夢現

譚月遊生季

ゆめうつつ

 時計の音がうるさい。


 布団から身体を動かせないまま、刻一刻と過ぎていく時間の中にいた。

 身体が重い。自分の身体が自分のものでないような錯覚すら覚える。


 時計の音がうるさい。


 玄関で誰かの叫び声がする。

 扉は何故か開いていて、キッチンの向こう側から光が盛れているのが見える。

 閉めに行かなければ。そう思えば思うほど、俺の身体は布団に縫い付けられたかのように固まってしまう。


 聞き覚えがある。

 誰の叫び声だ?

 聞き慣れた声だ。

 この声は──


 思い出せない。思い出したくない。思い出してはいけない。


 頭が痛い。ガンガンと内側から頭蓋を割って、「何か」が飛び出して来そうな感覚。


 ここはどこだ?

 ここは俺の家だ。

 本当にそうか?


 本当に、そうか?


 時計の音がうるさい。

 秒針を刻む音が、けたたましいアラームに変わる。

 ……そこで、目が覚めた。



 ***



「どうしたの? 酷い顔だよ」


 同棲中の恋人が、俺の顔を覗き込む。

 手元のジャムがテーブルに零れそうになっていたから、「よそ見するなよ」と言っておいた。

 朝、身支度で忙しいのはお互い様だが、彼女は少しそそっかしいところがあるから心配だ。


「変な夢を見た」


 とりあえず、それだけ告げる。どんな夢だったかは覚えていないが、嫌な夢だったことには間違いがない。


「ふーん……? って、もうこんな時間だ。仕事行かないと」

「ああ、そっか。じゃあ俺も……」


 テーブルから立ち上がろうとして、ピシャリと制止された。


「あんたは行かなくていいよ」


 首を傾げると、彼女は悲しそうに微笑んだ。


 秒針の音が煩わしい。


「もう、行かなくていいんだよ」


 時計の音がうるさい。


「……行かないで」


 眩い光がまぶたを突き刺し、



 ***



 どこだ。ここは。

 俺の家か? それとも、恋人の家か?

 どこなんだ。ここは。


 誰もいない。部屋は殺風景で、家具のひとつも存在しない。

 静寂が、辺りを支配している。


 時計の音はしない。

 壁には何もかけられていないし、目覚まし時計を置く場所もない。


 ……ベッドも、布団もない。それなら、俺はどこで目を覚ましたんだ?


 ぶらぶらと部屋を歩いて、盛られた塩に気が付いた。

 ああ、ダメだ。思い出してはいけない。俺は……


 ──行かないで


 俺は、行けない。行きたくない。行ってはならない。

 まだ、逝くわけにはいかない。


 言ったじゃないか。

「一緒に住もう」って……。


 玄関が開いている。誰かの話し声がする。


「ここ、事故物件なんですよね? ネットで調べましたよ」


 ダメだ。俺は、まだ──


「男が一人、孤独死したって」


 言うな。言うな。言うな。言うな……ッ!!!!


 ここは、いずれ恋人も呼んで、二人で暮らす予定の家だ。

 間取りは狭いが、それでもいいと彼女は言ってくれた。


 帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。


「……!? なんだ、窓が割れた……!?」


 帰れ……ッ!!!!


 時計の音がうるさい。

 秒針を刻む音が、けたたましいアラームに変わる。

 そして、



 ***



 なぁ。真実はどれだ?


 今はいつで、ここはどこで、俺は誰なんだ?


 時計の音がうるさい。

 身体が動かない。

 布団の上から動けないまま、時間だけが刻一刻と過ぎていく。


 時計の音がうるさい。


 それしかもう、分からない。

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