘走りの刹那 黒銘菓(クロメイカ/kuromeika) @kuromeika
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