【KAC20211】おうちですごそう

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

ふたりぐらし

「落ち着いたら、いっしょに外に出ようね」

 私の言葉に彼は、窓の外に散らばった真砂のような光を見据え、私の頭をそっと撫でてくれた。




 朝の光はどんな時でもまぶしくて、もうちょっと寝たいなぁ、というワガママなんて聞いてくれない。彼はもう出かけたみたいで、明るくなる前のことを聞こうとしても叶わない。ニワトリの声だけが私につきあってくれる。いや、芝犬のコロもつきあってくれるんだけど、もうちょっとあとなんだよね。


 幸せそうにヨダレたらしちゃって、と悪態ついてからひと撫でして起き上がる。低血圧の気怠さもこれで少しはいいのかな。朝のふわりとした匂いをかいで、こうんと回る音を聞く。そんな詩的なことをつぶやいてみても、おうちの中に広がるだけだ。

 ぼさぼさの髪をかきながら階段を下りて、朝から熱いシャワーを浴びる。お風呂でもいいかなぁといつも思うんだけど、気づくとコックをひねってる。ゆっくりしてるんだけど、ゆっくりしすぎないのがいい。身体をすべり落ちていく泡と昨日の私にさよならをして、ふわふわのバスタオルにくるまれる。乾かした髪をくしでとく。短いと、少しだけ楽だよね。


 お鍋に残ったおみそ汁を温めて、目玉焼きと並べるとインスタントな朝ごはんのでき上り。子供のころはパンがいいなあと思ってたけど、今は白いご飯でごきげんだ。口の中ではじけ出す甘さが優しくて、気づかないうちに笑ってる。誰かが見てるわけじゃないけど、ご飯の前だと背筋が伸びる。テレワークする時よりも、いいんじゃないかな。ごちそうさまと手を合わせると、コロが階段を下りてくる。器用なもんだな、犬なのに。


 洗い物をして、お化粧してから洗濯をする。今日はお休みだから私の仕事だ。彼のシャツを洗濯機に入れるとき、少しだけ匂いをかいだ。うん、とうなずく。お外で干した後の匂いと彼が着ているときが一番だよねと笑うと、答えるように洗濯機が音を立てた。


 リビングのソファーに体をあずけて、映画を見る。うん、あんまり見られたくないけど、この瞬間がやっぱりいい。人をダメにするっていう売り文句はだてじゃない。コロはご飯を食べてからまた寝てる。こいつはどれだけ眠るんだ。途中で洗濯物を干してからコーヒーを口にしつつ続きを見る。うん、キリマンジャロの味がする、行ったことも見たこともないけど。山ってことだけは知ってるけど、どこにあるのかまでは知らないし、調べる気にもならない。ただ、少しだけすっぱいけど美味しい、それだけ分かれば勝手に想像して楽しめる。茶色の混ざった黒い液面が少しだけ光ってる。


 そのままだらだらとしているうちにお昼が過ぎて、おなかが鳴る。時計を見るともうすぐ夕方だ。お昼どうしようかなと思ったけど、彼ももうすぐ帰ってくるからもういいや。でも、それまですることがないとお菓子を食べて二の腕についちゃう。最近、彼がふにふにしてくるようになってきて気になっちゃうんだよなぁ。コロは寝るのに飽きちゃったのか、そのへんをぶらぶらしてる。


 少しだけ、と建物の外に出る。もう周りは新しい緑でいっぱいで、ついてきたコロもしっかりしたふりをしてしっぽを振る。名前も知らない白い花や黄色い花たちに囲まれると、なんだか少女に戻ったような気持ちになる。スニーカーだからとスキップしようとしてただのジャンプになった。一度だけほえたコロに目を向けて顔が熱くなる。分かってるんだよ、二十を過ぎたら無理があるって。


 庭に流れる小川に細長い影がふたつならぶ。親子ですか、と聞いてみたけどお返事はない。そりゃそうか。そっと手を伸ばしてみると、慌てたように逃げていく。まだまだ冷たいなぁ。そんな感傷も川に入ってはしゃぐコロを見てると吹き飛んだ。本当に犬なのか、こいつは。


 ごろんと大の字になって寝転がる。おうちの外には出れないけど、こうして雲の形を見てるだけでなんだか楽しくなってくる。春って匂いだけで分かるからいいよね。

「ああ、そうだな」

 ひとりごとに答える声に私は思わず飛びついた。向こうの空が茜に染まってる、と彼はほっぺをかいて言っていた。


 一緒に晩ごはんを作って、一緒に食べて、一緒にお風呂に入る。どれもふたりでした方が楽しくて、どれもふたりでした方が温かい。真っ暗な部屋で彼を求めた後、私は訊いた。

「ねえ、久し振りの外はどうだったの?」

 腕の中に収まった私を、彼は少しだけ強く抱き寄せる。重なる素肌から彼の心音が直進してくる。

「ああ、まだ新しい感染症で殆どの人が建物から出ようとしない。僕も完全防護服で行ってきたけど、そんなの普通はないからな」

「あーあ、やっぱり大変なんだね、外は」

「だから、もうしばらくはこの人工惑星の中にいた方がいいだろうな」

「落ち着いたら、外に出ようね」

 私の言葉に彼は、窓の外に散らばった真砂のような光を見据え、私の頭をそっと撫でてくれた。そこには、在るべき丸く輝くものなどなく、神秘性もない無機質な光が星の代わりを演じていた。

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