さわやかな冬の朝にいつもどおりジョギングをする意識高い系サラリーマンのお話。
畳屋 嘉祥
さわやかな冬の朝にいつもどおりジョギングをする意識高い系サラリーマンのお話。
いつもどおり、起床は五時。
目を覚まして、まずは一杯の水を飲む。
シャワーで体を洗い流す。
朝食は買い置きのパンと果物、取り置きの干し肉、そして牛乳。
手早く顔を洗い、歯を磨く。
ランニングウェアに着替えて、軽くストレッチ。
スマートウォッチのタイマーをセットし、シューズを履く。
いつもどおり。五時三〇分に家を出る。
人生は不測の事態に満ちている。
その中にあって起床からの数時間は、ほとんどが己の意志でコントロール可能である稀少な時間帯だと言える。
貴重。ゆえに乱さない。
安定はそれだけで価値がある。
名のある数多のアスリートが己だけのルーティーンを取り入れているように。
いつもどおりであることは、肝要だ。
肌を刺す寒気。空は暗く、空気は澄んでいる。
ふっと白い息を吐いて、走り出す。
遅くもなく、早くもなく、いつもどおりの軽いジョグ。
走るルートもいつものとおり。
自宅から近所の通学路を通り、大きな公園へ向かう。
公園の外周路を三周し、来た道を戻る。
いつもどおりのコース。変える気はない。
いつもの通学路。
玄関先にブルーシートの掛かった家を横目に、走る。
早朝は車も人もほとんど見えない。
道とペースは体が覚えているから、頭の方は自由が利く。
朝のジョギングは、思索の時間にうってつけだった。
昨晩のステーキは、我ながらなかなかうまくいった。
久々のいい肉だったから下処理に気合を入れたのが功を奏した。
絶対に失敗するまいと調理に気を遣ったからか、妙に気疲れしてしまったが。
結果として絶品を味わえた。問題はない。
いつもの横断歩道。
ビラ配りをしている痩せこけたご婦人に挨拶をし、走る。
余りはどうしようか。さすがに日をまたぐと味が落ちる。
保存が効く部分はしばらく大丈夫だが、足の早い部位もある。
……少し日の経った取り置きと一緒に煮込んでしまうか。
なら、シチューが良いだろう。冬の夜にはうってつけだ。
いつもの公園。
使用禁止の紙が貼られたジャングルジムを一瞥し、走る。
次はいつごろ仕入れられるだろうか。
しばらくは無理だろうから取り置きをゆっくり楽しむとして。
近頃は、そもそもの数が少ない。常時品薄なのは実に難儀だ。
社会問題になるほどだから、致し方のない事情ではあるが。
いつもの公園の掲示板。
自治会新聞と人探しの張り紙、不審者注意の掲示を尻目に、走る。
二の腕あたりに、ぴりっとした痛み。
……そういえば、昨日引っかかれたんだったか。
あの後すぐに処置をしたし、今朝のシャワーでも痛まなかったんだが。
運動して傷が開いたのかもしれない。帰ったら軽く消毒しておくか。
いつもの公園の出口。
ビラを脇に置き、疲れ果てた様子でベンチに座る男性に会釈し、走る。
ああ、そうだ。道具の手入れもしておかないと。
包丁はこの間買い替えたばかりだから、軽く研いでおけばいいか。
糸鋸の鋸歯は結構痛んでいたはずだ。そろそろ替え時だろう。
あとは……肉叩きか。もうちょっと力の入りやすい物の方が下処理が楽だ。
昨日はそれでかなり難儀した。ネットで少し見てみるか。
いつもの通学路の帰り道。
ビラを片手に、蒼白な表情で呆然と立つ若い学生に声をかけ、走る。
体力の方も、そろそろ心配になってきた。
老いから来る衰えを、残念ながら無視できない。
昨日は確かに、締めから下処理から調理からかなりの重労働だった。
が、それにしたって、若いころはこの程度どうということもなかったのに。
……走る距離を延ばしてみるか。いつもどおりが崩れてしまうのは、癪だが。
などと勘案している間に、自宅へと帰り着く。
いつもどおり、時間は六時三〇分。
ストレッチでクールダウンした後、再びシャワーを浴びる。
風呂上がりに一杯の水を飲み、スーツに着替える。
鞄を手に持ち、火元と戸締りを確認。
革靴を履いて、軽く伸びをし、玄関を出る。
いつもどおり、出勤は七時。
こうやって、いつもどおりを崩さない。
安定はそれだけで価値がある。
人生は、不測の事態に満ちている。
例えば、そう。
「ちょっと、そこの方。少し良いですか」
このように、コート姿の男に肩を叩かれ、黒い手帳を見せられることもあるのだから。
さわやかな冬の朝にいつもどおりジョギングをする意識高い系サラリーマンのお話。 畳屋 嘉祥 @Tatamiya_kasyou
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