おうち迷宮

ヒトデマン

螺旋階段

「14万113階目……」


 階段を一階ぶん登りきり、表紙に14万と書かれた手帳に113階目と記す。手ぬぐいで汗を拭き、木目調の床に腰を下ろした。


「水とか食いもんを補給しておくか、トイレも行きたいしな」


 一番近くの扉を開けると、そこは畳が敷き詰められた部屋だった。茶室だ、目当ての部屋じゃない。次に期待しつつ隣の扉を開けると、そこはシャワールームだった。


「ユニットバス……ではないか。最悪ここでもトイレは出来るが……」


 周辺にトイレがあるのを期待しつつ、また扉を開ける。


「……ビンゴ!」


 そこはキッチンルームだった。冷蔵庫やコンロ、流し台が付いている。


「さてさて、冷蔵庫の中身は……」


 冷蔵庫の中にあったのは、ぎっしりに詰められた食材の数々だった。レトルト食品、スポーツドリンク、生野菜にハムとバラエティ豊かな食品が並んでいる。


「ありがたい、入るだけリュックに詰め込んでいこう」


 リュックを床に下ろして、チャックを開く。その時、キッチンルームの奥の扉が開いた。


「ふゎ〜お腹減った〜……って誰!?」


 現れたのは14〜16歳くらいの少女出会った。ダボダボのパジャマを着ている。


「あっ……お邪魔してます」


 少女は俺の格好をまじまじと見ると、口を開いて言葉を漏らした。


「脱出組の人?」

「そういう君は……居住組のようだね」


 *


 俺が住んでいるこの世界は、言うなれば無限に広がるだ。トイレやら寝室やらリビングやらの部屋が出鱈目に配置され、暮らしていく上では不便だが、生きていく上では何一つ不自由はない。食料を食い尽くしても、ちょっとそこらを漁ればいくらでも出てくる。

 そんな世界で、おれはこの家から外に出ることを目指す脱出組だ。


「理解できないんだよね〜、なんでわざわざこの家から外に出ようとするのか。食べ物はたくさんあるし、娯楽だって書庫を探せば漫画や小説が見つかる。一日のほとんどを移動に費やす生活なんて楽しいの?」

「楽しくは……ないな」

「ならなんで……」


 その時、彼女がさっきまでいた部屋から声が聞こえた。


「おいしいもの紹介TV!今日は東京のスイーツ特集です!」


 どうやらリビングだったようだ。テレビから番組の音声が聞こえる。


「……東京、いったことあるか?」

「……あるわけないじゃん。生まれてからずっとこの家にいるのに。なに?まさか東京に行きたくて脱出しようとしてるの?」

「それもないわけじゃない。だけど一番は……太陽だな」

「太陽?」

「この家にある、どんな明かりよりも眩い光さ。俺はそれを一目見て、浴びてみたいんだ」

「……ふーん。まあ、好きにしたらいいんじゃない?」


 少女はまあ理解はしてやろうという態度で返事を返してくれた。


「食料、持ってくにしても私の分も残しておいてよね」

「大丈夫、リュック全部に詰めてもまだまだ余るから。あっそうだ」

「何?」

「トイレって……どこ?」


 *


 上に登れる階段を探すため、俺は長い長い廊下を歩いていた。


「扉が全然見えて来ねえな……もう2キロ近く歩いてるっていうのに……しょうがねえ、トイレはそこらで……」


 とその時、突然廊下の壁からバン!バン!と音が鳴り出した。


「な、なんだ!?」


 そして壁が突き破られ、斧の先端が目に入る。


「壁を……壊してる!?」


 そして、壊れかけた壁が大きな手でバキバキと剥がされ、そこから筋骨隆々な大男が姿を表した。


「おやー?もしかして君も脱出組かな?」


 そしてその大男は、穏やかな口調で俺に話しかけてきたのだ。


 *


「いやあ、ごめんね。ご馳走になっちゃって」

「いえいえ、こういう時は助け合いですよ。あなたも脱出組なんですか?」

「うん、迷路とか入り組んでるのは苦手でね。斧で壁を壊しながら直線に進むようにしてるんだ」

「なんてワイルドな……」

「君はしないの?」

「俺は上方向に進んでいますから」

「上かあ、それってキツくない?僕は階段を一段上がるのさえキツいよ」


 まあその巨体だとそうだろう……。


「そうだ、あなたは何か、外に出てやりたいこととかあるんですか?」

「……いや、実はないんだ」

「え?じゃあなんで」

「……果てが知りたいんだよ。この世界のね」

「果て……?」

「この世界ってさ。今のところ知る限り無限に続いてるだろ?どこまで行っても何かしらの部屋があって、終着点がない。僕はね、行き着く先が外じゃなくてもいいんだ。土壁でも、何もない暗闇でもいい。世界に果てがあるって知りたいだけなんだ」


 男はそういうと、再び斧を手に取り壁を壊し始めた。


「そうだ、今僕が来た方向に上に続く階段があったよ」

「あ、どうもありがとうございます」


 ささくれだったトゲに触れないように、穴の空いた壁を通っていく。


(もし家の外に出れたとして、そこが俺の望んだ世界じゃなかった時、俺の心は耐えられるのだろうか)


 *


 上は向かう階段を登っている時、階段を上から下に降りている老人と出くわした。


「こんにちは、あなたも脱出組ですか?」

「……小僧。お前は上に向かってすすんでいるのか?」


 突然の物言いにイラッとしながらも、冷静に会話を進める。


「ええ、そうですが……」

「言っておく。上方向に出口はない。外に出たいなら下るか、水平方向に移動することだ」

「……何を言うんですか。いままで14万近く階層を上がってきたんですよ!?今更戻れるわけ」

「ワシは約199もの階層を下ってきた」

「……な!?」

「そしてこれまでに出口は見つからなかった。わかるか?上を目指しても出口は見つからんということだ」


 老人の言葉に、思考がストップする。これから199万もの階層を登っても、出口は見つからないだなんて。


「理解したか?無駄な努力はせんことだ」

「……まだわからない」

「む?」

「これから登って200万階層目に、出口はあるかもしれない。もしかしたら出口は、アンタが降り始めた階の真上だったかも……」

「……やめろ!」


 脱出を望むものなら誰でも思う。自分の進む方向が、出口から遠ざかっているのではないかと言う不安。


「お前のためを思って言っているんだ!これから先の199万の階層を!次こそは出口かもという希望すら持てずに進むハメになるんだぞ!」

「……ああ、199万回も階段を登るのは大変だろうな」


 自分の心に言い聞かせるように、言葉を発した。


「だけど、出口はきっと上にあるんだ。空の、太陽の方向に」

「……勝手にするがいい。その希望が、絶望に変わらなければいいがな」


 老人は下に向かい、俺は上に登り、すれ違った。自分の進んでいる方向が正しいと信じて。


 *


「なんだ……これ」


 とある部屋の扉を開けて見つけたのは、果てしなく続く吹き抜けと、そこに鎮座する螺旋階段であった。


「これなら階層ごとにわざわざ階段を探す必要なく、どんどん上に進んでいける。だが……」


 その螺旋階段は、見える範囲でどことの扉とも繋がっておらず、もしどこかの部屋へと辿りつけなければ食料と水を補給することはできない。


「だが……行くしかない。199万もの階層を登りきるには、これしか!」


 近くの部屋を漁り、食料と水を詰め込んで螺旋階段を登ることにした。


 *


「はあ……はあ……」


 食料を切り詰めながら登り、残りはもう半分。今ならまだ戻ることができる。


「そうだよ。なにもこんな道を通らなくても、一階一階安全に進んでいけば……」


 それなのに、俺の足は上へ上へと進んでいく。


「止まれ……止まれよ……」


 だが意思に反して俺の体は止まらない。まるで心が進めと言っているかのように。


 *


 食料が尽きてから三日目が経った。残った水を節約しながら登っていく。もはや思考をほとんど行っていない。ほとんど反射のように階段を登っていく。

 その時、扉が見えた。この螺旋階段の終着点だ。だけどこれは俺の都合のいい妄想かもしれない。でもいいさ。どっちみちそこまで体を動かせない。俺は階段に倒れ伏す。

 ──僅かに空いた眼から、扉が開いて光が差し込むのが見えた。






 *


「いやービックリしましたよ!いざ脱出組になってみようと思って扉を開けたら、人が倒れているんですもん!」


 空腹で倒れた俺は、この活発な少女に助けられた。


「あの螺旋階段がこのリュックいっぱいの食料でも足らないほど長かっただなんて、私だったら死んでたかもしれませんね!」


 少女はポーチに入ったチョコやお茶を見せながら言う。いくらなんでもそれは少なすぎだ。


「それで、体力は回復しました?いつ出発します?」

「……まさか君、ついてくるつもりか?」

「はい!ダメですか?」

「いや、これから進むのは199万階登っても辿りつけない道のり……」

「いいじゃないですか!大冒険!」


 彼女の希望に満ちた目を見て、もう何も言えなくなってしまった。微笑を浮かべながら、彼女に向かって言う。


「まずは大きなリュックを探すとこからだな」

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